エピローグ

 ……そして、現在に至る。

「こいつは男だろうが!」

 アッシュの魂の叫びに、ウェンディは必要以上の自信を持って断言する。

「可愛いんだから男の子でもいいじゃない」

「ダメだろ!」

「あー、もう! わからないの? 君がピスキーと素直にくっつけば教室が少しは静かになるんじゃないかってことなのよ! ピスキーはあなたの言うことならなんでも聞くだろうし、少なくともソニア先生は諦めておとなしくなるわ!」

「おまえ本音を出しやがったな!」

「最初っから隠してないわよ!」

「アッシュくん❤」

 言い争っているところへ、随分酷い仕打ちを受けたにも拘らず、あっさりと復活したピスキーが〈かすり傷一つないのが謎だ〉、まったく変化のない笑顔に、科白の語尾にハートマークでもついていそうな声で〈あいかわらず魔法で周囲にハートマークを投影している〉、じゃれ付いてくる子犬のようにアッシュに後ろから抱きついた。

 さらに愛しげに頬に頬ずりまでする。

 アッシュは悪寒が全身を駆け巡ったみたいだけど。

「そんなに怒らないでよ❤ ね❤」

「ね、じゃねえ! 離れろ!」

 ピスキーを引き剥がそうと努力しているが、背中に張り付いているので上手くいかず苦戦している。

「ふははははは!」

 唐突に笑い声が響き、それは急速に近づき、そして街路に沿うよう何者かが、細長い楕円形のボード〈サーフボードかなにか〉に乗って、飛来してきた。

 カフェテラスの上を勢い余って通過し、大きくUターンして、カフェテラス二階の高さに合わせて停止する。

「これはなんだ!? 鳥だ! 飛行機だ! いや! 魔導帝国総帥だ!」

 どこかで聞いたような科白を自分で言って、

「見るがいい! 新発明! 飛翔板スカイボード! 通称空飛ぶクンだ!」

 変な名前の、奇妙な機械装置を装着した空を飛ぶサーフボードに乗り、肩に新兵器らしいバズーカを担いで現れたのが誰なのかは、説明不要。

「なにやら聞いた話によると、我輩が病院のベッドでうなされている間に、我が腹心を改心させたそうだが、しかし! ここで誰が真の支配者であるか教えてくれよう! そして! 一度魔導に足を踏み入れた者は二度と抜け出せないと思い知るがいい! さあ、悪魔召喚士アッシュ! 新発明その二! パラスパリスパルスパレスパロスウェーブビームライフル〈もっと言い易い名前をつけろ〉にて! いざ! 尋常に勝負!!」

「「きゃー」」

 指を突きつけると同時に、PFCから歓喜の奇声が上がった。

「恋人を取り戻しに来たわー」

「違うわ、アッシュが欲しいのよ」

「両方とも手に入れたいのかもしれないね」

「「イヤーン、それもステキー」」

 シュバルトはよくわからないことを口走っているPFCを無言で目を向けた。

「……」

 次にアッシュと、その首に腕を回して抱きついているピスキーを、交互に見つめ、やがてなにかを考えるように空中に視線を泳がせた。

 そして、改めて二人に目を戻すと、頬から一筋の汗が流れた。

 やがて突きつけたままの人差し指が震え出し、瞳に怯えの色が混じり、呼吸は乱れ、歯は全く噛み合わずにリズムの良い音を小刻みに鳴らし、顔中から汗が滝のように流れ出す。

 しばらくしてシュバルトは視線を逸らし、突きつけていた手で震えながら額の汗を拭う。

 そして再度アッシュとピスキーに戻した目は平常を取り戻し、ピスキーがいつもそうするように手を軽く掲げると、妙に朗らかに告げた。

「では、我輩はこれにて失礼」

「待て」

 空飛ぶくんを回れ右させて怪しい世界から迅速に逃げようとしたシュバルトを、アッシュが即座に襟首を掴んで捕らえる。

「こいつはおまえのだろ、早く持ち帰ってくれ」

 途端うろたえるシュバルト。

「い、いや、違うぞ。我輩はそんな趣味はないのである。であるからして、それは貴様の好きなようにしてくれて結構だ。和平交渉における人質というか贈品というか、そういうことで受け取ってくれ。というか、たった今いらなくなったので、我輩は」

