第10話

狭い通路は四方八方に道が続いてはいるが、各所にランプが灯されている道は長大な一番太いものへと繋がっている一本しかない。

以前何度かセオドアに案内されて通った道筋は慣れた道のりだ。


水路の水嵩はガレスの脛のあたりまでの深さがあり、足を進めている進行方向とは逆に向かって水が流れている。

膝を持ち上げる度にバシャバシャと水滴が跳ね上がるのが鬱陶しい。

冷静さを欠いた頭では暫く通路特有の似た景色が続き、長い回路が永遠に続くのではないかという軽い錯覚すら感じた。


たどり着いたセオドアの部屋の真下に位置する、非常用出入り口の扉は普段と変わりないように見える。

不用意にガレスの手が持ち手の部分に触れると、騎士団支給品のグローブがジュっと焼き付いたような音と共に革越しに伝わる熱に手を離した。


「……っ」


雪国では雪が降り積もる為に焚き火やかまどで石を焼き、それを布に巻いてから体に身に付けて冷えを防止するという知恵がある。

この扉はその熱せられた石のようだ。

中がどうなっているか分からないが、火の手がこの扉の近くにまで回っているのは明白だろう。


熱により金属は膨張する。

すぐに危険を感じて手を離したといえ、建て付けが悪いような扉ではなかった筈だ。


扉の向かい側の壁からは上水が、ガレスの目線辺りの位置から水路へ向かって噴き出している。

それを全身に浴びて剣の鞘の外側を濡らすと扉の前に戻り、持ち手部分にガツガツと鞘のこじりを叩きつけ破壊した。

金属が弾んで水の中に落ちていく。


斧でもあれば簡単に扉を壊せただろうが、背後に下がってから踏み切った身体をぶつけるようにして足で扉を蹴破る。

扉の先は熱せられた空気が立ち込めて、息を吸うだけで肺が焼けるようだ。


それに自ら進んで突っ込んでいく。

階段を駆け上がったガレスは、迷い無く燃え上がる業火の中に足を踏み入れた。

水を被った身体から滴った水滴が、火の粉にまかれて蒸発していくかのような熱さに怯んだ足を、それ以上の感情が突き動かす。


床も壁も焔にまかれ、煤汚れた煙が一帯を包んでいた。

豪奢な室内は無惨にも炎に燃され朽ちていく。

目の前の光景を目の当たりにした絶望感と、胸を過る焦燥を振り切るように闇雲に足をただ動かす。


「セオドア殿下!でん、か……!」


返事はない。

セオドア王子の私室はそこかしこから炎が吹き出し、火の粉がガレスの行く手を阻む。

自身の生命の危機を警告するような息苦しさに唾を飲み込むと、紅い蛍がふわりとガレスの視界を横切った。


「セオドア殿下!」


点滅を繰り返した紅い光が視線の先で弾けて落ちる。

その足元の床の瓦礫に紛れるようにしてセオドアがいた。


セオドアの上に乗っている物を必死に退かすと、倒れている主人は医術の知識に乏しいガレスからしてみても重症にみえる。

抱き上げた熱を帯びている子供の身体は小さく軽い。


弱い紅い光が瞼をひらいてガレスを見た瞳に戻っていった。

ガレスの服の感触を確かめるように動いた子供の手を取り、握り締める。


「ぁ……………がれ、……っ」


炎の中、かき消されてしまいそうなか細い声がガレスの名前を呼んだ。

繋いだ手を握り返そうとした指先が手の甲をなでている。

口元が笑おうとしたのだと、安堵するように瞬きをゆっくりと繰り返した子供の仕草から読み取った。


絶対に助ける。それだけがガレスを突き動かす。


炎の中を来た道を辿るようにして地下水路に出ると、地上の暑さが嘘のように涼やかな湿った空気に満たされていた。

だからこそ背中に背負っている体温が異常に熱を持っているのが分かる。

火傷した部分が熱を持っているのだろう。


ぬるついた感触は血液か、それとも浸出液の類いが熱傷した部分から滲んでいるのか、苦しそうな息遣いが荒い呼吸を繰り返して薄い身体が上下していた。

焦りと憤りで頭がおかしくなりそうだ。


せめて少しでも熱を冷やそうと、セオドアの体を流水が降りてくる噴き出し口の場所に持ち上げて水を当てる。


「ぅぐ………」


歯を食いしばって痛みをこらえているのか、呻きに近い声が一回だけあがったきり荒い呼吸音しか聞こえてこない。

ガレスも自分の無力さに歯をくいしばる。


この場所にずっと居ては城側の出入り口付近である事からして、ましてやセオドアの部屋の真下だ。

いつかは出入り口が見つかる。

だからといって公園の方へ引き返す事も得策ではないだろう。


倒した兵士からの伝令が途切れている事に気付かれるのは時間の問題だ。

その為、ガレスの身元が割れる危険性も考慮して馬も蔵を外して逃してきた。

別の出口を探すにしても、明かりの灯されている数少ない通路を通れば直ぐに兵士と鉢合わせする。


最悪、挟みうちにされた場合、セオドアを庇いながらどれくらい戦えるだろうか。

金属音と水の中を進むような足音が遠くで幾重にも反響してガレスの耳に届く。

水の染み込んだセオドアの服は少しだけ熱を鎮めたようにみえるが、早く医者にみせなければならない。


意を決して、ガレスはセオドアを背中に背負い直すと幾つかある細い横道の暗闇の中へ足を踏み入れた。

ランプなどの手持ちの明かりもない窓のない通路は、壁についた手だけがそこに石造りの壁に囲まれた狭い道が続いている事を教える。


闇に紛れて隠れるように逃げる以外の策は、今のガレスには残されていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る