19話 真琴、風邪を引く
俺たちが噴水に落ちた翌日……。
「うぅ~……風邪引いたぁ~……」
俺のベッドの上で、真琴が仰向けに寝ている。
けほけほ……と咳き込む。
「まあ仕方ない。3月の夜に、水浸しだもんな」
俺は真琴から体温計を回収する。
「37,8℃……風邪だな。今日はおとなしく寝てな」
「うん。そーするー……けほけほ……」
俺は立ち上がって、彼女を見下ろす。
「ごめんね……お兄さん。朝ご飯用意できなくて」
「あ? 何言ってるんだよおまえ……ったく」
俺は真琴の頭をなでる。
「そんなの謝る必要ない。つーか、そもそも子供に全部任せるのがおかしいんだからよ」
「お兄さん……」
「安静にしてな。良い子だから」
「うん……」
俺は部屋を出て行く。
スマホの電源を入れて、会社に連絡を入れる
「あ、
電話の向こうには、俺の上司であり部長の、
「はい。ちょっと体調悪くて……え? いやいや、来なくて良いんで。大丈夫なんで、うん。……え? いやいや! だからほんと大丈夫だから! 来ないでよ、絶対来ないでね!」
ぴっ……。
「はぁ……心配しすぎなんだよ、あの人……」
ちょっと過保護なとこがあって、さっきも風邪で休むって言ったら、めちゃくちゃ心配してきた。
まあ……心配させちまったのは申し訳ないし、嘘ついたのは気が引ける。
でも……いいんだ。
「さて……と。おとなしく寝てるかな……?」
俺は寝室へ戻る。
「ぐす……え?」
「え?」
俺たちの目線が、バッチリ合う。
……真琴は、泣いていた。
「あ、いや……ごめん。ちょっと……」
真琴が慌てて、目元を拭う。
だが、はっきり見えた。彼女の、涙が。
「そ、それより……お兄さん、どうしたの? 会社は?」
「ああ、休んだ」
「や、やすんだっ?」
あまりにびっくりしてるのか、目をまん丸にしている。
はは、かわいいやつだな。
俺は戻ってくるときに、取ってきた、冷えピタを真琴の額に乗せる。
「……なんで、休んだの?」
真琴が小さく、弱々しくつぶやく。
病床の彼女は、あまりにも弱々しく……そして。
あまりにも、はかなげで。
いつも以上に……しおらしく、女らしくて……。
……ドキリ、とさせられた。
「……お兄さん?」
「あ、ああ……えっと、休んだ理由か。んなもん、決まってるだろ」
俺は真琴の目元を、指で拭う。
「おまえのために、決まってんだろ。おまえ……風邪の時に一人になるの、嫌いだもんな」
ぽんぽん、と真琴の頭をなでる。
「……覚えてて、くれたんだ」
「おう、ったりまえだろ」
真琴と俺は、昔からの付き合いだ。
平常時には元気いっぱいの彼女だが。
しかし風邪をひいて、がちで体調不良の時。
一人で寝込んでいるのが、嫌いなんだよ。
さみしいんだってさ、普段以上に。
心細くて。
「風邪っぴきな大事な弟分をおいてく、兄貴がどこにいるよ?」
「う……うぅ……うぅううー……」
真琴が、布団で顔をすっぽりを覆う。
「なんだよぉ~……ずるいじゃん……こんなの……ずるだよぉ~……」
泣いてる、のではないだろう。
声の感じからして。
「お兄さんのあほぉ~……」
「アホとはなんだ、失礼だな」
真琴が布団の中で、くぐもった声で、ちいさくつぶやく。
「……こんなのされたら……ますますほれちゃうじゃん……」
「え、なに?」
にゅっ、と真琴が顔を出す。
熱が出てるからか、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
潤んだ瞳はどこか非難するように細められ……。
しかし、ふっ……と小さく淡く、微笑む。
「ありがと、お兄さん……」
「おう、気にすんな」
★
午前中、真琴に風邪薬を飲ませて、飲むゼリーを与えたところ。
彼女はすぅすぅと寝息を立て始めた。
だらだらと汗をかいていたが、うん……これならすぐに治るだろ。
「暇になっちまったな……」
俺は真琴のそばを離れて、部屋の掃除でもする。
「…………」
掃除も何も、部屋はぴっかぴかだった。
床にほこりは一つも落ちてない。
洗濯物が、だらしなく放置されてない。
使い終わった食器はすべて洗って元の棚に戻されている。
トイレも風呂場も、ぴっかぴかだった。
「そうか……あいつ。家で……ずっと掃除してたんだな。俺が……快適に、暮らせるようにって」
改めて、真琴の家事スキルの高さに愕かされ……。
改めて、真琴の、心遣いに……感謝する。
あいつ、ほんと……できた嫁だな。
「嫁……嫁、か……。」
……俺は一人、ソファに座る。
かち……かち……かち……と進む時計の針の音。
一人きりで、ひとりぼっち。
別に今までもそうだった。
かすみと別れてから、真琴が来るまでの間。
会社から帰った後、休日……。
俺はずっとひとりだった。
それで、良いと思っていた。
孤独でも大丈夫だと思っていた。
……けれど。
「…………」
