16話 氷帝と恐れられし上司から溺愛されてる




 アンナ先輩にぐいぐいとこられた翌日。


 おれの務めているスターライズ・クリエイティブ。


 営業部のオフィスにて。


「……薮原やぶはらくん。少し、良い?」


 俺のデスクに、一人の美しい女性が現れる。

桔梗ヶ原ききょうがはらさん……」


 俺の直属の上司、営業部の部長……。


 桔梗ヶ原ききょうがはら 千冬ちふゆさん。


 男の俺とほぼ同じくらいの、高い身長。


 すらりと長い足は、黒タイツで包まれている。


 光の感じで、群青色に見える長い髪の毛を、バレッタでアップにしている。


 驚くべきは、そのおっぱいの大きさだ。


 アンナ先輩もなかなかの物を持つが、桔梗ヶ原ききょうがはらさんのは、別格。


 なんかもう……異次元の大きさをしてる。


「な、なんでしょう……? 桔梗ヶ原ききょうがはらさん?」


 ぴくっ、と彼女のこめかみが動く。


「「「ひぃ……!」」」


 近くに居た男性社員達が皆、恐れをなして顔を青くする。


 あれににらまれた怖いよなぁ……わかる。


「……少し話があるの。ちょっといいかしら」


「あ、はい。わかりました」


 俺は普通に立ち上がって、彼女のもとへいく。


「薮原……!」


 隣のデスクの男性社員が、敬礼をする。


「死んだな」「骨は拾ってやるよ」「次回、薮原死す! デュエル、スタンバイ!」


 男性社員たちが、俺を心配? してくれる。


「大丈夫だって。すぐ戻るから」


 俺は桔梗ヶ原ききょうがはらさんの後に続く。


「薮原が【氷帝】に呼び出されたらしいぞ!」


「まじかっ! あのおっそろしい部長に!?」


桔梗ヶ原ききょうがはら部長……まじこわいもんなぁ……」


「美人だし、おっぱいでけえけど……あれは無理だわ……怖くて近づけん……」


 周囲がざわついている。


 まあ……あの人、黙ってるだけで威圧感あるよな。


 てゆーか、氷帝って。

 たいそうなあだ名がついてるな……。


 俺は桔梗ヶ原さんとともに、オフィスと離れる。


 談話室、というものがこの会社には存在する。


 面談などの目的で使われる部屋だ。


 俺の務める、SRクリエイティブの方針として、何か困ったことがあったら、すぐに上司に相談すること。


 というものがある。


 SRの社長の方針なんだってさ。


 桔梗ヶ原さんと俺が、談話室に入る。


 四畳半くらいのスペースだ。


 机が一つあって、椅子が二つ。


 俺が椅子に腰掛けよとした……そのときだ。


 ぎゅっ……♡


「…………」


 氷帝と恐れられし、部長が。


 俺のことを、正面から、優しくハグしてきたのだ。


「もが……き、桔梗ヶ原ききょうがはらさん……?」


 彼女の大きすぎる胸に、俺は顔を埋めている。


 なんてこった、おっぱいに、窒息しさせられそうだ。


 しかも、大人の女性の匂いがして……くらくらするし!