「俺もいらねえよ!」

「離せ! 世界征服を果たした暁には一割くらいの領土を与えてやるから、そこで二人の国を作るということで見逃せ!」

「誰が見逃すか! そもそもおまえが科学室で乱闘おこさなかったらこんなことにならなかったんだ! ちゃんと責任とってこいつの面倒見ろ! 副総帥なんだろ!」

「なにを馬鹿げたことを申すか! このような者を我が魔導帝国に迎え入れた覚えは無い!」

「今更なかったことにするつもりか!? おまえ!」

 逃亡しようとするシュバルトと、逃すまいとするアッシュが組み合うところに、話題の人物が乱入する。

「あー、二人ともなんか仲良しー。そんなのダメー。アッシュくんはボクのなのー」

 ピスキーが背後からアッシュに抱きついた拍子に、シュバルトから手が離れた。

 その好機を逃さずに、シュバルトは空飛ぶクンを発進させた。

「緊急撤退のため最大出力!」

「あ! シュバルト! 待て! おい! 逃げるな! こいつを連れて行け!」

 アッシュの要求に耳を貸さず、高速でカフェテラス〈で広げられる怪しい世界〉から逃亡する。

「うお! バランスが!」

 だが、機械装置の故障でも起きたのか、突然変な色の煙が噴出し、ボードは安定を失い、螺旋を描くように急速上昇を始めた。

「あああああぁぁぁ……」

 そして十階建ての最上階の開いている窓に、シュバルトはスカイボードと一緒に突入した。

 ここからどうなったのかは見えないが、落下せずに建物の中に入ったので、たぶん死ぬことはないだろう。

 中にいる人たちには迷惑だろうけど。

「あら、シュバルトが逃げた。意外な効果ね」

 騒動の種が一つ減って安心したようなウェンディに、私は告げる。

「以外でもなんでもないって」

 普通の男は逃げる、というか引く。

 それにシュバルトの心配をしてあげなさい。

「だあああ! ピスキー! 離れろ!」

 そして逃げたいけれど、いつまでたっても逃げられないアッシュが叫ぶ。

「大丈夫。愛があればどんな壁も乗り越えられるよ❤」

 なにが大丈夫なんだろうか。

「乗り越えんでいい!」

 アッシュは叫びつつ、腰を一旦低くすると、次には跳ね上げて背負い投げの要領でピスキーを前方空中に放り投げ、そしてまだ滞空状態のピスキーにドロップキックを蹴り込んだ。

 助走なしのその場蹴りの割にはたいした威力で、ピスキーは向かいのテーブルにまで吹き飛ばされ、衝撃で砕けた椅子などに〈巻き込まれたアベック客も一緒に〉埋もれて動かなくなる。

