第9話
ここから2話の時系列に戻り、クーデターの話になります。
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兆候と呼べるものは幾つかあった。
婚約破棄により筆頭公爵家が王家を有責に出来る筈もないが、近い形に追い込む事が目的であればどうであろうか。
セオドアの寝室に護衛騎士に紛れた刺客ともいえる賊の侵入、筆頭公爵家との摩擦の強まり、公爵令嬢との婚約破棄、それらは第三王子の失脚を明らかに狙ったものだ。
園遊会における国外外交を優先した結果の国王夫妻の不在自体は、田舎の小国ゆえに良くある事ではあるのだろう。
第二王子も婚約者の領地へ視察に出掛けており、王太子とまだ幼い第三王子のみが王城にて公務をこなしている。
それは隙と言えばそうだ。
この国を取り巻く情勢を完全に無視すればの話だが。
◆◆◆
婚約破棄騒動の翌日の事だ。
早朝、ガレスの元に辺境伯領から手紙が届いた。
父親の名の書かれたそれには、直ぐにでも領地へ帰還するように書かれている。
見間違える筈もない父の筆跡によって急用であるから用向きは帰還次第通達するとまで書かれており、只事ではないのは確かだ。
辺境とは即ち他国との国境である。
だからこそ領土防衛という意味では問題が発生しやすい。
それはわかっている。
だというのにまるで王都に留まるなと警告しているかのように感じるのは、どうも何か酷い違和感のようなものが付き纏うからだろう。
王太子宛にその旨を簡単に連絡したが、以前と同じように騎士団長からの帰省の許可がおりた事を伝える事務的な文面が返ってきただけだった。
火急の要件ではあったとはいえ、騎士団長の独断で返事をしてきた事は明らかだ。
しかし無視もできない。
許可がおりて直ぐにガレスは父親の通信兵である部下達と共に王都の貴族街の屋敷を後にした。
「随分と早くに許可がおりましたね」
長身の通信兵と護衛を兼ねている伯爵家の兵士が、馬車の幌の隙間から外の街並みを伺いながらガレスへ声を掛ける。
父親の部下の乗って来た荷馬車には簡易的ではあるが旅の支度が整っていた。
王都で足止めをくらうだろうと用意されていたものだ。
「その事なんだが、少し気になる事があってな……」
「おっと!坊ちゃんまさか遂にですか!」
長身の男とガレスの間に割って入るように髭面の兵士が茶化すように声をあげた。
馬車にはガレスの兄と同い年の御者の男と、その隣にこの中では小柄な護衛の男、ガレスを含めた計五人が乗っている。
「遂にとは?」
「ああ、ガレス様に想い人が出来たのではないか?という話です」
「………おおっ、それはめでたい!」
「何故そうなる」
会話が明後日の方向に飛躍する。
声を弾ませた長身の男の言葉に合わせるように祝いを述べた髭面の男の目が、スッと感情を殺した警戒の色に変わり幌の外へ向く。
意味を汲み取ったガレスも、それに倣う。
「旅支度に必要な物でも整えながら是非教えてください!」
「……………、わかった。長くなるぞ。表通り辺りが物が揃って丁度いいだろう」
一行は城郭都市の城門には向かわずに一旦馬車を停め、昼間の城下の表通りの雑踏に紛れた。
伯爵家の自家用の紋の入った馬車でなく、荷馬車であるのも市井に紛れ込むには都合が良い。
地方に領地を持つ貴族の家系であるガレスのような立場の者が、少しだけお忍びで王都からの出発を前後させる事はさして珍しくはなかった。
急を要するものでなければ、よくある話だ。
騎士団長から早々に返事が来たという事は、筆頭公爵側から監視を付けられていてもおかしくはないだろう。
一芝居うった歳上の部下の機転に頭が下がる。
どんな距離で見られているかは不明であれど、目的もわからない相手に尾行されているのならと、自分と背格好が似てる臣下が代理を買って出てくれる事になったという訳だ。
服を交換して装備も雑嚢と水筒、剣とグローブ以外は装備を交換し。
王宮からの支給品のグローブは、背格好が似ているといっても通信兵には合わなかった。
剣も特にガレスには拘りがないため、使い慣れた長さのものをそのまま双方持つ事にした。
後から合流するつもりであるガレスが、万が一の場合に王都から領地へ帰らずとも気付かれないよう手を回してくれる手筈だけを整えて一行から離脱する。
念には念を入れて追跡の目をまく為に早朝は商人の買い付けをする市場の庶民の人集りに参加し、昼は適当な場所で目立たぬように済ませた。
日が沈んだのを頃合いとして、夕陽を背に舗装された馬車道の坂を馬車ではなく馬を単騎走らせて登る。
本来なら追跡の目をかわしたなら時間差を付けて領地へ向かうだけで良かったが、胸騒ぎや勘のようなものだったとしても自身の感じている違和感の正体がわからない以上、セオドアに一目会って言葉を交わさねばならない。
そんな気持ちがガレスの内に芽生えていた。
何事も無ければただの笑い話になるだろう、それを望んでいる。
◆◆◆
初夏の生暖かい風のない夜は静かだ。
王族と一部の者しか知らない秘密の抜け道のひとつである地下水路の出入口から、夜空に浮かぶ満月を眺めるとゆっくり息を吐き出した。
