第5話 変異
喋っている音が聞こえる。うるさいくらいに聞こえる。
熊が目の前にいた。
首を捻ってこっちを見ていた。
熊から見えた。うちとミカエルがいる。
うちの背中に霧状の何かがあった。
それは羽のような、骨のような、枝のような。
ユリはすやすやと寝ている。私は読書をしていた。ここに来てからは少しでも役に立ちたいと思って知識を養っていた。レグニアについてとか、研究者さんに相談してメアについても教えてもらった。
元々、メアの能力者になる原因は未だ分かっていない。全員が感染してそのままステージ2を迎えてステージ3になった時に適合者として長い時間を過ごすことになる。感染度や細胞の変化も検査されたが特に共通しているところは無かった。全身に回っている人もいれば臓器の一部のみの人がいた。
研究者さんがカルテを見せてくれたことがある。私のカルテ。私の体は対抗出来るとはいえ、解決方法には至らなかった。対抗出来る他の人もそうだった。対抗にも種類があって、私は感染しても体にその反応が出ない。体調面で不安定になることがあっても細胞が変化したりすることがない。今の私の体は感染しながら普通に過ごせている。だけども大量のレグニアに感染するとさすがに危ないということだった。この条件は未だに分かってない。ただ感染しにくいだけの体だったとも考えられた。
私の体こうだと分かったのは夫が死んだ時だった。
夫が感染して、シェルターの外に出すしかないとなった時に私も一緒に出た。私は離れるのも死んでしまうのも耐えられなかった。だからいっそのこと感染した夫に殺されるでもして一緒に死ぬことを選んだ。夫は悲しんでいたけれどもちょっと嬉しそうだった。死に際まで思ってくれることが嬉しかったみたい。
夫は殺すのは嫌だと言った。私も自分で自分を殺すだけの勇気は無かった。だから感染することにした。外でマスクを取って最後の時まで夫と居続けた。ステージ2を迎えた夫があまりにも苦しそうで何度か目を逸らした。励ました。その間も私は特に変化もなく感染した気がしなかった。
ステージ3を迎えて夫は草を齧ったり、その辺を散歩するようにうろついたりと動くようになったが話には答えてくれなかった。私に掴みかかった時には途中でピタッと止まって離れていく。私は微かな望みを期待した。ステージ4でたまに自我を持つことがある。だけどもその望みは叶わなかった。
夫の体は大きく変わってしまって、私を食い殺そうとしていた。私は抵抗しなかった。これでやっと夫と共に死ねると思った。・・・偶然そこを通りかかった自衛隊の人に止められるまでは。
自衛隊の人は私が襲われていると思ったらしく、夫を銃で弱らせて燃やそうとしていた。私はそれを止めようと叫び散らしていた。夫を奪わないで。殺さないで。私が夫に殺されるために。
自衛隊の人はそこで私が不自然だと気づいた。長時間マスク無しで外にいたのにステージ2に一度もなっていなかった。一緒に来てくれないかと誘われた。私は夫の元を離れたくないと言った。自衛隊の人は提案してくれた。夫の墓を用意しようと。友人に研究者がいて、その人を頼れば遺骨を保管しておくことが可能だと。
私は、夫に罪悪感を持ちながら同意した。夫と共にあの世に行くと言ったのに私は死ねなかった。むしろ、死ねない体だった。夫は私のそばに居る。研究者の人が夫の遺体を処理してくれて遺骨の大半をお墓に。少量をカプセルに入れてネックレスにしてくれた。もし、お墓があるシェルターが潰れて立ち入り禁止になってもこれがあれば大丈夫と。
その後に分かったこと。私の体調不良とは精神的なものから発生すると分かった。その原因はレグニア。感染することで精神不安定を起こし、影響されて体調を崩すというものだった。夫と死にたいと言ったのも、遺体を焼かないといけないというのを知っていたはずなのにそれを拒んだのも、何もかもをこれのせいだと考えるようにした。そうすれば夫への罪悪感が少し紛れた。
・・・車が止まった。目的についたのかと思ったら周りの人がざわつき始めた。
「どうしたの?」
「あぁ、先頭車から連絡があったらしくて・・・何があったんだっけ?」
「熊だ。熊が出たんだと。」
「・・・・熊、か。」
ミカエルは周りの人に聞いていた。熊のレグアニだ。私達は初めて熊に遭遇した。
「あー、この前Eシェルター付近で熊の目撃があったよ。そいつかもしれないね。」
ミカエルが言った。その言葉に思い当たる人がいるのかそうだそうだ、と言う。
『――緊急通知です。ユリさんの状態が不安定です。起床はしていませんが頭痛と動悸が確認されました。』
ハチが喋ったのにびくっとした。リーダーはすぐにユリを見ようとして
「っぐ・・・、な、なんだこれ・・・?!」
頭を押さえた。
「リーダー?!だ、大丈夫なの?!」
『こちらも緊急通知です。病状は同様です。』
リースも喋った。2人がほぼ同時に危険状態になった。
「話すくらいなら、平気だ、だが・・・ずっとこのままなのは、気がおかしくなりそうだ・・・。いきなり叩かれたような痛みだっ・・・!」
「・・・メアリーちゃん、本部に連絡。今までこんなことなかった。あと、先頭車との連絡を全部教えて。何が起こってるのか知りたい。」
ミカエルが立ち上がって指示する。私はリーダーからユリを貰う。ユリも呼吸が荒い。