 弁償代、さらに追加、か。

「あー! あー! またそんなことして!」

 ウェンディが非難する。

「だから可愛い恋人に酷い事しちゃだめでしょ!」

「恋人じゃねえ! どっちかつーと変人だ! ヘ・ン・ジ・ン!」

「そんなにてれなくていいってばー❤」

 ピスキーは何事もなかったかのように復活してアッシュの傍に。なんで平気なんだろう。

「てれてない! おまえは喋るな!」

 アッシュの顔は怒気で真っ赤になっている。

 PFCでは相変わらずこちらに聞こえるように小声で囁きあうという、いまだにやり方がわからない発声法で会話している。

「やーん、顔を真っ赤にしててれてるー」

「やっぱりアッシュくんも好きなのよー」

「うう、実は二人が一緒に一晩過ごしたって話聞いたことあるんだ」

 三年代表が泣きながら、非常に気になる発言。

 当然残り二人が話に食いつく。

「えー、ほんとー? ピスキーちゃん、もうアッシュくんに大人にされちゃったんだー」

「ううん、実はアッシュくんのほうが受けなのよー。イヤーン、それも素的ー」

「うぅうう……ピスキーくんの純潔が……」

 アッシュはコップを投げつける。

 ホイップして三年代表の額に命中。

 ゴン、という音が痛い感じ。

「おまえらも黙ってろ!」

「あんたいつの間にピスキー食べちゃってたのよ。いえ、食べられた?」

 私は少しからかってみる。

「違う! あいつらの大ぼら真に受けるな!」

 ウェンディが憤慨して、

「あなた、手を出しておいて後はいらないから使い捨てみたいに捨てるわけ!? 最っ低!」

「おまえも信じるな!」

 アッシュは泣きそうな顔になり始めて、

「大体どっからそんな話が出てきたんだよ!?」

 PFC三年代表男子生徒は、痛そうに額を押さえながら、無言でピスキーを指差した。

 即座にアッシュは獰猛な肉食野生動物の形相で、ピスキーの胸倉を掴む。

「テメェかコラ。どういうつもりだ?」

 どういうつもりもなにも、既成事実を作り上げようという魂胆以外に、なにがあるというのか。

 ピスキーはきょとんとして、

「スキー教室の時のことを言っただけだけど」

「スキー教室の時にいつそんなことをした! でたらめばら撒くんなら覚悟はできてるんだろうな!?」

 アッシュが怒鳴るとピスキーは不意に涙を流し始めた。それはいつもの演技にしか見えないわざとらしさはなく、感情の吐露による純粋なものに見えた。

「お、おい?」

 態度の急変にアッシュは心に疚しい事でもあるかのように戸惑う。

「そんな、あの夜こと忘れちゃったの。ボクにはとても大切な思い出だったのに、君には忘れちゃうどうでもいいことだったなんて」

「いや、それ以前に、思い出になるようなことなんかあったか?」

「ひどい。ひどいよぉー」

 泣き始めたピスキーはまるで幼い子供のようで、アッシュはさすがに怒鳴りつけるような行為ができなくなったようだった。

 誰もが沈黙し、静寂の中に子供の啜り泣きだけ。

 本来なら場の主役になっているはずのパレードに見物人客たちは目を向けず、そのパレードのほうでも数人こちらに目を向けている。

 主役の座を奪われた建国の女王役の美女は、誰も注目してくれなくておろおろと完全に困惑していた。

 私はなんとなく訊いてみた。

「具体的にどういうことがあったの?」

「先月、ボクたちはフレデリック山のペンションに泊まったんだ」

 学校行事とかで、この地方特有の長い冬がようやく終わる気配を見せた頃、わざわざ万年氷雪のある標高のスキー場に行って、スキー教室をする羽目になった。

 でも、確か媚薬事件の少し前だったような。

「冬が終わる前に、最後に雪と戯れるのが、風情というものなのよぉん」

 などとソニア先生はほざいていたが、私は断固としてその意見には賛同できない。

 寒いのは嫌いだ。

 ピスキーは続けて、

「眩しい陽光の中、ボクたちは雪と一緒に楽しく遊んだ。アッシュくんが手を握って引いてくれて、ボクは天使の祝福を受けたように幸せだった」

 アッシュはだんだん思い出してきたのか、説明を始める。

「……確かシュバルトがスキーで勝負だなんて言い出して、適当に相手してたら、そのうち勝負に勝つには手段は選ばないとか言い出して、おまえが妨害というか散々邪魔した挙句、終いには後ろから衝突してきて坂を転がって雪ダルマにして、とどめに木にぶつかって枝の雪を頭からかぶらせてくれたんで、いい加減に黙らせようと、電撃たっぷり与えて二人とも雪の中に埋めたんだったよな。三分後には出てきたけど」

 凍死させるつもりだったのか。

「楽しい太陽の時間は過ぎ、運命の夜を迎える。食事を終え休息をとるボクの瞳には、アッシュくんの優しい瞳と、窓の向こうの雪景色。やがて凛々と降る雪に誘われてボクたちは外へ向かった」

