隠し部屋での勉強会


「まず君が覚えなければならないのは、この国ローランドは、自治権を持つ三つの州と七つの自由都市、

 それ以上に数多くの民族が入り混じる連合国家だということだね。

 しかも、政治的には議会制民主主義の上に、国の最高統治者としての国王を戴いている」


 安楽椅子に腰掛けた隠遁者の膝の上では、ゾティが、ごろごろと喉を鳴らしてくつろいでいる。

 十キロ以上ある巨大猫の喉を撫でながら、アンリ・パルデューという新入りを目の前に、ライヒャルトは、まるで黒板の前に立つ教師のように毅然と語り始めた。


「つまりローランドは、君の育ったルブランスがかつてそうであった、神のごとく強力な王権が中央にあって、王様が国中をあまねく照らす太陽のように民を統治していた、絶対君主制の国ではないのさ」


 この国にとって「王」とは、ローランドという船の舵取り役。

 船が嵐の中へと自ら進むような愚をおかさぬよう、たえず進路を調整する役割を持つ者なのだと、ライヒャルトは説明する。


「でも、それって別に王様がしなくてもいいような気がするけれど……。新大陸のコロンバイン合衆国みたいな大統領制のほうが、より民意が反映されると僕は思います」


 こういう堅苦しい話しをしていると、ついアンリも学生的な口調になってしまう。その意見を聞いて、ライヒャルトは小さく舌打ちするように苦笑した。


「まぁ、ローランドが独立したのは三百五十年も前だからね。

 それでも独立戦争に参加した諸侯すべての合議の結果、ロザムンド家のクリスティーネが女王として選出されたというから、封建制社会だった当時としては画期的だったに違いない」


 音楽学校で講師もしていたというだけあって、ライヒャルトの言葉には含蓄がある。

 たぶんこの人は「音楽」だけを生徒に教えていたわけではないのだろう。

 西洋の伝統は音楽に精神的価値を認めている。「音楽すること」は、すなわち「哲学すること」でもあるのだから。


「確かに、このローランドの国民も、隣国ルブランスの流血革命を真剣に受け止めてね。二十年前、先代の女王エリーゼさまが崩御された時、このまま王政を存続させるかどうか、一度議論したんだよ」


 当時は新大陸のコロンバインが、宗主国ハドニアから合衆国として独立したばかりでもあり、ローランド王国でも様々なうねりがあったのだ──と、マクシミリアンも会話に加わってきた。


「実はエリーゼさまにはお子様がいらっしゃらなかった。

 そのためロザムンド王家の直系が途絶えてしまったものでね。当然、議会は王政存続か否かで紛糾したわけだ」


 しかし女王自身も王家の存続については並みならぬ熱意をもっており、おのれの死後、後継者にと願う傍系の男子を指名していたのである。


「それが隣国の島国、ハドニアのエクセター公爵家のご長男として誕生した、ヘルムートさまだった。ああ、ハドニア風にはハリオットと名乗られていたね」


 エクセター家に嫁いだマリエンヌという姫君が、ローランドの王位継承権を有する女公爵であったためである。マリエンヌの死後、権利は長男であるヘルムートに受け継がれていたのだ。

 王を失ったローランドでは議会の決定で、女性を含む十八歳以上の全国民による投票が行われた。開票の結果、国民の七割が王政の存続と、異国の地で生まれ育った少年に対しローランド王としての即位を望んだ。

 そして──ハドニアの地で誕生したとき両親から与えられたハリオットから、ローランド風にヘルムートと名前を改め、弱冠十八歳の少年王は即位した。

 おのれの即位に反対票を投じた国民をも乗せた船の出航は、順風満帆とは言い難かったが。


「……王様を、国民全員が選挙で選んだんですか? それも、わざわざ他所の国から跡継ぎをもらってきてまでして?」


 そんなの信じられない──という顔をするアンリに、「それほどまでにロザムンド王家は国民から敬愛されていたのだ」と、安楽椅子の男はふふっと笑い掛けた。


「ルブランス人の君が信じられないような話しなら、まだまだいくつもあるさ。君の後ろに掛かっている、肖像画を見てごらん」


 小さく顎をしゃくるふうにしてライヒャルトは、少年の背後の壁を示した。そこには、とにかく見栄えする金髪の二枚目で、しかも燕尾服姿だというのに、どういうわけかその鼻に、おもちゃの丸い付け鼻をつけた男が描かれている。