「おい、ここ使え。」
「隊長さんや、大丈夫か?苦しかったら横になろうぜ。」
「おにぃさん、機材はこっちだ。」
周りの人が手伝ってくれた。開けてもらった席の仕切りを外してユリを寝かす。上着をかけてくれた人もいた。
「お嬢ちゃんとおっさん、何か病気でも持ってんのかい?」
「・・・いえ、メアの能力者よ。私と彼もメアなのだけども2人にしか影響がないっていうのは初めてよ。何が起きているのか分からない・・・。」
「ヒマちゃん、先頭車に近づいてきた熊がずっと周りを徘徊しているって。多分こっちにも来る。車の臭いを嗅ぐ行動があるって。何か特徴は?」
「えぇっと、手を出してこないのならば特定の臭いを探している。車にしか近づいてこないってことはこの車の中のことを知っている可能性がある。ステージは?」
「・・・多分ステージ4。見た目がおかしいって。・・・え?」
「ステージ4なら知識があってもおかしくない。人を狙って食べているのかもしれない。だけども、それなら先頭車から襲っている。狙いは人ではない?」
「ヒマちゃん、熊の体に花が咲いてるって・・・。」
「えっ・・・?」
動物の体に植物が寄生しているってこと?・・・そんなの、一度も聞いたことない。
リーダーは貸してもらった場所に横になって唸っている。ユリも横になって唸り始めた。リーダーはまだしもユリは危険すぎる。能力の関係上、自然に起きなければ夢と現実が混合して幻覚を見ることになる。そうなれば最悪ショック死を招くことになる。この症状で強制的に夢から覚めてしまわないようにしなければ・・・。
「僕はあの熊が原因だと考える。熊が見えて近づいてきたタイミングで2人がダウンしたんだ。」
「熊の行動からの推測で、人を襲わずに嗅ぎ分けているならかなりの知識を持っていることになる。そうなるとレグアニのメアの可能性もある。」
過去に数件だけ報告されたことがある。人間の他の生物もメアになる。だけどもメアになったとしても長時間保つことが難しく、共食いをしたりされたりで生存率が低い。しかし、知識を身に着けていれば生きる術を手に入れたも同然。・・・それに体から植物が出ている点も気になる。植物が勝手に寄生したか、または熊自身が植物を取り込んだのか。もし後者なら相当な知識を持っていることになる。餌となる他の動物や木の実などが少なくなる中で植物というエネルギーを補う方法を見出している。実際に数百年前の実験でマウスに植物を移植出来ることが証明されている。
「あの熊を車から引き剥がす。それが一番いいと僕は思っているよ。」
「それで囮をやろうだなんて言わないでしょうね?」
「当たり―。言わないけど察してはくれるんだね。でも正直そうでもしなければ死者1人出るよ。」
ミカエルの言うことは確かだ。でも、それで貴方が襲われ死んだらどうするっていうのよ。
「・・・お二人さん、提案がある。俺の荷物に足止め用の罠がある。そいつを使ってハメた後に車で速攻逃げるってのは出来ないか?」
「あ、俺、スモーク持ってるぞ。」
「罠って・・・熊となれば感染者のようにはいかない。レグアニなら全力でこっちに走ってくれば時速80キロにもなるのよ?」
「そりゃ、・・・恐ろしいなぁ・・・。」
「でもスモークは使える。どれくらい保てるの?」
「5分だ。風が出てれば3分ぐらいになっちまうがな。」
「ロブロイ、外の風の状態は?」
『丁度よく無だ。ラッキーかな?』
「ミカエル、スーツを準備して。止めても行くって言うんでしょ?」
「分かってくれるの、ホントありがたいねぇ。」
リーダーの状態とユリの状態を改めて確認。頭痛と動悸、荒い呼吸。本部には報告した。今回の探索のキャンセルが承諾されて、熊のレグアニについての報告を待っている。
作戦を整理して周りの人にも伝える。ミカエルが外に出て熊を確認したらスモークを出す。同時に先頭車から一気に走行してもらう。もし、車に攻撃などをするならミカエルが気を逸らさせる。あのスーツには装甲も十分にあるから攻撃の1回ぐらいなら耐えられる。車から降りても平気なように縄を車につけておく。最悪引きずり回す。
もし、熊が追ってくるようなら周りの人の手を借りて威嚇射撃を行う。当ててもいいけど多分かすり傷程度にしかならない。
「スーツ準備できたよー!」
「分かった。本部へ報告は済ませた。今回の探索はキャンセル。シェルターに戻って2人を病室に入れることを最優先にする。」
「全員一応、マスクしておけよー。あ、マスク持ってねぇ奴がちらほら居るんだったなぁ・・・。」
「私とリーダーのマスクを貸す。」
「・・・え、マスクしなくていいのか?」
「リーダーは濃い所以外付けなくても平気。私は15分くらいなら平気だから。今回は私達の事情に付き合ってもらってるし。」
寝ているユリの顔にマスクを付けながら言う。限定2人だけども優先順位を決めてそれぞれで貸し借りしてくれた。足りない分は布で頭を巻いて出入口から最も遠い所でうずくまってもらった。悪さする人達だけどもこういう時に助け合ってくれるの。嫌いにはなれないわね。
私達が優先しているのは秩序ではなく、人命なのかもしれない。それは時に愛情で思いやりでナイトメアよりも恐ろしい。
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