「夜になってからシュバルトが、雪山で決闘だ、なんて言い出して俺を外に出したんだったな。で、いつものようにおまえとウェンディも付いてきて」

 そういえばそんなこともあったような覚えがある。

 私は寒いのが嫌だったから付いていかなかったけど。

「自然が作り出す美しい芸術的な舞台で、ボクたちは時間を忘れて遊び、愛の歌を紡いだ」

「いつものようにシュバルトが暴れて、ウェンディが止めたけど徒労に終わって、おまえが変な応援歌を歌って……」

「そして禁断の地に誘われるように、深い木々の群れの中に」

「気がつけば見事に遭難してた、と」

「空からは妖精の贈り物。やがて見つけた愛の巣」

「散々雪山を駆けずり回って、疲労と寒さで本当にやばくなり始めて、おまけに吹雪も始まったから空も飛べないし。ドロシーの封印空間より自然の力のほうが凄いんだな。まあとにかく、なんとか見つけたのは廃棄されたとしか思えないぼろぼろの小屋で。まあ、あの時は天の助けと思ったけど」

「中には二人を一緒に包み込む暖かい毛布」

「燃やす物がなかったけど、必死に探してボロボロの布切れを寄せ集めたみたいな毛布を発見したんだったな。だけど二人同時が限度だったんで、誰が使うか問題になって。まあ、ウェンディが問答無用で俺とシュバルトを殴り倒して使用権を主張したけど」

「そんな些細なことは忘れて頂戴」

 とウェンディ。

 ピスキーは続けて、

「そして二人は肌と肌を合わせて暖め合う。二人の距離を隔てるものはなくなり、ただ寄り添い深く温もりを確かめ合う」

「俺たちが凍えて意識が朦朧として、明るい花畑の向こうで死んだばあさんが手招きしているのが見えてた時、おまえらが妙な声を出してたのはしっかり聞こえてたけど、なにやってたのか今でも気になってるぞ」

 重ねてウェンディが、

「そういう細かいところは忘れてってば。それに君が考えてるようなことはまではしてないわよ」

 までは?

「そして迎える二人の夜明け。ボクたちは朝日に彩られた銀世界を後にしてみんなの場所へ戻った」

「街から三百メートルぐらいしか離れてなかったってのに気づかなかったのが致命的だったよな。吹雪で全然見えなかったせいだけどよ」

 以上、二人の愛の夜、説明会終了。

「……」

 静寂が場を支配する。

「「……」」

 周囲の人たちはなにやら色々な意味で頭を悩ませてしまっている。

「「「………」」」

 PFCもさすがに沈黙してお茶を啜っている。

「「「「…………」」」」

 行進隊では誰も音楽を聞いていないし見てもいないので、いつの間にか全員楽器を鳴らすのを止め、

「面倒くせーからさっさと行こーぜ」、

 とあからさまにやる気をなくした様子で宮殿へ足を進めていた。

 建国の女王役のミスグランプリは、自分の晴れ舞台を見てくれないのが悲しくなったのか、シクシクと泣き始めていた。

 主役に選ばれたのがよっぽど嬉しかったんだね、きっと。

「「「「「………………」」」」」

 しばらくしてピスキーはアッシュに期待に満ちた瞳を向ける。

「思い出してくれた? アッシュくん」

「喧しいわ! 黙って聞いてりゃ嘘八百並べやがって!」

 それ以前に、迷宮事件の前だし。

「ボクは嘘なんかついてないよ」

 懸命な表情で反論するピスキーに、アッシュはふと考え込んだ。

「……えーと、あれがこうで、これがあっちで」

 少し考えてから、

「……いや、確かに嘘じゃないかもしれんが、なんつうか……」

 改めてアッシュは、

「明らかに誤解を招こうとする説明だろうが!」

 と怒鳴った。

「アッシュくん」

 ピスキーは人懐っこい微笑を戻す。

「おおっ!」

「怒っちゃダーメ❤」

「ざけんな!」

 絶叫するとアッシュは力なくうなだれ、なにかを呟き始めた。

「もう嫌だよう、こんな学園生活。こいつのせいでなんかそういう趣味だと思われて、男は俺を避けるし。一部友達になってくれなんて言って近づいてくる奴等もいるけど、そいつらホ○で俺を仲間だと思ってるし。女も女であんた○モなんでしょ、なんて相手にしてくれなくなるし。別に声もかけてないのに押し寄せてくる連中は、みんなが後ろ指指しても私たちは応援するとか、禁断の恋だけど負けないでとか、耽美な関係が素的とか、愛があれば性別なんて関係ないとか、そういう連中だし。世界を滅ぼすことは簡単にできるのに、なんでこいつはどうにもなんないんだ……」

