13話 真琴の過去、彼を好きになった日



 薮原やぶはら 貴樹たかきが、岡谷おかや 真琴まことからキスされた日の夜……。


 真琴はひとり、湯船につかっていた。


「うぶ……うぶぶぶぶぶ~~~~~~」


 彼女は湯船に顔をつけて、ぶくぶくと、まるでカニのように泡をはく。


「うぼばぁあーーーーーーーーーーーーー!」


 真琴は湯船に顔を突っ込んで、もだえる。


 思い起こされるのは、先ほどのこと。


(勢いとはいえ、お兄さんにキスしてしまったぁあああああああああああ!)


 素で声を張り上げると、外の薮原やぶはらに聞こえてしまう。


 だから湯船に頭を突っ込んで、さっきから悶えるのを繰り返していた。


「べはっ……はぁ……はぁ……はぁ……」


 カラスの濡れ場のような長い髪の毛が、肌に、そして、彼女の大きな乳房に張り付く。


 真琴は自分の胸に手を当てる。


 ドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッドッ……………………


「もう、ずっと心臓こうなってる……」


 道路工事が体の中で起きてるんだろうか、と思うくらい、心臓が脈打っていた。


 理由は、単純だ。

 大好きな薮原やぶはらに、キスをしたから。


「やっちゃった……やっちまった……気持ちが高ぶって……つい……もぎゃー!」


 ざぶんっ、とまた真琴が湯船に沈む。


 頭の中では、ぐるぐると、キスした場面がリピート再生されている。


 羞恥心、後悔、そのほかいろいろな感情がない交ぜになる……。


「ばばばっだばばぁー……(※はやまったかなぁー)」


 まだ、薮原やぶはらの元へきて数日しか経ってない。


 距離を一気に詰めすぎただろうか、嫌われてないだろうか……と不安に駆られる。


「うぶぶぶう……」


 またもカエルみたいに、ぼこぼこと泡を吹く。


 でも、と真琴は思う。


(でも……しょうがないじゃん。好きって気持ちが、あふれて……止まらなかったんだもんっ!)


 真琴はダンクシュートを決めて、地面に落ちそうになった。


 そこへ駆けつけて、身を挺してでも、自分を守ろうとしてくれた。


 そこへトドメとばかりに、お姫様抱っこ。


 薮原やぶはらの男らしさに、そして、優しさに……胸のあたりが、きゅんきゅんとうずいたのだ。


 ……ついでに、下腹部のあたりも。


(もー……ずるいよお兄さんっ。あんな……男らしいとこみたら……我慢できなくなるじゃんかぁ……)


