22話 真琴、悶える



 薮原やぶはら 貴樹たかきが、真琴の看病をした、翌日。


 熱が下がった真琴を確認して、薮原やぶはらは今日、普通に出社していった。


 真琴は薮原が出て行った後……


「うわぁああああああああん! やっちゃったぁあああああああああい!」


 彼のベッドのうえで、顔を手で覆い、悶えていた。


 手のひらの向こうには、顔を真っ赤した真琴が居る。


 ただし、熱がぶり返したからではない。


 純粋に、恥ずかしかったから、だ。


「なんでぼく、寝たふりしちゃったんだよぉおおおおおお! んもぉおおおお! ぼくのばかばかばかーーーーーーーー!」

 

 昨晩、薮原の告白……。


 実は、真琴は聞いていたのだ。


 ばっちりと、そりゃあもう、しっかりと。


 ーー好きだからだよ。


 薮原からの告白を聞いて、天に昇る気持ちになった。


 そのまま返事をすれば良かったものを……。


 結局、寝たふりをして、聞こえなかったふりをしてしまったのだ。


「でもでも! しょうがないじゃんっ! だってこんな……急だったわけだし! 心も体の準備もできてない状況だったし!」


 真琴は自分で言っていて、ぼふんっ、と顔をさらに赤くした。


「あぁあああああああああああ!」


 彼女の胸中を渦巻くのは、羞恥心、そして……後悔。


 あのとき、自分も好きと答えていれば……。


 あのまま二人は幸せに、結ばれたというものを……。


「でもでもでも! だって! いやじゃん! もっと告白は……ムードのあるとこで、ロマンチックにしてほしいよ! なんですっぴんでパジャマ姿って言う、最高にだらしない、ムードもへったくれもないとこで告白劇繰り広げないといけないんだよぉぉおおう!」


 ……とは言いつつも。


「ああでもあそこでオッケーしとけばぁああああああああ! うわぁああああああああん!」


 やはり、薮原と特別な関係になりたい気持ちが、最も大きかった。


 真琴は昨日の看病で、すでに彼への好きという気持ちが、カンストした。


 もとより彼のことは愛していたが……。


 あんな風に、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、しかも、優しくしてくれて……。


「惚れちゃうに決まってるでしょぉーーーーーーーーーーー! んもぉーーーーーーーーーーーーー!」


 昨日の看病を思い出して、思わず口元がにやけてしまう。


 なんと幸せな時間だったろうか。


 ……だからこそ。


 あそこでOKしなかったことが、非常に悔やまれる。


 なぜならOKしていれば今頃、あの甘い時間が、この後もずっと続いていたのだから。


「お兄さん好き! 好き好きっ! もう愛してる! もう訳わかんないくらいお兄さんのこと大好きで、頭の中いっつもお兄さんのことばっかり考えてるっ!」


 ……と。


「何であの場で言えなかったんだぁあああああああああ! 変な意地張ってもぉおおお! ぼくもばかぁーーーーーーーーー!」


 薮原が会社に行ってからずっと、この調子である。


 彼女にとっての、千載一遇のチャンスを、自ら逃してしまった。


 悔やんでも悔やみきれない。


「でも……へへっ♡ うへへへ~……♡ 好きだから、かぁ……」


 真琴は昨日の薮原の告白を思い返して、幸せな思いで胸いっぱいになる。


 ジャブは、してきた。彼が自分に振り向いてもらえるように、一生懸命努力してきた。


 好意を、少しずつ向けてきてくれていることは、わかった。


 でも本心はわからない。

 もしかしたら、嫌われてるのかもしれない。ほかに、好きな子がいるのかもしれない。


 自分の、勘違いなのかもしれない。


 真琴は常に不安だった。

 彼が自分を振り向いてくれなかった……どうしようと。


「好き……好き……♡ 好き~……♡ えへへ~……♡」


 真琴は薮原の枕を抱きしめて、何度もつぶやく。


 彼からの告白を、何度何度も、何十何百、何千回と……脳内でシーン再生する。


 枕を薮原に見立て、ちゅっちゅ……♡ とキスをする。


「ぼくもお兄さんのこと、大好きだよ♡ ……違うな」


 真琴は真剣な表情で、告白の返事を、どうするか考える。


「私もお兄さんのこと愛してます……? 私もお兄様を永遠に愛し続けますわ……? な、なんて言えばいいんだろう?」


 真琴はスマホを取り出して、検索する。


 告白、返事、かわいらしく。


 などなど、男が喜んでもらえるような、返事の仕方を真剣に調べる。


「ふむふむ……なるほど……」


 と、そのときである。


 PRRRRRRRRRRRRRRRRR♪


「どわっ!」


 薮原やぶはら 貴樹たかきの文字が。


 ドキドキっ! と心臓が高鳴る。


 真琴はぴょんっ、と飛び起きて、正座を為ながら答える。


「も、もひゅもひっ!」


 いや……もひゅもひっ、って……。


 緊張しすぎー! と心の中で絶叫する。


『真琴。元気か?』

「う、うん……元気だよ」


『そうか。すまんな、会社を午後、早退しようと思ってたんだかが、ちょっと仕事が山積みでさ』


 真琴は、胸がきゅーっと締め付けられる。


 自分のために、会社を休んでくれようとしてくれた、なんて……!