 人生の崖っ淵に立たされて、落下するのを必死で耐え続けた挙句、もう抵抗することに疲労し切った、解雇寸前の窓際族と称される会社員のような雰囲気を発散させるアッシュに、ピスキーが背中から包み込むように抱きしめる。

 見様によっては恋人を慰めるの図、に見えなくもないけれど、当のアッシュにその気が全然ないのが明らかにわかる。

 実際アッシュの口からは冷たく一言。

「離れろ」

 ピスキーは聞こえたのかどうか、

「アッシュくん。なにがあったのか知らないけど、とても疲れてるんだね」

「おまえのせいだって何度言えばわかるかなー」

「ボクでよければいくらでも慰めてあげるよ❤ ベッドの中であんなこととかそんなこととか色々と……」

 ゴン、と鈍い音がすると、ピスキーが床に倒れた。

 背中越しにアッシュが肘撃ちを、こめかみに当てたのだ。

「痛いじゃないかー」

 確かに痛そうだこれは。

 そんな子犬のように悲しげなピスキーに、アッシュは緩慢に視線を向けた。

 その瞳に私は戦慄が走る。

 感情があまりにも純粋かつ強烈過ぎて、かえって表面に現れず、むしろ障害となる存在をなんの感慨、殺意や敵意といったものを一切抱かずに、機械的に排除する、そんな爬虫類のような目〈もう少しわかりやすく説明すると、「もう殺そう、殺してしまえば楽になる」てな感じにイっちゃった目〉だった。

 そして鷹揚のない声で、

「安心しろ、次は痛みを感じる余裕もないから」

 次の瞬間、アッシュを中心に世界を構成する法則が急速変換され始めた。

 それは空間と大気に強烈な力場を形成し、実効命令一つで対象を消し飛ばす極めて攻撃的な……って、暢気に説明している場合じゃない。

 私は半ば二つに割れたテーブルを蹴り飛ばして横に倒すと、その陰に隠れた。委員長も私に続いて横に避難して来た。

 周囲の人たちもなにやらただならぬ気配に気付いたのか、いっせいに逃げ出そうとする。身を屈める、伏せる、隠れる。

 そして!

「来・た・れ(ComeON)」

 凄まじい空間歪曲と衝撃波がピスキーに直撃し、高速度で遥か地平線の彼方へと飛ばした。

 さらに急速に収斂した余波が周囲の大気を撓ませ、暴風の乱舞を発生させ、煽りで木々を薙ぎ倒し、屋台を転倒させ、人々を吹き飛ばし、あらゆる物を無差別に襲うそれは、人々の悲鳴と絶叫が響く、阿鼻叫喚の地獄が出現したようだった。