足音が聞こえる。
それは思い描いていた幻想のガレスを出迎えてくれる水を吸った子供の足音とは違い、重苦しい金属音が複数、視線の先の亜熱帯樹の茂みを揺らし闇の中で蠢いていた。
規制正しい歩行音が水路を伝い、此方に向かって迷いなく歩いてくる。
帯刀した剣の柄には手をかけずに、ガレスは腕を組んで相手の出方を伺った。
「そこで何をしている!」
耳を打った声と4、5人の完全武装した兵士がガレスを取り囲む。
一体誰の差し金か、各諸侯ごとに定められた紋章があしらわれたマントを身につけている事から明らかだ。
「これは筆頭公爵家の騎士様方が、このような場所に何のご用件でしょうか?」
「貴様、質問しているのは我々だ。答えよ」
他の者より一歩前に出た騎士の長剣がガレスに向けられる。
ガレスの腰に下がっている一振りと大差のないそれは、王宮により護衛騎士に支給されている物だ。
この狭い足場しかない場所で長剣を持った者が二人、斧兵が一人、残りが槍兵で構成されてるこの班が、突入を意識しているという事だけは想像に容易い。
「王太子殿下より勅命を賜り許可は頂いております」
王太子とガレスがそう口にすると全員が殺気立つ。
こんな堂々と謀反をくわだてている事を末端の人間が隠しもしないのは、指揮官からすれば充分な勝算があればこそだろう。
「そうか、ならば逝ね!」
斬りかかられ身を翻して刃を前進して避けると剣の柄に手を掛ける。
抜刀の勢いを利用し深く踏み込むと、剣士の斬撃無視したままその後ろの槍兵の胴体に突き刺さした。
騎士の甲冑の急所はそこまで多くはない。
肩や腕の関節、脇腹の辺りにある隙間を狙うのが一般的だ。
絶叫しようとした相手が息を吸ったタイミングで剣を引き抜き、向かい合ったままフルフェイスの兜の最大の弱点である視界を確保する為の場所に二度目の突きを放つ。
短い悲鳴を発したそれを盾にし、二人目の槍兵に間髪入れずに体当たりした。
それにより倒れた兵士の肩の鎧を踏み付けながら首元を二度刺しする。
「貴様!」
怒りを纏った剣士の怒号と共に飛来した斬撃を柄尻の方で弾くと、斧兵の攻撃が降ってくる。
避ける間はないため、手に持っていた死体を相手に投げた。
斧の刃に肉塊が一瞬食い込み、鈍器の軌道が鈍る。
その隙に長剣の剣先を差し込むと、痛みに斧を手放した兵士が短く喘ぐ。
斧が地面に落ちるよりも早く、首筋の甲冑の隙間に入れた長剣が引き抜かれた瞬間に鈍い音を立てて兜を被った首が落ちた。
国境の警備とは味方に扮した敵というものが当たり前のように現れる。
躊躇があれば死ぬ、ならば躊躇を捨てれば良い。
騎士の前に兵士として一番最初に叩き込まれるのは確実に相手を動かない物に変える方法だ。
「くそう!」
声を上げた剣士から、ガレスの背目掛けて繰り出された突きをのけぞって避ける。
狭い足場は動きを制限してしまう。
だからこそ訓練しかしていない実戦経験の乏しい攻撃は読みやすい。
視界の隅で逃げようと背を向けた、もう一人の兵目掛けて地面に落ちていた斧を足で持ち上げてから利き手ではない方で雑に放る。
ガレスの手を離れたそれが空中を回転しながら意図した方向へ飛んでいったようだ。
面前を掠めた突きの連撃を避けて、遅れて聞こえるグシャリと何かの潰れた音に命中したのだろうと判断する。
息のあがってきた様子の騎士を前に、ガレスは再び疑問を問い掛けた。
「このような事をなさって、筆頭公爵閣下は一体、何をなそうとしておられるのか?」
「おまえ如きに、知る、資格は、ない!」
そう息も絶え絶えに叫び、大きく振りかぶった騎士の動きに間合いをつめると脇腹のつなぎ目の隙間を狙って斬り付ける。
口から血を吐き出した騎士が膝をつくと、ガレスを見上げて自身の最後の力を使い、己の剣で喉を切り裂いた。
忠誠心に酔った瞳が笑いすら浮かべていたように見える。
鮮血が床に散ったのを一瞥してから、ガレスは血糊を払うようにして剣を鞘へ収めた。
筆頭公爵が何故地下通路を知っているのかはわからない。
しかし、それはセオドアに危機が迫っている事を暗示していた。
斧により胴体と下半身が切り離された死体の側に落ちているスクロールを確認すると、火属性のごくごく一般的な火炎魔法が記されており。
焚き火程度にしか使えないそれの使い道を考えるだけで嫌な予感が強くなった。
念のため、馬から鞍を外して石の敷き詰められている地面へ落とすと、そのスクロールを使って火をつける。
完全に鞍が敷石の上で燃えているのを確かめ、鞍を外された馬がガレスの周りを一周し様子を伺っている姿に合図するように他に人の気配がないことを確認してから馬の尻を軽く叩く。
合図を受けて走り出した蹄の音が闇に消えていくのを聞き届けた。
その時、爆音が炸裂し爆発の風圧のようなものががガレスの耳や身体を打つ。
公園の樹々の向こうにそびえ立つ月を背にした王城の影から、赤い炎と黒い発煙が立ち上っていた。
何が起こっているのかは分からない。
だが、それを目にしたガレスはなりふり構わず地下水路へと飛び込んだ。
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