 ライヒャルトは遠い眼差しで、少年時代から憧れ続けているその男について語った。


「あの肖像画はね。私が尊敬するアジール・ダブリエという、道化師にしてフィドル弾きで、一角獣の宮廷騎士だった人を描いたものだ」


「道化師って、人を笑わせる身分の低い芸人のことでしょう? どうしたらお笑い芸人が、宮廷騎士になれるんですか?」


 アンリは矢継ぎ早に質問を重ねた。しかも「フィドル弾き」とは、「酒場で呑んだくれているろくでなし野郎」を意味する。堅気の職業人ではない、浮浪の民を馬鹿にする俗語なのだ。


「この国ではね、良き魔女イーディスが落とした雷に当たれば、芸人だろうが靴屋の職人だろうが、どんな素性の者であれ王家を守る騎士になれるのさ。それも、宮廷に四つしか席のない『一角獣』の位の騎士にね」


「なにしろ、現在ふたり居る一角獣位の騎士も、元海賊と洗濯屋の息子だからなぁ」


 マクシミリアンが笑いながら漏らしたその言葉に、今なお古の魔法がこの国には生きているのかと、アンリはポカンとした表情で口を半開きにした。


「本当にそんな人がいるんですか? 魔女の雷に当たって騎士になってしまった人が……」

 唖然呆然である。

 先日クリスティーネに、「一角獣」はロザムンド王家の守護精霊だと聞いた。だからきっと、王様のために命を惜しまぬ、勇猛果敢な武人こそがその「一角獣の騎士」には相応しいだろうに。

 けれど話しを聞いているかぎり、位を与えられたのはろくでなしの道化師に、海賊に、洗濯屋の息子だという。

 本当になんてでたらめな国なんだ!──と、アンリは天を仰ぎたくなった。


「かれこれ五十年も前に亡くなった男だ、私も生前のアジールに会ったことはないが。

 でも、私がまだ君のように多感な少年だった頃、あの伝説の道化師が、金満商人や権力の座にしがみつく貴族たちの横っ面を、笑いの毒で張り倒すがごとき生き様を語る者は、まだまだ大勢居たんだよ」


 なにしろ、『王様という職業も、玉座の上で踏ん反りかえってばかりじゃ退屈でしょう。なんならその冠を、蹴飛ばしてさしあげましょうか?』というのが、アジールの決まり文句だったそうだ。


「変わった国だろう? もちろんここは天国のような理想郷ではなかったし、まして地獄の獄卒どもの饗宴会場でもなかったけれど。それでもここに暮らす者が、おのれの手で未来を選び取る自由がある国だった」


 まだ眼差しは道化師の肖像に向けたまま、ふふっと笑いながら、ライヒャルトは肘を付き変える。その動きに、膝の上のゾティがちょっと迷惑そうに半眼を開き、「にゃあ」と鳴いた。


「だから、私はこのローランド王国もアウステンダムという街も大好きなんだ。世界にひとつくらい、こんな国があってもいいんじゃないかな」


 アジール・ダブリエの肖像画を飾る額には、なにやら金言めいた句が彫られているのにアンリは気がついた。いかにも素人手で刻まれた文字は、ローランド語でこう綴られている。


『このアウステンダムの街が素晴らしいというより、このアウステンダムで謳歌する自由こそが素晴らしいのだと、そう思わせてくれた人』


 それはライヒャルトが、決して合間見えることがなかった自由人に対し贈った、賛美の言葉だった。


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