 どれくらいの時間が経過しただろうか、正確には十秒も経過していないと思うが、気が付けば全ては終わり、静寂が訪れていた。

 だが、それは精神に安らぎを与える静けさではなく、むしろ不安を掻き立てる無音だった。

 カフェテラスを中心として、辺り一帯は台風が通過したような被害が広がっていた。

 突然の災厄〈というか人災〉になす術もなく、人々はただ悲痛な怨嗟に呻くしかなかった。

 ガラス窓は無残に砕け散り、パレードカーは横倒しになり、レンガの壁は剥げ落ちて、木の上の犬は降りられずに鳴いている。

 倒壊した屋台で店主は呆然としており、壊されたトランペットで力なく音を鳴らそうと無駄な努力をする行進隊一人、あるいは太鼓やその他の楽器。

 母を求めて泣く子供を押し退けて、半狂乱で高価なブランドバックの行方を捜す厚化粧のおばさん。

「どうしてこんな目に遭うのよー! せっかく女王役になれたのにー!」

 と泣いているミスグランプリの美女。

 そして、なぜか無傷で何事もなかったかのようにこちらに聞こえるように囁き合うPFC三人衆。

 信じ難いことだが、死者は出なかったようだ。

 アッシュは一度大きく呼吸をすると、困難だが有意義なことを成し遂げた時のような、爽やかで清々しい笑顔で額の汗を拭う。

「これで良し」

「良しじゃないって!」

 ウェンディが瓦礫を押し退けて立ち上がった。

「あなたなんてことするのよ! ピスキー死んじゃったんじゃないの!? っていうかあなたが殺して、殺しコロころコロシロココ丁のココロが」

 なにやら混乱して意味不明の言動に発展している。

 対照的にアッシュは冷めた口調で返事。

「俺的には死んでくれたほうが嬉しいんだけどな」

「それだとあんた殺人犯ねー」

 私も瓦礫を押し退けて立ち上がる。

 とっさの判断とテーブルのおかげで怪我は免れた。

 お気に入りの服に埃が付いたけど、他の人の被害に比べれば微々たる物ではある。

「どのくらいの罪になると思う?」

 私は埃を払いながら、

「情状酌量の余地はあるんじゃない。器物破損と対人障害は免れないだろうけど」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「まあまあ、落ち着いて委員長」

「委員長はあなたでしょう!」

 つい口に出てしまった。

 私は咳払いをして、

「大丈夫よ、ピスキーはあれくらいじゃ死んだりしないから」

 私はピスキーの消えた地平線の彼方を指差した。

 その青空の一点が昼なのにキラリと一つ輝くと、そこから右拳を頭上に掲げ左拳を腰に矯めたポーズで〈スー○-マン。意味はわからなかったが、そんな単語が頭に浮かんだ〉飛来してきた。

 そして高速度でカフェテラスに到達すると、降り立つ寸前で急減速し、華麗に二回転して体操選手のように見事な着地を決める。

 手には〈どこから持ってきたのか〉十点と書かれたプラカードを持っていた。

「ただいま❤ アッシュくん❤」

「戻ってくるなよ。っていうかなんで平気なんだよ? 今の結構本気でやったんだぞ」

 アッシュは力なくうなだれる。この場合、本気で魔法を撃ったことが問題かもしれないけど、それについてのコメントは面倒なのでパスする。

 そしてピスキーは早速飼い主の下にじゃれつき始めた。

 アッシュの瞳が深淵の紫だというのは何度も説明したが、ピスキーも同じく深淵の紫で、実は資格が認定されてもおかしくないほどの成績を修めている。

 本人と関わっていると希薄になる認識だが、魔法実技ではアッシュを抜いて、主席を獲得している。

 そして筆記試験でもトップだ。

 そしてさらに信じられないのだけど、アッシュは魔法実技だけではなく、筆記試験でも次席。

 私は……私はどうでもいい。

 とにかく、先ほどのアッシュの攻撃に対し、ピスキーは事前に防御する魔法を使っていたらしい。

 数百メートル上空からの帰還も同じ理由だ。

「あのね、アッシュくん。広場でカップルコンテストっていうのをやっているんだって。一番仲の良い恋人は誰だって言うコンテストで、観客の投票で決めるんだって。それでね、優勝商品は二泊三日の旅行券なんだって。出てみようよー❤」

