30話 元婚約者が謝ってくるけどもう遅い



 俺は年下幼なじみの真琴に、告白した。


 晴れてカップルになれた。


「じゃ、やろっか♡」


 最寄り駅からの、帰り道。


 隣を歩く真琴がニコニコしながら言う。


 当然のように俺たちは手をつないで歩いていた。


「やるって?」

「これに決まってるでしょ~♡」


 真琴はポシェットから小さな箱を取り出す。


 それはいつぞや、真琴が薬局で購入した、コンドームだった。


「おまえ……早すぎんだろ」

「そう? だって恋人になったんだよ? 気にする理由ある?」


 それとも、と真琴が続ける。


「私の体……抱きたくない?」


 胸元をぐいっ、と指で引っ張ってわざと見せてくる。


 ぷるんと躍動する大きな乳房が見えた。


 正直……抱きたい。


「ねえねえ?」

「……そうだな。じゃあ、帰ったらな」


「やったー♡ んふふ~……真琴ちゃんの予言通りになりましたなぁ~♡」


「予言……ああ、あれ」

 

 真琴はコンドームを購入したとき、来週か今月中には使うことになるだろう、と言っていた。


 まさか本当に的中するとは……まだ俺、真琴と再会して1ヶ月もたってないぞ……。


「やー楽しみだな~♡ 明日は日曜日だから、もうい~~~~~~~~っぱいしようね♡」


 これからの甘い時間に思いをはせながら……。


 俺は、マンションの前にたどり着いた……。


 そのときだ。


貴樹たかき!」


 マンションの前に、一人の女がいた。


 幸せな気分から一転、冷や水をぶっかけられたような気持ちになる。


「かすみ……」


 犀川さいかわ かすみ。

 俺の、元婚約者。


 大学時代から付き合っていて、結婚するために、俺は実家である長野を出てきて、東京へとやってきた。


 だが俺が東京で一人暮らししながら待っている間、かすみは堂々と浮気していた。


 そして今年度の夏に、一方的に別れ話をつきつけてきた。


貴樹たかき! 待ってたのよ! あなたなかなか帰ってこないから……!」


 こびへつらうような笑みを浮かべながら、かすみがこちらに来る。


 ……でも、なんでだろう。


 昔は、見ているだけで幸せになったかすみの顔が。


 ひどく醜く感じる……むしろ、不快感を覚えるほどだ。


「って、貴樹たかき……だれよ、その女?」


 かすみが近づいてきて、俺の隣に居る真琴に気づいたらしい。


 俺と真琴……そして、手をつないでいるところを見て、声を震わせる。


「ま、まさか……恋人、なわけないわよね?」


 かすみが声を震わせながら言う。


「あなたみないなのが……こんな美人と付き合えるわけ無いわよね?」


 かすみの言い方に腹が立った。


 なんだ、俺みたいなのって。

 まるで俺には恋人なんてできるわけないとでも、思ってるのか?


「なに、オバサン? 急に失礼じゃない?」


 ずいっ、と真琴が一歩前に出て、まっすぐにかすみをにらみつけて言う。


「お、おば……」


 びきっ! とかすみの額に血管が浮かぶ。


「誰がオバサンよ! 失礼なガキね!」


「なに、子供の言葉にマジギレしてるの? もしかして、最近年増だからって理由で男に捨てられたとか?」


「だ、だ、黙りなさい……! 大人をからかうんじゃ無いわよ!」


「いい大人が、なに夜に大声出してるの。大人のくせに、マナーがなってないんじゃ無い?」


 真琴にあおられ、かすみが顔を真っ赤にする。


「この……! 言わせておけば……!!」


 かすみが手を上げる。


 パシッ……!


「お兄さん……」「貴樹たかき!?」


 俺はかすみの手をつかんで止める。


「やめろ」

 

 ぎゅっ、と力を少し込める。


「わ、わかったわ! ごめんなさい、貴樹たかき……もう感情的にならないから……」


 俺はその言葉を、まあいちおう信じてやることにする。


 かすみが安堵の息をつく。


 俺は真琴を下がらせ、かすみの前に立つ。


「何のようだ?」


 かすみはここへ来た理由を思い出したのか、深呼吸をして、冷静になろうとする。


「……あなたと、よりを戻したくてきたの」


「「は……?」」


 真琴は、呆然としていた。

 俺も……言葉を失っていた。


 よりを、戻す?

 何を言ってるのだ、こいつは……?


「私……間違ってたわ。私のこと一番愛してくれたのは貴樹たかきだったのね。ごめんなさい、気づいてあげられなくって」


 かすみによる演説は続く。


「あなたと別れて初めて気づいたの。あなたって優しかったんだって。私は間違いに気づいたわ。ほんと……バカな女ね……。でもあなたも悪いのよ。あなたがもっと愛してくれるってアピールしてくれてたら、間違えることも無かったわ」


 少し自分に酔ってるのか、かすみが情感たっぷりに長いセリフを言う。


 だが俺はあきれていた。


 こいつ、なに自分が悪い癖に、俺も悪いみたいな言い方してんの?


