15話 社内一の美人先輩もグイグイ来る


 嫁布団事件から、一夜明けた。


「…………」


 俺はパソコンのモニターをぼーっと見ている。


 思い起こされるのは、昨日のキス。

 そして……嫁布団の暖かさと、心地よさだ。

 もうあんな気持ちいいのを知ってしまったら……


「こらっ、だめだよ~。貴樹たかきくん? ぼーっとしちゃ」


 背後を振り返ると、そこには銀髪の美女がいた。


 セミロングのつややかな銀髪。


 青い瞳。そして……男を魅了してやまない、豊満な体。


塩淵しおぶち先輩……」


 アンナ・塩淵しおぶち


 ロシア人のハーフの、とんでもない美女だ。


「もうっ。貴樹たかきくん。塩淵しおぶち先輩じゃなくて、アンナで良いって言ってるのに」


「いや、会社の先輩に呼び捨てなんてそんな……」


 しかも下の名前でなんて呼べない。


 なぜならば……。


「……ちっ」


 どこからか、舌打ちが聞こえてきた。


「……薮原やぶはらのやろぉ」「……おれたちのアイドル、アンナ先輩と仲良くしやがって」「……処す? 処すか?」


 男性社員たちの、視線が痛いです……。


 なんで? ただアンナ先輩と話してるだけで、どうしてここまで!?


 まあ……わからんでもない。


 アンナ先輩は、この営業部のマドンナ。


 この部署一の美人と誉れ高い。

 そんなカースト最上位の女神と会話するだけでも、おこがましいとでも思ってるのだろう……みんな。


貴樹たかきくん。何かあったの? 朝からずぅっと、ぼーっとしてるけど?」


 アンナさんが胸の前で腕を組む。


 まー……でかいんだわ、これが。


 腕の上に、どたぷんっ、て乗っかるだわ、おっぱいが。


 俺も含めて男性社員の目の保養……。


 ……なんだけど、今日に限っては、俺はそのおっぱい様を拝んでも、でけえなぁくらいの感想しか抱かなかった。


「ちょっと寝不足で」

「ふーん、仕事の悩み?」


「いや……そっちは順調なんで……」


 自分を慕う後輩、そして優しい先輩と上司がいるからな。


「じゃあプライベートだっ。何あったんだね。お姉さんに言ってごらん~?」


 ぐりぐり、とアンナ先輩が俺の頬を指でつつく。


「なにもないっすよ、マジで」

「嘘だぁ。何か隠し事してる……そうだね!」


 やべえよこの人、探偵かよ……!


 隠してること、それはもちろん、家にJKがいること。


 ……そして、その年下幼なじみJKに、俺は落とされかかっていること。


「言ってごらん? ん~? 言ってごらーん?」


 まあ……言えるわけがない!


「アンナ先輩、その、今は仕事中なんで……私語は慎まないと」


 俺は目線をそらしてパソコンにデータを打ち込む。


「ふーん……しらを切るんだ~」


 じーっ、とアンナ先輩が俺を見てくる。


 は、早く離れてくれないかな……。


「……失せろよ薮原やぶはらぁ」「……命が惜しくば消えるんだなぁ」「……殺す」


 ああほら! 男性社員達の殺意が、どんどんと上昇してるから!