「帰る」

 即座に逃げ出そうとするアッシュの腕を、ピスキーは掴んで逃がそうとしない。

「えー、出ようよー。大丈夫、僕たちならとっても似合ってるって、みんな投票してくれるよ❤」

「イヤだー。認めて欲しくないー。放してくれぇー」

 泣き出しそうになっているアッシュ。

 ウェンディが周囲の惨状を眺めて呟く。

「どうするのよ、この有様」

 誰かがレスキュー隊や警察に通報したらしく、ちらほらとその姿が見え始めた。

 弁償どころの話じゃなくなったし、警察の厄介にならないうちに逃げたほうが良さそうだ。

 ふと、私は懐から一枚の紙切れを取り出して眺めた。

「なにそれ?」

 ウェンディが尋ねてきた。

「ピスキーの学園登録書。気になることがあって、ちょっとコピーを貰ってきたの」

「ふぅん。なんでそんな物貰ってきたの?」

 訊きながらウェンディは覗き込むと、不意に怪訝な表情になった。

「あれ? これ間違えてるわ」

「合ってるわよ。まあ、本人目の前にしてるとちょっと信じられないけど、あれでも成績トップなのよね」

「そこじゃなくて、わたしはここのこと言ってるのよ」

 と彼女は紙上の一点を指差す。



 ピスキー・フィフス。

 生年月日・聖暦2886年12月25日。

 性別・女。

 出身地・ソラリス連邦国。バーゼル区。タウゼント市……



「ほら、性別欄が女になってる」

「合ってるわよ」

 ウェンディは意味を飲み込めなかったのか、しばらくきょとんと惚けたようにしていたが、やがて毅然と告げる。

「なに馬鹿なこと言ってるのよ。ピスキーは立派な男の子よ。好きになった人が偶然男だっただけで、別に心が女ってわけじゃないわ」

 そういう意味で言ったんじゃないんだけど。

「まあ、心が女の子って言うのもそれはそれで……」

 なにやら気になる変なことを呟いてから、

「いえ、とにかく学園に帰ったら先生に言って修正してもらわないとね。まあいいわ、わたしがやっておくから。あなたに任せるといつまで放っておくかわからないし」

 まったく信じてない。

 というより、この場合問題なのは、そうやって自分とは本来無関係の仕事をやろうとするから委員長って呼ばれることなんだろうけど、その辺はどうでもいいし、私が楽なので、良しとする。

 そしてウェンディは再びアッシュとピスキーに目を向けると、

「だから、やめなさーい」

 と二人の所へ行ってしまった。

 アッシュは相変わらずピスキーとどつき漫才染みたことをしているし、なぜか無傷のPFCでも、やはりこちらに聞こえるように小声で話すという巧み技で、性別を越えた真実の愛とか、男の子の恋愛が素敵とか、妙な方向で盛り上がっている。

 なんで誰も気付かないんだろうか。

 私は本格的な懐疑の発作が起き始めていた。

 特にアッシュ。

 毎日のように抱きつかれているんだから、妙に華奢なんじゃないかとか、胸が柔らかいんじゃないかとか、匂いが全然違うとか、股の間に付いているべきものが付いてないんじゃないかとか、そういう疑問点に気づいても良さそうなのに、全く全然さっぱり一片の欠片も気付いていない。

 もっともピスキーはそういう服を着ているだけで、自分の性別に関して明確な発言をしたことはない。

 周囲が勝手に誤解しているだけなんだから、厳密には虚言というわけではないだろうけれど、間違いを指摘しないのは、広い意味でやはり同じと見なした方が良いだろうか。

 まあ、単純にピスキーはアッシュの反応を面白がっているだけなんだろうけど。

 でも、驚愕の真実というものを教えたら、みんなはどうするだろうか。

 それにいい加減に教えあげないと、アッシュの学園生活は、妙な方向に突っ走ったままだ。

 それにアッシュがどういう反応をするのか、少し興味がある。

 私は教えるべきだという義務感と好奇心が出てきた。黙っていなければならない理由も必要もあるわけじゃない。

 言ってみようかな……

「ねえねえ、どこ行くの? アッシュくん」

「警察に捕まる前に逃げるんだよ。おまえを犯人として置いてだ」

「置いていかないでよー。ずっと一緒にいよ。ね❤」

「ね、じゃねえ! 放せ!」

「ピスキーちゃん、捨てられちゃうわ」

「そしたら僕が慰めてあげよう」

「そんなのダメー。ピスキーちゃんはアッシュと結ばれるの」

「そうよ、アッシュはピスキーを幸せにする義務があるんだから」

「無いっ! 勝手なことぬかすな!」

「そんなに恥ずかしがらなくていいってばー」

「違うっつってんだろうが! これ言ったの今日だけで何回目だ!?」

「二十八回目ー❤ それでボクがこれを言うのは三十七回目ー❤ 愛してるよー❤ アッシュくん❤」

「止めろ! 黙れ! 喋るな! 引っ付くな! 抱きつくなー!!」

「❤❤❤❤❤」

「!!!!!」

 面白いからもう少し黙っていよう。



   おしまい



 追記。こんな調子で私たちは警察の取調べをうやむやにして逃れた。

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オズ魔法学園奮闘記 神泉灯 @kamiizumitomo

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