(ああ、お兄さん好き……好き好き♡ 好き好き好き好き好き好き好き好き♡)


『真琴?』

「すき!」


『…………え?』


(しまったー! 心の中の声がぽろっと出てしまった!)


 真琴は顔を真っ赤にして、目をぐるぐる巻きにしながら言う。


「すき焼き! すき焼きがいいな、今日!」


(なぜごまかすぅうううううううううう!)


 真琴は己のへたれ具合を呪った。


『おっけー。わかった。すき焼きな。帰りに具材を買って帰るから。おとなしく寝てなさい』


「は、はい……♡」


 胸の高まりを抑えきれず、真琴はそんなかわいい声を出してしまう。


 この人に早く、すべてを捧げたい。

 彼のものにして欲しい。


 自分を、抱いて欲しい……。


 そんな思いが真琴の頭の中を、体中を駆け巡って、そんな女っぽい声が出てしまったのだ。


 ようするに、もう身も心も、メロメロ状態なのである。 


『昼飯は適当に冷凍のうどんでも作って食べてくれ。薬はちゃんと飲むこと』


「はい、わかりました……」


 もう恋人モード通り越して、妻モードになっている真琴。


 この状態で今もし、薮原やぶはらから何を命令されても、従うだろう。


 裸になれと言われれば素直に脱ぐし、加えろなどと、乱暴に扱っても喜んで彼を、悦ばせることをした。


 ……理性のたがが、外れてる状態だった。


 とはいえ薮原やぶはらは、真琴がそんなある種暴走モードに入っていることに、全く気づいていない。


『それじゃあな』


 スマホが切れると同時に……。


 真琴は、これ以上ないってくらい、とろけた、幸せな表情になる。


「お兄さん好き♡ 好き好き♡ 好きーーーーーーーーーーーーーーー♡」


 真琴はもう元気百倍どころの騒ぎじゃなかった。


 ベッドの上でコロコロと転がって、薮原やぶはらと会話できたことの喜びを、体いっぱいに表現する。


 自分のことを心配してくれる薮原やぶはらが好き。


 休みを取ってまで帰ってきてくれようとしてくれた薮原が好き。


 もう、彼の何もかもが、大好きだ。


「ああもう……からだが……熱いよぉう……♡」


 それは風邪を起因とするものじゃない。


 彼への好きという感情が、真琴の心と体に溢れかえっているからだ。


 きゅんきゅん……と下腹部が切なくうずく。


 もう真琴の体は、彼のものを、入れる準備が、出来上がっていた。


 早く彼を受け入れたい。

 彼が欲しい。


 彼の赤ちゃんが、欲しい……。


「ん……んぅ……ふっ……ふぅ……」


 真琴は知らず、【行為】をはじめていた。


 愛する男の匂いのするシーツを口に噛んで、何度も何度も、繰り返す。


「ひゅき……♡ ひゅきぃ~……♡」


 もう、この気持ちを抑えきれなかった。


 やがて……疲れ果てて気を失う。


 ……そして目を覚ます頃には、夕方になっていた。


「うん。帰ってきたら、もう押し倒しちゃおう」


 真琴の瞳に、決意の炎が浮かんでいた。


 もうムードとかどうでも良かった。


 いちはやく、彼に思いを伝えて、結ばれて、幸せな関係になりたい。


「お兄さんまっすぐ帰ってくるだろうし、絶対。だから……玄関開けてすぐに、抱きつくんだ。そんで、言うの、好きって!」


 ふんすふんす、と真琴が鼻息荒く言う。


「大丈夫……だいじょーぶ! お兄さんは昨日、好きって言ってくれたんだ。絶対絶対、100%、上手くいくよ!」


 と、そのときである。

 

 がちゃ……!


「鍵が開く音……お兄さんだっ!」


 真琴はベッドから飛び降りて、廊下へと向かう。


「お兄さーーーーーーーーーーん!」


 真琴は一目散に彼の元へ駆け寄って、腰に抱きつく。


「お帰り! そんで、大好き!」


【その人物】に抱きついたまま、真琴が早口に言う。


「ぼくね好きなんだ! お兄さんのこと、愛してるんだっ!」


 ……よし、ちゃんと言えたぞ!

 真琴は達成感でいっぱいになった。


「…………」

「え……?」


 だが……返事が、ない。

 というか、なぜか困惑してる……向こうが……。


「って、あれ……?」


 薮原やぶはらにしては……腰が細い。


 それに、スカート?

 あれ……?


「え、お兄さん……じゃ、ない?」


 見上げた、そこにいたのは……。


「あ、あなた……誰?」


 ……薮原やぶはらの叔母である、桔梗ヶ原ききょうがはら 千冬だった。


「ど、どちらさま……?」


 真琴は、薮原やぶはらと勘違いして、千冬に抱きついていたのだ。


「「え……?」」


 ふたりとも、困惑する。

 そして……。


「「えぇ……!?」」


 やっと、お互いに、異常事態にいることを、理解したのだった。

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