3・本気でやってやる

 ……続き。



「な、に、が、我輩だ! このチビスケ!」

 突然怒声を上げて立ち上がったアッシュは、全身のバネを最大限に発揮した渾身の直球ストレートをシュバルトの顔面にヒットさせた。

 シュバルトは倒れなかったが、鼻柱に直撃したため鼻血が出る。

「な、なにをする?! 愚民その一!」

 掌で鼻を抑えながら叫ぶシュバルト。

「なにをするじゃねえよ! このチビスケ! さっきから人の頭やら脇腹やら男のタマに球をボカボカ当てやがって! どうなっか覚悟はできてるんだろうな!? チビスケが!!」

「チ、チビだと! 人の気にしていることを〈気にしてるんだ〉ズケズケと指摘するとは愚民なれど愚かしさこの上なきは天誅に値すべき! というわけで公開処刑! 発射ァ!!」

 怒り心頭に達したシュバルトは引き金を絞った、が球は出なかった。

「あれ?」

 シュバルトは疑念に呟く。

 アッシュは進路を塞ぐ椅子を押し退け、次いでウェンディも押し退けて静かに壇上に足を進める。

 なんのために向かっているのかは明白だったが、誰も止めようとしなかったのは、その無表情とも思える冷徹な眼差しの奥に宿る激烈な感情を感じ取ったからか。

 しかしウェンディが勇敢にも彼を阻むのに挑戦する。

 でもちょっと怯えた声で。

「あ、あのね、あなた……えっと、名前はまだ知らないんだけど……えーと、とにかくね、暴力は止めたほうがいいと思うの。なんか今のあなた物凄く怖い顔してるし、あいつ容赦なくボコボコにしようって考えてるでしょ? でもあっちは武器を持ってるし、入学式でいきなり暴力事件とか起すと、停学とか、もしかすると退学にもなるかもしれないから、ここは一つ話し合いで解決して、後は先生に任せるのが一番いい方法だと思うんだけど。……あの……ねえ、聞いてる?」

 勿論聞いていないアッシュは、ウェンディを無視して足を進め続けた。

「あ、クソ、取り付け方間違えたのか」

 シュバルトは焦り気味にボルボルホールクンに取り掛かっていたが、

「あ!」

 という声の次の瞬間には、ガシャン、と音を立てて鉄パイプが床に落ち、

「……」

 彼は沈黙した。

 ピスキーが横から覗き込む。

「壊れちゃったね」

「……」

 シュバルトは少しの間、無表情に床に転がった鉄パイプを見ていたが、不意に変形クロスボウを背後へ放り投げ〈ピスキーがキャッチして〉、次にマイクも背後に放り投げると〈それもピスキーがキャッチして〉、ボクシングのように両拳を構えた。