    ★


 18時になって、業務終了。


「アンナさん! おれと飯どうっすか!」


 仕事になると、恒例行事がある。


 それはアンナ先輩を、みんなが食事に誘うターンだ。


塩淵しおぶちさんっ! 最近美味いフレンチ料理の店みつけたんすよ! どうっすか!」


「アンナ先輩! レイトショーで今いい映画やってるんすよ! 一緒にいきましょうよ!」


 営業部の男性社員たち全員が、アンナ先輩に言い寄ってる。


 まー。すげえ光景だ。


 ま、俺には関係ないですよっと。


「ごめんなさい、今日は用事があるのー」


「「「ええー! そんなぁ~……」」」


 アンナ先輩に断られ、絶望する男ども。


 俺は我関せずと一人で荷物をまとめて、席を立つ。


「お先でーす」


 家では真琴も待ってるし、ささっと帰ろう。

 オフィスを出て、俺はエレベーターを待つ。


 ぽーん……♪


 エレベーターが到着。


 乗り込んで、ドアを閉めようとした、そのときだ。


「あー! 貴樹たかきくんちょっとまってー!」


 ぱたぱた……とアンナ先輩がこちらにかけてくる。


「今から帰りでしょ? 一緒に帰ろう!」


「え?」


「はい扉閉まりまーす」


 ぽちっ、とボタンを押すと、エレベーターの扉が閉まる……。


「……薮原やぶはらぁ」「……てめえ」

「……アンナ先輩と二人で帰るだとぉ」「……殺すぅ」


 ……扉が閉まる際に、男どもの怨嗟に満ちた表情が見えた。


 こ、こわいよぉ……。


「あ、あの……アンナ先輩。角が立つんでその……」


「んー? あたしは気にしないよ♡」


 俺が気にするんですよ……。


 1階まで降りると、俺たちはエレベーターから出る。


「駅までいこっ」


「あ、はい……」


 先輩の頼みに、ノーと断れる後輩がどれくらいいるだろうか。


 アンナ先輩が真横にぴったりとくっついて歩く。


「あ、あの……近いっす」

「そう~? ロシアじゃこれくらい普通だよ?」


 そ、そうか……ロシアじゃこのくらいの距離感は、普通なのか……。


 ぎゅっ♡


「先輩!?」

「ん? どうしたの?」


「近い!」

「いやいや、ロシアじゃ親しい人と歩くときは、こうしてぎゅっとするの、常識だから」


 そ、そうか……ロシアじゃ常識なのか……。


 ……常識なのか?(困惑)


「え、じゃあ……他の人にもこうやってぎゅってやってるんすか?」


「まさかっ……! 言ったでしょ、親しい人とだけってね。君は特別だよっ」


「は、はあ……」


 入社したとき、いろいろ社内のことを教えてくれたのが、アンナ先輩だった。


 だが、特に好かれるようなことは、してないはず……。


 なのに、どうしてこうも、気に入られてるのだろう……?


 まあ……あれか。

 教え子だからかな。うん、多分そうだろう。

 俺たちは夜の繁華街を通る。


「ところでさ、嫁と別れたんだよね、貴樹たかきくん」


「え、いやっ! 真琴とは別れてな……………………」


「ふーん? 真琴……」


 じっ、とアンナ先輩が、俺に注目してくる。

 い、いかん!

 嫁って言葉が、真琴のことだと勘違いして、つい否定してしまった!


 あ、いや、ほら。

 あいつがずっと、嫁嫁連呼してるからさ!


 べ、別に真琴を読めって認めたわけじゃないからね!


「真琴……貴樹たかきくんのお嫁さん、かすみって人じゃなかった?」


 この人、元婚約者の名前まで知ってるのか……!


「あ、あ、はい。なので、かすみとは別れました」


「へえ……かすと、【は】。ねえ……ふーん……」


 い、いかん!

 墓穴を、自分で掘りまくってるぞ!


「ねー貴樹たかきくん。この後、暇?」


「え、な、なんすか急に……?」


 にこーっ、とアンナ先輩が笑う。


「一緒に飲みに行かな~い? 聞きたいこと、たーっぷりあるしぃ♡」


 こ、この人俺を尋問するつもりだっ!


「あ、え? で、でもアンナ先輩ほら、用事あるって言ってませんでした?」


「うん。あるよ。君とデートするっていう、用事がねっ♡」


 デート!?

 いや……単に仕事帰りに、二人きりで飲みに行くだけ……。


 あ、あれ?

 それってデート……かな?


「ねー、いこうよ。たまにはいいじゃない、ね?」


 ぐいぐい、とアンナ先輩が迫ってくる。


 社内一のロシア系美人が、俺を飲みに誘ってる……。


 ……脳裏に、真琴の顔が、写った。


「ごめんなさい!」


 俺はアンナ先輩の肩を、ぐいっと押す。


「俺もちょっと、今日は用事あるんで!」


「あ、ちょっと!」


 俺は急いで、駅へと向かう。


 一人取り残されたアンナ先輩は……。


「……これは、何かあったんだね。気になるなぁ。聞き出さないと。せっかく婚約者と別れて、チャンスが回ってきたんだから」


 少しギラついた目で俺を見ながら、何事かをつぶやいていたのだった。

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