8・不合格の烙印

「ふっふっふ、運搬学生アッシーよ、今日こそ正義か悪か、どちらが勝るか決着を付けようではないか!」

「付けようではないかー」

 一階科学室の前の廊下で、いつものように妙な武器を持って登場したシュバルトは、宣戦布告しながらアッシュに指を突きつけ、その背後でピスキーが同じポーズを取っていた。

「喧しい」

 言いつつアッシュは、木箱から取り出した空瓶をシュバルトに投げつけた。

「オブ!」

 空瓶は的確に顔面に命中。

「な、なにをする!? 瓶などという原始的な武器で〈武器か?〉我輩を葬ろうとは、貴様いったい如何なる所存か?! 四百字以内で申してみよ!」

「今取り込み中だ、後にしろ」

「なんだその簡略な返答は!? そのような短い文章で提出すると後で呼び出されてやる気がないのかと教師に叱られたりするのだぞ! 簡潔に記したというのにどういうことだ?! 無駄な文章ばかりで長ければ良いと言うのか!?」

 シュバルトの言いたいことはわからないが〈体験自体は理解できるのだが〉、アッシュは要求だけでも伝えることにしたようだ。

「なあ、見て判らないか」

 アッシュは床に置かれた木箱を指差した。

 その中には埃が完全に付着して、変色している空き瓶が詰め込まれていた。

 ラベルには化学薬品の名称と取り扱いに関する注意と説明が記されている。

 入学してから一ヶ月が経過した頃、私たちは科学部顧問のリプター先生から、昼休みに科学室の古い薬品の処理の手伝いをしないかと頼まれ、アッシュとウェンディ、そして私の三人が借り出された。

 本来なら科学部の部員だけでするべきことなのだが、部員が一人しかいないという廃部寸前状態の科学部では、人手が明らかに足りない。

 アッシュは色々騒動を起している〈本人は巻き込まれただけだと言い張っているけど〉ので、学園の教職員や、魔術師連盟の心象を良くしようと、点数稼ぎのつもりで積極的に参加したようだ。

 ウェンディは性格的に言わずもがな。

 そして私は、なぜか二人に無理やり連れてこられた。

 しかし十分ほど経過すると、いつものようにシュバルトが登場、点数稼ぎのボランティア活動は早くも暗雲が立ち込め始めた。

「今、廃棄物の運搬作業の最中なんだよ、遊びは後にしろ」

 アッシュはふと気が付いたように、

「おまえ、今さりげなくアッシーとか言わなかったか?」

 アッシー。

 荷物持ちや、移動のさい送り迎えをする男性を指す。

 死語になって何十年経つだろう?

「言った」

 なぜか胸を張って答えるシュバルト。

「言ったね」

 なぜか腕を組んで頷くピスキー。

 アッシュは再び空瓶を投げた。

「オブッ!」

「人の気にしていることを言う奴はどういうことになるかわかってんだろうな!? このチビ!」

「あんたも言ってる」

 私は指摘したが、アッシュは無視した。

「だいたい毎度毎度同じこと繰り返して、いい加減おとなしくしたらどうなんだ、おまえは!」

「貴様を倒すまで我が野望が成就することはないのだ!」

「ないのだー」

 ピスキーが語尾を呑気に繰り返す。

「だーかーらー! 世界征服なんてアホなことおまえらだけで好きにやればいいだろ! なんで俺が妨害者の正義の味方になってんだよ?!」

「そのような底の浅い虚言で我輩を惑わそうとは片腹痛いわ! さあ、女の荷物持ちにされたり足代わりにされるアッシーよ! チビ呼ばわりしたことを後悔させてやろう!」

 しっかり聞こえてはいたんだ。

「おお、やったるわい! アッシー呼ばわりしたこと後悔させてやるぞ! このチビ!」

 この時点でアッシュは点数稼ぎを遥か彼方へ投げ捨てたようだった。



 喧嘩が始まると、その余波を受けて、窓ガラスが割れ、壁にヒビが入り、廊下に張り出してある連絡用紙が破れて舞った。

 廊下が滅茶苦茶に破壊されていく様を、私たちは安全な距離を取って見物した。

 念入りに倉庫から〈勝手に〉拝借した簡易式魔法結界装置を使用して。

 ピスキーもその中に入り、応援団の扮装をして〈ガクランに鉢巻。似合わないというかなんというか〉シュバルトに声援を送る。

「フレぇええ! フレぇええ! シュぅバぁルぅト! ガンバレガンバレシュバルト! 負けるな負けるなシュバルト! イェー! ピュリリリリリ!」

 笛まで吹いている。

「ファイトだ総帥! ガッツだ総帥! 魔導帝国の未来は総帥の双肩にかかっている!」

「あんたは戦わないの?」

「ボクは副総帥だからー」

 私の質問に春の木漏れ日のような笑顔で答えたが、まったく説明になっていない。

 しかし追求するのは面倒なので止め、質問を変えた。

「そういえば、前から気になってたんだけど、あんたなんで副総帥になったわけ?」

「宿舎がシュバルトくんと相部屋なんだー。それで誘われたのー」

 そして意味もなくブイサインを向けた。

「あ、そう」

 無駄話を止め、私は背後の曲がり角の影からこちらを〈正確にはピスキーを〉見ている三人に目を向けた。

 PFC三人衆である。

 先輩たちが〈学校非公認で〉行った新入生対象の投票で〈なんの投票かは押して知るべし〉ピスキーは大差で一位を獲得し、同時にPFCが〈本人未承諾、学園未公認で〉結成され、特にピスキー〈の可愛らしさ〉に心酔している学年代表三人がピスキーの周囲を二十四時間徘徊するようになった。