「【たっくん】……駄目よ。二人きりの時は、【千冬ちふゆ】って呼んで」


 この場に真琴がいたら、浮気者ー! と言われるかもしれない。


 俺をたっくん、彼女を麻衣さん……なんて、普通恋人だと勘違いされてしまうだろう。


 ……ちがう、違うんだよ。


「ご、ごめんなさい……【叔母さん】」


 なんとこの桔梗ヶ原ききょうがはら 千冬さん。


 俺の……叔母なのだ。


 正確に言うと、俺の母さんの、妹さん。


 俺は、24歳。

 母ちゃんは、42歳(18で俺を生んだ)。


 そして千冬さんは……29歳。


 アラサーだが外見的な美しさには全く衰えを感じさせない。


 女子大生といっても通じるくらいだ。


「たっくん……こら」


 こつんっ、と桔梗ヶ原ききょうがはらさん、もとい、千冬さんが俺の額をつつく。


「年上の人にさんは、駄目でしょう? おばさんなんて言っちゃ」


 叔母さん、って意味で言ったのだが、そっちの意味に捉えているらしい。


「ご、ごめん……千冬ちふゆさん」


「はい、よろしい♡ よくできました♡ たっくんは偉い偉い♡」


 ふにゃりと笑みを浮かべると、千冬さんが俺の頭を、よしよしとなでる。


 千冬さんは俺のガキの頃を知っている。


 特に、千冬さんは末っ子だったこともあって、姉の息子(俺)を、それはそれは溺愛しているのだ。


 とはいえ、会社ではみんなの前ということもあって、大人の対応をする。それが氷の女帝モードってわけだ。


 ややあって。


 俺たちは談話室の椅子に座って話す。


「それで千冬さん、どうしたんですか、俺を呼んで?」


 彼女は怖い面持ち(普段通り)で、俺に言う。


「聞いたわ。……婚約者にフラれたんですってね」


 まあ、遅かれ早かれ知るところになるよな。

 出どころは母ちゃんか……いや、もう社内で結構噂になってるしな。


 後輩に聞かれ、ハッキリ答えたし。


「たっくん、どうして、黙ってたの? どうして私に相談してくれなかったの?」


 本気で心配そうにしながら、千冬さんが言う。


「良い弁護士を紹介したわ」

「い、いや……良いって千冬さん。もうすんだことだし」


「駄目よっ!」


 だんっ! と千冬さんがテーブルをたたく。


「世界一愛らしい、私の大好きで大事なたっくんの心を! あの女は傷つけたのっ! 絶対に許さないわ! 徹底的に叩き潰す!」


 マジギレしてる千冬さんは、氷帝の名前にはじない、恐ろしい表情をしていた。


 普段クールな叔母さんが、ここまで怒りをあらわにするなんて……。


「だ、大丈夫だって……今はもう平気だから」


「いいえ、駄目よ。たっくん、今すぐ休暇を申請しなさい」


「きゅ、休暇……?」


 ええ、と千冬さんがうなずく。


「婚約者に裏切られて、あなたはさぞ心を痛めているでしょう? 会社を休んで、心をいやしましょう」


「い、いやいや! 大丈夫だっていってるじゃん!」


 ふるふる、と彼女が真面目な顔で首を振る。


「大丈夫、たっくんのお家に行って、私がいっぱい甘えさえてあげる。あなたは何もしなくてもいい……お料理も洗濯も、全部私がやってあげるから」


 ……すみません。


 すみません、もう……間に合ってるんです……。


 叔母さんは、そういえば俺が真琴と同居しているの、知らないんだったな……。


「いや、マジで良いですって」


「駄目。今夜からあなたの部屋に行きます」


「いいって! やめてくれよ……さすがに24にもなって、叔母さんに面倒見てもらうなんて……」


 ごごご……! と千冬さんの体から、凍てつく波動が発せられる。


「たっくん? 私……たっくんのこと、大好きよ。でも……おばさんって、呼ばないで?」


「あ、はい……」


 殺されるかと思った。それくらい怖い、怖すぎる……。


「はい♡ 良い子♡ 良い子♡」


 俺が素直にうなずくと、彼女は一転して笑顔になる。


 腕を伸ばして、俺を抱き寄せる。


「たっくんは強くてかしこくて、とっても偉い偉い♡」


 女神のような温かな笑顔を俺に向けて、頭をよしよししてくる。


 この人との関係は、社会人になっても変わらない。


 彼女は俺のことを、弟か、息子だと思っているんだろうなぁ。


 ……拒みたいが、このぬくもりと柔らかさは別格だ。


 いつまでもこうして甘えたくなる……。


 ……だが。


 こんなとこを、真琴まことに見られたら……。


「…………」


 俺はぐいっ、と千冬さんを押しのける。


「たっくん?」


「ごめん、千冬さん。俺もう本当に大丈夫だから。ご心配をおかけしました」


 ぺこり、と頭を下げる。


「だから、俺んちに来なくて良いです。もうお互いいい大人なんですし……麻衣さん?」


「…………」


 ボロボロ……と千冬さんが涙を流し出したのだ!


「え、ど、どうしたんですか!?」


「……ごめんなさい。そうよね。こんな、おばさんなんて、嫌いよね? うちにあげたくないよね?」


 どうやら嫌われたって思われたらしい!


「違うって! 千冬さんのことは、好きだよ」


 ぴた……と泣き止む。


「……本当?」


「うん、ほんとだって。昔から、好きだよ」


 千冬さんは顔を上げると、春の日差しのような、柔らかな笑みを浮かべる。


「そう、良かった♡」


 ほっ……良かった。


 叔母さん泣かせることにならなくて……。


「でもたっくん。本当にいいの? 私、これから毎日あなたの家に行ってお世話してもいいのよ?」


「いや、本当に大丈夫ですって。自分のことは自分でできるで」


 ……自分で言ってて、悲しくなった。


 どの口がいうだって。


 真琴のにやけづらが目に浮かぶ。


「……でも私心配だわ。たっくんが心配で心配で仕方ないの……」


 千冬さんが立ち上がって、俺に近づいてくる。


 何だと思ったら、膝の上に乗ってきた!


 俺の頬に手を置いて……。


「ちゃんと眠れてる? バランスのとれた食事とれてる?」


 どうやら白目の状態から、健康チェックしているらしい。


 二人きりだから良いけど、こんなとこ誰かに見られたら……。


 と、そのときだった。


「あ、あのっ! 失礼します! せんぱい、いらっしゃいますでしょうかっ!」


「あ、安茂里あもり!?」


 俺の後輩、安茂里あもり ひなが入ってきた。


「みなさんが、部長にせんぱいが連れてかれ、制裁を受けてるって聞いたら心配になって……て、えええええええええええ!?」


 安茂里が俺たちの姿を見て、驚愕に目を見開く。


「あわ、わわわっ、わーーーーー!」


 顔を真っ赤にしている。


 そりゃそうだ!

 はたからみれば、部長が俺の膝に乗って、イケナイことしてるように見える!


「なになに、どうしたのひなちゃん?」


「アンナせんぱい!」


 ……そこへ、なぜかロシア系美女のアンナ先輩まで!?


「あらぁ~……貴樹たかきくん、これはどういうこと……?」


 アンナ先輩が、笑顔で俺に尋ねる。

 背後からプレッシャーが!


「せせせ、せんぱいっ。もも、もしかして……ぶ、部長と付き合ってるんです!?」


 安茂里が泣きそうになりながら尋ねてくる。


 ああもうっ、めちゃくちゃだよー!

 

 この場に真琴がいなくて良かった。誤解させちまうとこだったからな。


 ……誤解? あ、あれ?

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