「よおーし! ここは一つ男らしく素手で勝負してやろう! まあ、総帥というか、王者の余裕と貫禄というやつだな! はっはっはっ」

 開き直ったのか妙に朗らかなシュバルトの科白を無視して、アッシュは講壇の手前で止まった。

 そして、自称魔導帝国総帥を見据え、肺に空気を大きく吸引した。

 不意に、大気の流動が起き難い屋内である講堂内で、風が発生した。

 カーテンがゆれ、衣服が靡き、髪が舞い上がる。

 その風は通常ではありえない、不自然な動きで、誰もが怪訝に思う。

「!」

 そして私は驚愕に目を見開いた。

 アッシュを中心に世界法則が高速度で変換され始めた。

 世界は厳然たる法則の元に存在している。

 その万物を支配する宇宙の法則を、自分の脳で言語情報化して視認し、そして法則に強制的に直接介入することで、自分の望む現象を引き起こす。

 それが魔法と呼ばれる技。

 いわば神の定めた法に逆らう行為。

 新入生のほとんどはその異常事態に気づいていないが、世界法則を見ることができる上級生は俄かに騒然とし始めた。

 法則を言語情報として見ることは、魔法の基礎であり初歩だ。

 進級した者なら当然習得しているべきものであり、魔女の系譜に生誕した私ならば見えて当然。

 アッシュが変換する法則は空間と大気に強烈な力場を形成し、それは実効命令一つで対象を消し飛ばす極めて攻撃的なそれは…



 それは……

「来たれ……」

 遥か彼方から届くようなそれは……

「我が元に来たれ……」

 歌うように……

「我は絶対の支配者……」

 祈るように……

「ゆえに我は深遠なる眷属に命ずる……」

 奏でるように……

「古の盟約に基づき我が元に……」

 紡がれる言葉は……



「呪文!」

 シュバルトが驚愕し、慌てて叫ぶ。

「ちょっと待て! それは卑怯だぞ! こっちはまだ魔法が使えない……」

 彼の言葉が終る前に、彼の言葉は終る。

来・た・れComeON



 爆発音にも似た轟音と同時に膨大な光が講堂に満ちた。

 その光に一瞬目眩まされ、視覚が回復した時には、シュバルトは壇上に倒れていた。

 アッシュの周辺には魔法の余韻が残留し、その体から放電現象が発生している。

 魔法の電撃がシュバルトだけを打ち据え、その緻密で正確な攻撃は、他に無駄な損傷を与えていない。

「フゥー」

 アッシュの緩慢な息吹と共に、放電が収斂する。

 茫然とその様子を見ていた人々の中から、私は前に出て、アッシュの側に行くと声をかけた。

「ねえ、今の魔法よね?」

 わかりきっていたことだが、私は確かめずにはいられなかった。

 魔法とは極めて高度な技術で、扱いは大変困難であり、例え私のように幼い頃から徹底的な英才教育を受けたとしても、その基本能力が発現するのでさえ数年はかかる。

 一定以上の魔力保有者のみを受け入れ、集中的な魔法訓練を受けるこの学園でも、実際に魔法免許が発行されるのは三割にも満たない。

 それほど難しいのだ。

 それなのに、魔女の後継者である私でさえ到達していないレベルの、精密かつ強力、そして高速度で魔法を行使した。

 修行も訓練も必要とせずに、魔法免許が獲得しても不思議ではない領域に達している。

「ああ、魔法だ」

 答えるアッシュは、なぜかその顔に微かに苦渋が滲んでいた。その瞳を私は見つめる。魔法使いが魔力に目覚めた時、その瞳の色彩はなぜか、深遠の紫DeepVioletに変化する。

「あんた、いったい何者なの?」

「はーっはっはっは!」

 私の疑問は唐突な哄笑に遮られた。

 壇上の上で仁王立ちして必要以上に存在を主張する声の主は、電撃が直撃したはずの〈自称〉魔導帝国総帥だった。

「甘い! 甘いぞぉ! この超天才シュバルトさまがその程度の攻撃を予想していなかったと思うのか!?」

 そして制服の上着の胸元を開くと、

「こんなこともあろうかと対魔法用プロテクターを着込んでおいたのだ!!」

「こんなこともあろうかと倉庫からくすねてきたんです」

 いつの間に壇上から降りて〈薄情にも〉一人で避難していたピスキーが、教職員の間からマイクを手に持って説明の補足をした。

「ちょっとシュバルト!」

 ウェンディがさらに憤慨して、

「倉庫からプロテクター持ってきたって、あなた泥棒したの?!」

「人聞きの悪いことを言うな! この学園は我輩が支配するがゆえに、ちょっと借りただけだ」

 支配するとか言っている割には、控えめな言い訳だった。

 そして改めてアッシュに、シュバルトは勝ち誇った表情で指を突きつける。

「さあさあどうするどうする!? 愚鈍なる一般生徒改めちょっと強敵生徒! 学園の支配者は誰かその身に思い知らせてくれよう! もしくは改心し我輩の配下となるか? さあ! どちらを選ぶ!?」

「わかった」

 アッシュが嘆息して答えると、途端にシュバルトは喜々とした。

「おお! そうか、我輩の配下となるか。まあ、貴様ほどの力量の持ち主なら、名誉ある帝国幹部にしてやらんこともなし」

 早合点の発言を無視して、アッシュは信じられない発言で返した。

「本気でやってやる」

「「「え?!」」」

 講堂内全員の声が重なった瞬間、それは始まった。

「来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ来たれ、来・た・れ!」

 衝撃波「ヌオ!」火炎弾「アヂィ!」椅子「オブッ!」突風「クォオオオ!」改めて電撃「オボボボボ!」なんか妙な液体「なんかヌルヌルするぅう!」以下省略「アンギャラベブボー!!」

 凄まじい魔法の嵐が吹き荒れ、その余韻が収まったころ、壇上に残されたのはボロ雑巾に成り果てた魔導帝国総帥〈自称〉だった。

「これで良し、と」

 アッシュの満足そうな呟き。

「いや、良しじゃないって」

 私は取り合えず突っ込んでから、

「っていうかなによ、今の連続魔法は? あんたこの学校に来る必要ないじゃない。今でも十分過ぎるほど免許習得できるわよ。なんで入学したわけ?」

 秀才とか天才的であるとか、そういうレベルの問題ではない。

これは魔術師の域に達している。

そんな人間がまだ学校に通って授業を受けるなど、明らかにおかしい。

「ちょっと色々事情があって」

 アッシュは言い難そうに口許を押さえて視線を逸らす。

「そんなことより」

 ウェンディが間に入って、

「シュバルト大丈夫なの? なんか全然動かないんだけど」

「大丈夫だろ、あいつプロテクター着てるんだから」

 そのプロテクターは明らかにボロボロ。

「手加減した、とは言わないのね」と私。

「……いや、手加減はしたんだよ。うん」

 わざとらしく付け加えるアッシュ。

 そして誰も救護に向かわないシュバルトに〈薄情にも〉一人で逃げていたピスキーが壇上に戻って側に寄ると、指先で体を突っ突いた。

 全く動かない。

「「「………」」」

 アッシュに視線が集中する。

「大丈夫、手加減したから」

「さっき本気でやるって言ってなかったっけ?」

「空耳だ」

 ピスキーはシュバルトを背負うと、講壇から降りて出口へ向かう。

 私たちの側を通り過ぎる際、春の木漏れ日のような暖かく軽やかな微笑を向け、挨拶のつもりか軽く手を掲げた。

「それじゃ、ボクたちはこれで」

 そして魔導帝国コンビは人々が見送る中、講堂から去って行った。

「……で、結局あれはなんだったんだ?」

 アッシュの疑念の呟きに、私は疑念で答えるしかなかった。

「さあ?」



 つまり、これがシュバルト・シュバィツァーとの出会いであり、ピスキー・フィフスとの出会いだった。

 そしてアッシュの受難の始まりでもあった。

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