 真琴も同感らしく、首をかしげていた。


「私たちは、間違った。でも……間違いに気づいた今! 私たちは、もう一度やり直せると思うの」


 かすみが俺に手を向けてくる。


貴樹たかき……もう一度、やりなおしましょう?」


「お断りだ」


「……………………………………え?」


 かすみが、体を硬直させる。


 顔もこわばり、目だけが不気味にぎょろぎょろと動く。


「な、何かの……聞き間違え、かしら?」


 聞こえないふりとかアホらしい。

 本当はさっさとさよならしたいが、追いかけられても困る。


 だから、はっきり言ってやる。


「違わなくない。お断りだって言ったんだよ。おまえとよりを戻すのなんて……ごめんだ。てゆーか、無理!」


 くらり……とかすみが体をよろけさせる。


「ど、どうして……?」

「どうしてだと……おまえ、自分が何したかわかってんのか?」


 俺は、この数年ため込んだ鬱憤を、吐き出すようにして、かすみにぶつける。


「おまえのわがままに、こっちはどれだけ付き合わされてきたのかわかってるの? 確かに俺はおまえのことが好きだったよ。好きだったさ。でもそんな俺に対しておまえは何をした? 平然と浮気して、切り捨てたのはおまえじゃないか」


 なのに、と俺は続ける。


「今更やり直しましょう? ふざけるのも大概にしろ。おまえみたいな身勝手な女、こっちからお断りだ!」


 俺は真琴を抱き寄せる。


「それに俺にはもう、結婚前提として付き合ってる恋人がいるんだよ」


「お兄さん……」


 潤んだ目を俺に向けて、はにかむ真琴。


 一方でかすみは……大いに焦っていた。


 額には脂汗がだらだらと浮かび、厚化粧がこぼれ落ちていく。


「う、嘘よ……そんな美人と……付き合えるわけが無い……」


「嘘じゃないもん!」


 真琴は俺の頬に、ちゅっ、とキスをする。


「私はお兄さんのものだもん! お兄さんは……私だけのものだもん!」


 俺は真琴を片手で抱き寄せ、崩れ落ちているかすみを見下ろして言う。


「そういうことだ。今更謝られても、許すつもりもないし、よりを戻す気も毛頭無い。もうお互い、これっきり二度と会わないことにしようぜ」


 俺は真琴をつれて、かすみの横を通り過ぎる。


 俺は宣言通り、後ろを決して振り返らない。


「ま、待って! 待ってよぉ……!」


 悲痛なる声でかすみが叫ぶ。

 

「私……私これからどうすればいいの!?」


 ……それは、いつぞやのワンシーンと、とても似た光景。


 そう、あれは俺がかすみから、別れ話を持ちかけられたとき……。


 俺は今のかすみと同じく、これからどうすればいいのか尋ねた。


 俺は、言ってやる。

 かつて、こいつ自身が俺に向けて……言った言葉を。


「さっさと切り替えて、新しい恋人でも、作れば良いんじゃないか?」


「ぁ……う……ぐぁ……」


 かすみが言葉をつまらせているようだ。


 そりゃそうだ。

 自分自身が、相手に向けて言った言葉が、そっくりそのまま返ってきたんだから。


 真琴は振り返り、冷ややかに言う。


「まー、もっとも、あんたみたいな性格ブスの女を、相手してくれる人なんているわけないと思うけどね」


「おい、あんなの見るなよ」


「はーい」


 俺は真琴と手をつないで歩き出す。


 がしっ、とかすみが俺の足にしがみつく。


 だが俺は強く払って、前に進む。


「俺はもうこいつと新しい生活を始めてるから。もう二度とと関わらないでくれ」


「……で、でもぉ……」


「これ以上つきまとうようなら、警察を呼ぶ。弁護士も呼ぶ。慰謝料を、請求する」


「い、慰謝料……?」


 当然だ。

 俺はこいつに結婚を前提とした付き合いをしていた。


 故郷を捨てて彼女の元へ生きたのに、浮気された。


 精神的な苦痛を、慰謝料という形で請求して……何が悪い?


「俺は大事にしたくない……というかこんなことに時間を取られたくないんだ。二度と会わない、お互い……違った道を歩く。これで手打ちにしてやる」


「………………」


 かすみは何も言ってこなかった。


「それじゃあな」


 俺は真琴を連れて歩き出す。


 かすみに絶縁をつきつけても、全く心が痛まない。


 あの日、かすみにフラれたことでできた胸の傷は、もう完全に塞がっていた。


貴樹たかきぃ~……貴樹たかきぃ~……ごめんなさぁい~……」


 今更謝られても、もう遅い。


 俺の心は、体は……もうすでに。


 優しくて可愛い、嫁さんのものになっているのだから。

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