 くねくね、と真琴が体を抱いて、にへら顔で身をよじる。


「はぁー……でも、うん。良かった。勇気だして、お兄さんのもとにきて……」


 真琴は思い出す。


 ここに至るまでの、物語を。


    ★


 岡谷おかや 真琴まことは、長野県の北部出身だ。


 実家はリンゴ農家。


 両親は毎日農業に忙しくしていた。


 親がかまってくれなくても……しかし、全然さみしくはなかった。


 なぜなら、隣の家の幼なじみが……面倒を見てくれたからだ。


 岡谷おかや家と薮原やぶはら家は、隣通しだ。


 薮原やぶはらは真琴の7つ上。


 気づいたときには、自分には、優しいお兄ちゃんが居た。


『お兄さん、あそんでー!』


『お兄さん、おかしちょーだーい!』


『おにーさーん、いっしょにねよー!』


 薮原やぶはらとは歳が近かったこともあって、とても仲良くしてもらっていた。


 薮原やぶはら家は農家ではなかったので、よく真琴は、彼の家に預けられることがあった。


 すべてのわがままを、薮原やぶはらはため息をつきつつも、しかしきちんと応えてくれた。


 真琴は薮原やぶはらを、本当の兄だと思っており、薮原やぶはらは本当の弟のように接してくれた。


 この関係は、永遠だと思っていた。


 家族の絆が決して切らないのと、同じように……。


 だが……転機は突然訪れた。


『え……? お、お兄さん……東京に、行っちゃうの……?』


 約3年前。真琴12歳のとき。


 薮原やぶはらの東京への、就職が決まった……と、親経由で聞いたのだ。


『うそ……やだ、やだやだ! いやだよぉ!』


 真琴はだだっこのように首を振った。


 まだこの当時は、発育が良くなく、胸がペンタンとしていたこともあって、女と思われていなかった。


『松本だって遠かったのに! 東京なんて! もっと遠くじゃん! 外国じゃん!』


 薮原やぶはらは、長野県中央部にある国立大学に通っていた。


 真琴たちの実家は、長野県のほぼ北端。

 新潟に近い街。


 大学へ行くために、薮原やぶはらは実家を出て一人暮らしをしていた。


 真琴は、それすらいやだった。


 だって大好きな兄が、自分のそばに居ないのなんて、つらいから。


 けれど大学生の間は、よかった。

 夏や冬になると帰ってくるから。


 でも……東京へ行ったら、県外に行ってしまったら……もう、おいそれと会えなくなる。


『嫌だ! 嫌だ! うわぁああああああああああああああん!』


 ……薮原やぶはらの東京行きが決まった日、真琴は一日中泣いていた。


 そして……翌日。


 冷静になった真琴は、1つの事実に、気づいてしまったのだ。


『そうだ……お兄さんとぼくは、赤の他人なんだ……』


 いくら仲が良くっても、ふたりには同じ血が流れていない。


 本当の、兄妹じゃない。


『この関係は……簡単に切れちゃうものだったんだ……』


 現に、今薮原やぶはらは東京へ行ってしまおうとしている。


 きっと……。


 この先薮原やぶはらは、誰かいい人を見つけて、その人と結婚するのだ。


 妻を、子を、作って……。


 そうしたら、こんな幼なじみのことなんて、忘れてしまうんだ。


 真琴は、薮原やぶはらが東京に……手の届かない場所へ行く段階になって、ようやく気づいた。


 薮原やぶはらのことを、手放したくないと。


 彼を……愛してるんだと。


『ぼく……お兄さんの、家族になりたい……! いや……なるんだ!』


 拳を握りしめ、決然と言い放つ。


 薮原やぶはらの弟としての真琴は、その日……死んだ。


 一途に、愛する男の、女になるべく……この日から猛特訓を開始した。


 そして現在に至る次第……。


    ★


「ふぅ~……良いお湯だった~……」


 わしゃわしゃとバスタオルで髪の毛を拭きながら、真琴が風呂から上がる。


 リビングのソファに、薮原やぶはらが座っていた。


「お、おう……! で、出たか!」


 スマホをいじって、興味のないふりをしている……。


 だが、真琴にはわかった。


(お兄さん……私とのキスに……動揺してくれてる……!)


 ぱぁ……! と真琴の表情が明るくなる。


 うれしかった。


 薮原やぶはらは自分にキスされて、嫌がられてたらどうしようと……実は内心で不安だったのだ。


(やった♡ やった♡ いよぉおしっ! もっともっと、もぉおおおっと、好きになってもらえるように、がんばるぞー!)


 そうと決まれば話は早かった。


 真琴は薄着のまま、ソファの後ろから、薮原やぶはらに飛びつく。


「どわっ……! お、おま……! 服着ろよ!」


「きてるじゃーん♡」


 ぐにぐに♡ ぐにょぐにょ♡


「お、お、おまえっ! ぶ、ぶ、ブラしてねえだろ!」


「うん、してないよ♡」


「なんでだよ!」


「風呂上がりだもん!」


「ああちくしょうそうでしたねっ!」


 自分の大きな胸の感触に、薮原やぶはらが喜んでくれているのがわかる。


 本当はこすれて少し痛い……けど、大好きな彼が喜んでくれている、性的な興奮を覚えてくれている。


 それが……本当にうれしかった。


「お、俺! 風呂! おまえ上がった! 風呂入ってくる!」


 顔を真っ赤にした薮原やぶはらがリビングを出て行く。


 さっきまで彼が座っていた場所に、真琴は腰掛ける。


 ぽすん……とそのまま横に倒れて、うつ伏せに寝る。


「くぅ~~~~~~~~~~~♡」


 ぱたぱたぱたぱた、とうれしそうに真琴は足をバタ足させた。


 大好きな彼が、自分とのキスに動揺してくれた。


 そして……恥ずかしがっている。


(脈あり? 脈ありだよねっ!)


 今までも、確かに【ジャブ】は打っていた。

 相手の反応から、憎からず思ってくれていると、思っていた。


 けれど今日のは……深く踏み込みすぎた一撃だった。


 ともすれば拒否されてもおかしくない……。

 でも、彼は自分のキスを、受け入れてくれた。


「よしっ、よしっ、よぉおおおしっ!」


 ぐっ! と真琴が拳を突き出す。


「ぼく……お兄さん大好きだよっ! 絶対絶対……お兄さんをゲットしちゃうんだからねー!」


 彼女はどこまでもまっすぐに、ただ……彼と添い遂げるという目標に向かって……。


 まっすぐ……このまま突っ走ろうと、そう思うのだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【★あとがき】


モチベになりますので、


よろしければフォローや星をいただけますと嬉しいです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る