 彼らが睡眠食事などの生活行動をいつ行っているかは完全に謎。

 勿論、授業に出ているかどうかも怪しく、それどころか一歩間違えればストーカー確定なのだが、対象者が全く気にしていないようなので問題に発展してはいない。

 それに直接手を出してはいけないという暗黙の了解が成立されているらしく、影から覗いていること以外はなにもしない。

 手を出さなくても問題だという気がしないでもないけど。

「やーん、応援団のコスプレも可愛いー」

 一年代表の細身で背の高い女生徒が囁いた。

「ほんと、家に持ち帰りたくなっちゃう」

 二年代表のふくよかな女生徒がやっぱり囁いて答えた。

「それで色々悪戯したいよね」

 三年代表の大柄で筋肉質な男子生徒が続けて囁いた。

 内容に関するコメントは避けるとして、囁き声で会話をしているのに、なぜあの距離でここまで聞こえてくるのか、少し考えると信じられないような発声技術だ。

 というか、そもそもなんでそんな技術を使う必要性があるのだろうか。

「もう、なに言ってるのよ。ピスキーちゃんはキレイなままがいいの」

「純真無垢でなんにも知らない男の子のままがいいの」

「うんうん。無垢無邪気な可愛い男の子、はあはあ、ああん、可愛いぃーん」

 なにやら涎を垂らして身悶えしている。

 危ない男だ。

 そのうち我慢できずに一線越えようとするんじゃないだろうか。

 その反対側、私たちからアッシュとシュバルトが喧嘩をしている位置を挟んで、向こう側の角では、唯一の科学部員サイリックが隠れている。

 一学年上の先輩で、用事でこの場にいないリプター先生の代わりに監督しなければならないのだが、突然の出来事に狼狽して対応しきれないようだ。

「あのー、二人とも止めてください。危ないですから」

 小声で注意を促しても、勿論二人に聞こえるはずがない。

 なお彼は黒髪の長髪に長身、眉目秀麗と、絵に描いたような美男子で、ピスキーには及ばないまでもファンは多いらしい。

 しかし頼りない男なので私は不合格の烙印を押す。

 なんの合否か訊かないように。

「はぁー」

 私の隣で頭を抱えていたウェンディが溜息をついた。

「どうしたの? 委員長」

「わたしは委員長じゃないってば!」

 彼女は瞬間で反論した。

「ごめん、ついうっかり」

 ウェンディは益々険悪な表情になったけど無視した。

「それでどうしたの? なんか疲れてるみたいだけど、大丈夫?」

「まあ、疲れてるんだけど、今更説明する必要ある?」

「ないわね」

「まったく、せっかく魔力検定に合格して入学できたのに、シュバルト全然変わらないし〈前からこんなことやってたのか〉。オマケにピスキーやらアッシュまで騒動の種が増えちゃって。みんなこのままだと本当に処分受けるかもしれないって、わかってるのかしら?」

 ウェンディはしばらく考えて自分で結論を出した。

「わかってるわけないか」

「そういえば、今まで聞かなかったけど、あんた、シュバルトと幼馴染なのよね?」

「そうよ、実家が隣なの。子供の頃からずっと一緒だった。腐れ縁って言うのかな」

 雨の民と呼ばれる民族は、高確率で魔法使いを輩出することで有名な民族だ。

 シュバルトはその民族の出身だが、ウェンディは違うらしい。

 少なくとも、判明している限りでは、親類に雨の民はいない。

 ただ偶然住んでいる町が一緒だったそうだ。

 そして偶然二人とも魔力保有者だった。

 シュバルトが魔法使い〈というか、魔導帝国総帥〉を目指すのは、雨の民の一般的な傾向として、魔法使いを志すことに関係しているのだろうが、ウェンディはたぶん、シュバルトを一人にするとなにを仕出かすかわからないから、という理由なのではないだろうかと思う。

効果があるかどうかは別として。

 ガシャン!

 窓ガラスが一枚派手に割れた。

「いい加減に止めなさい!」

 ウェンディは叫んだが、勿論二人は訊いていなかった。

 ピスキーが肩を叩いて慰める。

「大変だね。でも頑張って。どんなに報われなくても、一生懸命やり通さないと、立派な委員長になれないよ」

「委員長じゃないって言ってるでしょ!」

「それにあんたも当事者の一人でしょ」

 私は補足した。

 ピスキーはしばらく考えてから、掌に拳をポンと叩いた。

「わかったよ」

「どっちを?」

 ウェンディが訊くと、ピスキーは一つ咳払いして、大きく息を吸い込んだ。

「フレーフレー、ガーンバレ、どっちもこっちもガーンバレ。ピュリリリリリ」

「両方応援しろって言ったんじゃないんだけど」

 ウェンディは再び溜息をついて、

「せめて委員長じゃないってことだけは理解してよ」

 そっちのほうが重要なのか。



 続く……

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