53話 叔母なりの、愛と試練




 薮原やぶはら 貴樹たかきは、山中湖に社員旅行へ来ている。


 薮原やぶはらの叔母……桔梗ヶ原ききょうがはら 千冬ちふゆ


 夕方。


 彼女はキャンプ場の洗い場にて、ひとり、食器の後片付けをしていた。


 水道の上には、スマホが載っている。

 ライン通話がオンになった状態だった。


 誰と話しているのか?

 それはもちろん……


『んもうっ。お兄さんのばかばかばかー! ぼくという出来た嫁がいるってのにー! なんだいなんだい、下の名前で呼び合うとかさー!』


 薮原やぶはらの恋人、岡谷おかや 真琴の声が、スマホからする。


「……要件はそれだけ? 今私忙しいんだけど」


『だめ! ちー姉さんはぼくの協力者なんでしょー! なら愚痴を聞くのにも協力してよー!』


 ……そう、千冬ちふゆは旅行前、真琴から頼まれごとをされていたのだ。


 曰く、薮原やぶはらが他の女といちゃこらしないよう、見張って欲しい……と。


 千冬ちふゆは随時、真琴宛、薮原やぶはらなにがあったかの情報を、流していたのだ。


 愛する甥っ子である薮原やぶはらに黙って、こんなスパイまがいなことをすることに、罪悪感を覚える……。


『なんだなんだあの女ふたりはっ! メスの顔しちゃってさー! お兄さんが鈍感にぶちんだから気づかないけど! 普通ならとっくにアウトだよーぅ!』


 千冬ちふゆは、社員旅行の様子を記録するため、ハンディカメラを持って、撮影している。


 その情報が真琴へも流れるように設定しておいたのだ。


 だから、妙にリアルタイムに、薮原やぶはらの現状を真琴が把握できていたのである。


「……マコちゃん、もうやめていいかしら、これ」


 社員達は無邪気に、者の記録を残していると思ってくれている。


 まあそれに嘘はないのだが、だましてるみたいで気が引ける。


 ……なにより、他でもない薮原やぶはらに黙って、盗撮みたいな子とをしているのが耐えられない……。


『ノン! 圧倒的ノンだよちー姉さん! お兄さんが浮気したらやだもんー! 姉さんも嫌でしょ?』


 本当は部屋チェンジの際、自分が薮原やぶはらと部屋を交代するべきだった。


 現状、ひなと薮原やぶはらという、年代の近い若い男女が、同じ部屋に泊まるという状況……。


 真琴からすれば、さぞ面白くないことだろう。


『どうしてお部屋をチェンジしてくれなかったのさ!』


「…………」


 確かに自分がひなと同室になれば、真琴が心配するような状況にはならなかった。


 だが、結局はひなと二人きりにさせたのは……。


(あなたを試すためよ、マコちゃん)


 二人の仲を引き裂くつもりは毛頭無い。


 千冬ちふゆが望むのは、甥っ子であり、弟分でもあり、息子同然でもある薮原やぶはらの幸せ。


 二人が結ばれて欲しいとは思う。

 だが……実際彼らの間には、いくつもの問題がある。


 最たるものは……年齢の差だ。


 薮原やぶはらは社会人で、真琴は高校生。


 約10歳も離れている……この二人が結ばれるためには、障害が多い。


 真琴は一途な女だ。

 だが精神的にまだまだ未熟だ。


 だから、千冬ちふゆは、与えたのだ。


 真琴に、【課題】を。


「……仕方ないでしょ。決まっちゃったものは」


『でもぉ~』


「……それとも、あなたのたっくんへの愛は、こんなことで揺らぐものだったの?」


 ……つい、厳しい言い方になってしまった。

 だがこれも、愛する薮原やぶはらのためなのだ。


「……あなた、本気でたっくんが浮気すると思ってるの? それはちょっと……たっくんに失礼よ」


 千冬ちふゆが真琴に与えた、課題。


 それは……旦那(予定)を信頼できるかどうか、というもの。


「……あなた、たっくんのお嫁さんになるんでしょう? 誰よりもあの子を愛してるんでしょ?」


『うん……』


「……ならたっくんを信じなくてどうするの。あなたたちの愛が本物なら、この程度のことで、関係が揺らぐわけないわ」


 裏を返せば、この程度で壊れる関係なら、そもそも付き合わない方が良い。


 社会人と高校生が付き合う。

 世間の風当たりは……当然、厳しい。


 千冬ちふゆが与えた課題なんか、比じゃないくらい、厳しい。


 もしもここで真琴が薮原を信頼できないのなら、薮原やぶはらが真琴の信頼に応じずに浮気するようだったら……。


 端っから、結婚なんて無理だ。


『…………』


 真琴が黙りこくってしまう。


(……ちょっと厳しすぎたかしら)


