「五人の魔女の館」には断髪美少女がいた
その方角へ、アンリがひょいと路地裏を覗き込むと、きっと食堂の順番待ちなのだろう。
どこにこんな数の人間が隠れていたのかと思えるほど、大勢の老人や労務者や、その日暮しといった風体の者たちが並んでいる。
「ええと、ヘボン先生のお宅はフリーヘン横丁三番地だから……」
路地の奥詰まり。食堂の、開け放たれたままの扉の上に、その「三番地」のプレートが打たれているのを発見して、アンリはまた、自分がインチキ魔術師に騙されているのかと立ち尽くした。
その上、「おい、ぼうず。ちゃんと並べよ!」との罵声を、後ろから来た客に浴びせかけられる。
(同じ番地の上に、何軒か別の家が建っているのかな……?)
そうアンリは思い、目指す学者先生のお宅のありかを尋ねるためにも、とりあえず行列に並んでみた。
「はい、次の人。ご利用は何名かしら?」
食堂の手伝いだろうか。アンリと同年代の、金色の髪の少女が声を掛けてくる。
(うわぁ……っ、断髪少女だぁ!)
アンリが通っていた中等学校の女子部では、女の子の髪型はみんな三つ編みのおさげ髪だった。
だからか、肩の線でばっさりと髪を切りそろえたボブヘアの少女は、いかにも都会的美人に見えた。
「ひ、ひとりです」
思わず、ローランド語で答える声が上ずった。
なんだか掃き溜めの中に、ひとつ金の指輪が紛れ込んでいるかのごとき、まばゆいほどの存在感だ。
薄暗い路地裏で、彼女の姿だけが鮮やかに浮かび上がって見える。
いや、たとえここが大勢の乗降客が行き交うアウステンダム中央駅だったとしても、こんなきれいな女の子とすれ違ったらなら、アンリと同じ年頃の少年は、十人中、十人ともが思わず振り返ってしまうに違いない。
しかも国防色の上着や、活動的な膝下十五センチほどのスカート丈は、「愛国少女の生活指導手帳」に記載されている、ゴドフロア総統閣下推奨の、模範的日常生活服そのものだ。
スカートの裾から覗く、黒い長靴下で覆われた形の良い下脚がりりしい。
(勤労少女って感じで、かっこいい女の子だなぁ)
ボブヘアの女の子は、じろじろとアンリの服装や大荷物を青灰色の瞳で眺めると、言葉をルブランス語に変え、端的にたずねた。
「あなた、旅行者?」
「は、はいっ」
「外食券は持ってるの?」
「あ、はいっ」
父からもらった外食配給券は、まだ十枚一綴りすべて残っている。
シテ・ドゥアンでの経験があるので、外食券で食事できるだけでも幸運だと、アンリは、上着のポケットの中を引っ掻き回す。
取り出した外食券を一枚切り離し、女の子に差し出そうとしたその瞬間、はっとアンリは我に返って、ここへ来た当初目的を思い出す。
「いえその。僕は別に、ここへ食事しに来たんじゃなくてっ」
「あら、持ち帰りなの? 」
「いや。持ち帰りはちょっと……、できないと思う」
「ならば、そこの籠に外食券を入れて。こちらへ並んでちょうだい」
うちは流れ作業方式なの──と、少女は事務的な口調で、店の営業方針を説明した。
美人であることは間違いないのだけれど、この看板娘には、十代の美少女に必要不可欠な「はかなさ」とか「あいらしさ」といった要素が微塵も感じられない。
「まず、そこのトレーを持って。その上に、取り皿とスープ皿を並べて。フォークとナイフ、スープスプーンも忘れずに自分で揃えるのよ」
その命令形な口調が、口うるさい上の姉に似ているとアンリは閉口ぎみに思う。
人波に流され、なし崩し的に料理を皿に盛りつける列に並んでいると、カウンター越しに、体格のよい、いかにも「下町の気のいいおばさん」といったふうな中年女が顔を出した。
「旅行者さん。今日のお料理は、ライ麦パンとジャガイモの蒸し焼きに、酢漬けのキャベツ。魚のスープと、ニシンの燻製よ。それと、パンは一人ふた切れまでだから」
「あ、あのっ! すみませんっ!」
スープをもらう窓口でアンリは、面倒見がよさそうな調理場のおばさんに、勢い込んで話しかけた。
「アルベルト・ヘボン先生のお宅はどちらになるんでしょうか? 」
その質問に、魚のスープを満たした器を差し出しながら、調理場に立つ女はあっけにとられた表情を見せる。
「僕、アンリ・パルデューと言います。ルブランス本国のカルティーヌ県、ソレイアード村から来ました」
アンリがキャスケット帽を取り、礼儀正しく名乗っても、相手は鳩が豆鉄砲喰らったような顔をするばかりだ。まぁ、場所が書き入れ時の食堂の店頭では、無理もないだろうけれど。
「んー、実は今、先生はご不在でねぇ……」
なんといえばよいのやら──と、調理場のおばさんが、玉杓子を片手に困りきっている。
すると、列の後ろから「さっさと前へ進めよ」との苦情が上がった。
「ま、ともかく時間的にも、ちょうどお昼ご飯にいい頃合だし。スープが冷めないうちに、そこの席に座ったらどう?」
食事を終えてからでも話はできると、おばさんは勧める。それも正論かとアンリはうなずき、ベンチ式の長椅子の隅を空けてもらって、テーブルに着いた。
アウステンダムは東西二つの港を持つ街だからか、献立は魚料理が中心だった。
けれども、アンリは生まれ育った土地が海から遠いため、こういった「いかにも港町の漁師料理」というのは、正直苦手なのだ。
一応、古くからの教会時代からの習慣で、金曜日の夕食は魚料理と決められていたが、アンリの家の食卓に並ぶのは養殖池で育てられたマスやコイだった。
それも頭は落とし、骨を除いた食べやすい切り身にしたものだ。
小骨だらけの燻製のニシンを、酢漬けのキャベツと一緒に苦いライ麦パンに挟んで、アンリはどうにか呑み込む。
「……これは、トマト味のスープなのかな?」
空腹はまだ満たされていないのに、なんだか食欲が湧かない。器の中を、スプーンでぐだぐたとかき回していると、底に沈んでいたグロテスクな魚の頭が、まるごとそのまま浮かび上がってきた。
その、白く濁った魚の目玉に睨まれた瞬間、アンリは、盛大に周りの労務者たちの食器やトレーを巻き添えにして倒れた──まるで朝礼で貧血を起こしたか弱い少女のように。
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