静かな部屋に一人ってのが、どうにも、据わりの悪い感じがする。
あの明るい笑顔も、聞いてるだけで元気になる声もないと……落ち着かない。
ふとしたときに隣に真琴がいないことが、すごい、すごい……気になる。
……彼女の家事スキルとか、料理スキルとか、それももちろん、まあ役に立っているけど……違うんだ。
そんなの、どうでもいいんだ。
部屋が汚れてようと、飯がコンビニ飯だろうと……、俺は、耐えられる。
……俺が、一番耐えられないのは。
なくては、ならないのは。
「ああ、くそ……。認めざる、を得ないのか……」
と、そのときだった。
PRRRRRRRRRRRRRRR♪
「どわっ! な、なんだ電話……?」
俺は飛び上がって、ポケットからスマホを取り出す。
「
安茂里ひな。俺の会社の後輩だ。
俺は通話ボタンを押して、会話する。
「どうした?」
『せんぱいっ、大丈夫ですか! 風邪って聞きましたけどっ?』
電話の向こうから、後輩の元気な声がする。
「ああ、うん。大丈夫だよ」
本当は俺が風邪引いたわけじゃないし、それに真琴の風邪も良い感じになおるだろうからな。
『そ、そっかぁ~……よかったぁ~……』
深々と、彼女が安堵の吐息をつく。
「心配させちまったようだな。悪い、
『いいえっ! ご無事で何よりですっ!』
「おう。明日には会社いくからさ。迷惑かけてごめんな」
『いいえっ、大丈夫です! 仕事は回りますから気にせず! ゆっくり休んで体を治してください!』
「サンキュー」
電話を切ろうとしたのだが……。
『あ、あの……せんぱい?』
電話の向こうで、安茂里が尋ねてきた。
『その……せんぱい。あの……えっと……』
「? どうした、何か仕事で聞きたいことでもあるのか?」
『あ、いいえ! 仕事じゃ、なくてですね……あの……プライベートで……その……』
ハキハキしゃべる彼女にしては、珍しく口ごもっていた。
『や、やっぱなんでもないです! お大事に!』
ぴっ……。
つーつーつー……。
「なんなんだ……?」
PRRRRRRRRRRRRRRRRR♪
「また電話……今度はアンナ先輩か」
ぴっ……。
『あ、もしもーし。
「先輩、お疲れ様です」
『あれ、結構元気そう?』
「ええ、おかげさまで。ご心配をおかけしました」
先輩まで俺の体調を気にしてくれてたのか。
あそこの会社は、ほんといい人ばかりしか居ないな……。
『大丈夫? 看病にいこっか?』
アンナ先輩からの提案に、しかし、俺は断る。
「いえ、大丈夫です」
『でも風邪引いてるときにひとりって、つらくない? さみしくない? お姉さんが添い寝してあげよう♡』
ウキウキ声のアンナ先輩。
確かに、社内一の美女が隣に寝てたら、元気になれるかもしれんな……。
「遠慮しておきます」
『………………それって、社内の空気を悪くするから、遠慮してるの?』
ようするに、人気ナンバーワンな彼女にプライベートの世話魔でしてもらったら、角が立つ。
それを俺が危惧してるのか、と聞いてるんだ。
『私は、気にしないよ。誰にどう思われても。他人の目よりも君のことが大事だもの』
ああ、ほんと……優しい先輩だな、この人は。
『ま、君が気にするなら……無理強いしないけど』
すぐに察してくれたのか、折れてくれた。
「ありがとうございます。自分のことは自分でやるんで、いいです」
『ん。りょーかい。あーあー、フラれちゃったな~。せーかく、君の仕事、結構肩代わりしてあげたのに~』
ああ、やはりそうか。
俺が休んでるってことは、誰かが俺の仕事の穴を埋めてるってことだろうし。
やってくれるのならアンナ先輩だろうと思っていた。
安茂里はまだまだ、自分の仕事で手いっぱいだろうからな。
『これは埋め合わせがほしいなぁ~』
「わかりました……じゃあ、今度飲みに行きましょう」
『うん! 絶対だよ! いい、絶対約束だからね! はぐらかしたらだめだからね!』
「わかってますよ」
『やったー!』
そんなに誰かと飲みたかったのかな。
まあ仕事の愚痴を、着替えるに言えない立場だもんな、あの人。人気者だし。
『それじゃ
「ええ、おやすみなさい」
ぴっ……とスマホを切る。
ふぅー……。
二人からも心配されてしまった……。
PRRRRRRRRRRRRRRRRR♪
「ああ、三人か……」
また叔母さん……
『大丈夫たっくん? 熱は? 今からそっち行こうか? スポーツドリンクちゃんと飲んでる? うなされてない? 添い寝してあげようか?』
「ああもう、大丈夫ですから!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【★あとがき】
モチベになりますので、
よろしければ↓より、
星をいただけますと嬉しいです。
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