 誰より辛いのは、他でもない千冬ちふゆだった。


 千冬ちふゆは、薮原やぶはらのことが大好きだ。


 それは甥っ子としてもそうだし……異性としても、意識していた。


 本当だったら自分が薮原やぶはらを愛したい、彼の子供を産みたい、彼と家庭を持ちたい……。


 でも、彼女は選んだのだ。

 恋人としてではなく、叔母として、薮原やぶはらの家族として……彼を幸せにするのだと。


 真琴は確かに良い女だ。

 良妻としての技術スキル、明るい性格は、きっと薮原やぶはらを幸せにしてくれるだろうと信頼している。


 だが真琴はまだまだ精神的に未熟だ。


 こんな未熟な心のまま結婚させたら、きっと、この先に待ち受ける多くの現実を前に、心が折れてしまうだろう。


(もうたっくんには不幸になってもらいたくないの……。ごめんねマコちゃん)


 ぎゅっ、と唇をかみしめる。


 なぜ席を譲るようなまねをしないといけないのか。


 千冬ちふゆのなかにある、【女】としての自分が、不満の声を上げている。


 そう、他人まことに任せずとも、自分が薮原やぶはらの女として、支えればいいいじゃないかと。


 でも……そうしなかったのは、他でもない甥っ子である薮原やぶはら本人が、真琴のことを愛してるからだ。


 薮原やぶはらの意思を、尊重し、身を引いたのである。


(でも……でもなぁ……はぁ……)


 と、そのときだ。


千冬ちふゆさん?」


 薮原やぶはらが、近づいてきたのだ。

 

「……たっくん、どうしたの?」

千冬ちふゆさんを手伝いに来たんだよ」


「……いいわ。社員の人たちと、交流してきなさいな」

「もう十分したよ。ほら、半分かしてよ」


 ……きゅんっ、と胸が甘く締め付けられる。

 薮原やぶはらは、昔からそうだった。


 誰かが困っていると、すぐに察知して、手を差し伸べてくれるのである。


 きっと千冬ちふゆが居ないことに誰よりも早く気づいて、手伝いに来てくれたのだ。


(ああ……たっくん……好きよ……)


 本当は、彼と結ばれたい。

 彼に抱かれたい。薮原やぶはらの女に……なりたい。


 ……でも。


「……いいのかしら。私に優しくしたら、マコちゃんが嫉妬しちゃうんじゃない?」


 通話は、まだ続いている状態だ。

 真琴は黙っている。


「ははっ、だろうね。あいつ今日やたらとラインしてきてさ」


 でも……と薮原やぶはらが苦笑しながら言う。


「真琴は、俺が誰かに優しくするのを、禁止するようなやつじゃないからさ」


「…………」


「あいつはまあ、確かにちょっと嫉妬深いけど、だからといって他人への気遣いができない女じゃ決してない。困っている人が居て、それを見過ごすことを許容するような、器の小さな子じゃないよ」


「……詳しいのね」


「あったりまえじゃん。あいつはずっと俺の弟分だったんだぜ? あいつのことは……よく知ってるよ。良いやつだってさ」


 ああやっぱりね、と千冬ちふゆは確信を持つ。


 今回の件は、あくまで真琴への課題だ。


 薮原やぶはらを試すつもりはない……というか、端っから必要ない。


 薮原やぶはらは、一分の隙も無いくらい、真琴を深く深く愛してる。


 だからたとえ同じ部屋に女が泊まろうとも、なびくことはない。


 千冬ちふゆ薮原やぶはらを、誰より信頼していた。


 ……だからこそ、悲しくなる。

 それはつまり、完全に、千冬ちふゆのことを、女としてみてないということ。


 自分の入る余地が、全くないということを……。


 長く一緒に居るからこそわかっているから……。


「……うん。100点」


 それでも、千冬ちふゆは。

 薮原やぶはらの幸せのために、支えるのだ。


 たとえ叶わぬ恋だとしても、幸せな姿を見せられ、ズタズタに心が引き裂かれてようとも。


 薮原やぶはらの幸せを、そして……真琴の幸せを、応援する。


「…………」


 いつの間にか、通話が切れていた。


 しゅぽんっ、とラインが送られてくる。


【ごめん、スパイは……もういいや。ごめんね】


(うん、正解よ、マコちゃん)


 千冬ちふゆが、さみしそうに微笑む。


 二人の仲が深まるほどに、自分の、薮原やぶはらと付き合うという可能性が遠のいていくから……。


 でも、それでいいのだ。

 自分が幸せになることが、彼女の幸福のぞみでは、ないから。


「どうしたの、千冬ちふゆさん?」


「……なんでもないわ。ありがとう、たっくん」


(がんばれ、マコちゃん。がんばれ、たっくん。……がんばれ、私)


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