54話 嫁からの電話


 社員旅行も、1日目が終了しようとしている。


 夜、俺は夕飯を終えて部屋に戻ってきた。


「…………」


 後輩のひなが、入り口で突っ立ってる。


「どうしたんだおまえ?」

「え!? いや……べ、別にっ! なんでもないですっ!」


 顔を真っ赤にしながら、そそくさとベッドの上に座る。


 もじもじ……と体をよじる。


「あ、あのっ! せんぱい! お風呂……どうしましょう!」


 この部屋は俺とひなが共同で使うことになった。


 当然風呂も同じだ。


「俺は1日くらいいいし、おまえが使ってくれ」


「そ、それは駄目です! 入るべきですお風呂に!」


 ひなが俺の元へやってきて、興奮気味に言う。


「今日はいっぱい汗をかいたので! 風呂に入ってさっぱりしておく方が良いかと!」


「お、おう……」


「それに炭の匂いが髪についてしまってますし!」


 言われてみればそうかもしれない。


「ひなは良い匂いのままだがな」

「にゃーーーーーーーーーーーーーー!」


 ひなが顔を真っ赤にして俺から距離を取る。

 ポメラニアンのようにぷるぷると震えている。


「せ、せんぱいはそういうフェチなお人ですか!」


「なんじゃそりゃ」


 ふるふる、とひなが首を振る。

 よくわからんが風呂を入れることにした。


 湯船にお湯をためること数分。


「じゃ、じゃあ……お風呂入ってきます!」


「おう。いってら」


 ひなが覚悟決まった顔をして、風呂場へと入っていく。


 ひなのあとに俺が使わせてもらうことになった。


 俺はベッドで大の字になっていた……そのときだ。


 ピリリリッ♪ とスマホに着信が入る。


「おっ、マコさんじゃないか」


 俺はスマホを片手に、ベランダへと出る。


「よっす」

『おいっす! お兄さん元気ー!』


 電話の向こうで、元気いっぱいの真琴の声が聞こえる。


 彼女の声は聞いてるだけで、こちらにも元気が伝わってくるから不思議だ。


「ああ。おまえは体力有り余ってそうだな」


『そりゃあもちろん! お兄さんはベッドでそのことよーく知ってるでしょうに!』


「ええまあね。よくご存じですよ。エロ魔人」


『エロ魔人じゃないもん! スケベなだけだもーん!』


 真琴が元気そう出よかった。


「練習どう、きつかった?」

『やばかったー……午前中とかずぅっと走ってるんだもん。ヘトヘトで死ぬかと思ったね』


「その割にラインバンバン送ってこなかったか?」

『えっとぉ……そこはほら! 適度に力を抜くのも大事ってゆーかー……』


 サボりか。

 全く困った嫁だこと。


『でもね、後半は練習に集中してたよ!』


「そうだな。ラインも送ってこなくなったし。……てゆーか、そうだ」


 俺は思い出して、真琴に尋ねる。


「おまえ、やけにリアルに、俺の行動を把握してなかったか?」


『ぐぬ……』


 真琴が言葉に詰まる。

 こりゃ何かやってたな。


「どうやって知ったのかい真琴君?」

『え、ええっと……愛! 愛のパワーだよ! らぶぱぅわー!』


 露骨にごまかしたな……。


 まあ考えられるとしたら、千冬ちふゆさんにでも聞いたのだろう。


 他に社内で真琴と知り合いなんていないし。

 なぜそうしたのか……?

 ……浮気対策か?


 かわいいやっちゃな。


『ぼくのことはどーでもいいじゃん! お兄さんはどうだったの、今日』


「ああ。疲れたよ。キャンプってやたらと体力居るな」


 俺は今日会ったことを真琴に話す。


 時折真琴がツッコミを入れる。


 ただ今日会ったことを話してるだけなのに、楽しい。


 気づけばあっという間に時間が経っていた。

 と、そのときだった。


『ね……お兄さん。実はね、ぼくらが泊まってるホテル、すぐ近所なんだ』


 真琴も山中湖に遠征に来ているのだ。


 さすがに同じホテルとはいかなかったか。


「ほー、そっか」

『うん、そうなんだ』


 しばらく真琴が黙りこくる。

 俺からの返事を待ってるようだ。


 だが先にしびれを切らしたのは向こうだった。


『……会おうって、言わないんだね』


 いつも元気な真琴にしては、声のトーンが抑えめだった。


『ぼく……いくよ。そっちに』


 非難してる、というよりは、答えを聞きたがってるようなニュアンスに捉えられた。


「馬鹿おまえ。今何時だと思ってんだよ。もう21時だ」


 外は真っ暗だ。しかもここは山の中、都会よりも外は暗い。


「こんな夜更けに出歩くことなんて、俺が許しません」


『ん。……そっか』


 こちらから会いに行くとしても、外は寒い。

 ホテルの外に真琴を、こんな時間に出すわけには行かない。


「勘違いすんなよ。俺だって会いたいさ。でも今じゃない。わかるな?」


『うん……うん! わかるよ、お兄さんの気持ち。お兄さんの……心遣いが』


 真琴の声のトーンに、いつもの元気さと明るさが戻る。


 どうやら彼女が欲しい答えを、俺は提示できたようだ。


『じゃー、おあずけだ! 真琴ちゃん我慢強いから、明日までお兄さんに会うのは我慢しちゃる!』


「おう、そのいきだよ」


『えっへん! 真琴ちゃんはおりこーさんだからね! 何があってもこんな時間に外に出るようなことしませんし!』


 と、そのときだった。


「せんぱーい! お風呂あがりました!」


『ふぎ……!』


 電話の向こうで、真琴が妙な声を出す。


『ふ、ふふふ、風呂ぉ!?』


「あ、いやこれはな……」


 俺は真琴に、簡単に経緯を話そうとする。



「誤解しないでくれよな。別に浮気じゃないからな」


『だ、だだ、だいじょうぶだし! わかってるし!』


 俺の真後ろに、風呂上がりのひながいた。


「良いお湯ですよ♡ ささ、入ってきてください! なんだったらお背中ながします……なーんて」


 あ、やべ……。


『ふぎ……! ふぐぐ……ふんぎゃぁあああああああああああああああああ!』


 電話の向こうで、真琴さんが爆発四散なさった。


『ぼくは我慢するもーーーーーーーーん! へいきだもーーーーーーーーーん!』


「真琴、冗談だってば。あんま真に受けないようにな」


『わかってるもぉおおおおおおおおん! ぼくは旦那を信頼する、賢い奥さん……むきゃぁーーーーーーーーーーーーーー!』


「猿か、おのれは」


『おやすみーーーーーーーーーー!』


 ぶつんっ、と真琴が電話を切る。


 冗談に決まってるのに、何を真に受けてるんだろうか……。


「せんぱい?」


「ああ、すまん。呼びに来てくれてあんがとな」


 ラインの画面を見ると、真琴からおやすみなさい、というスタンプが送られていた。


 俺はおやすみスタンプを返すと、それ以上の返事は来なかったのだった。

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