第2話
第三王子が笑わないというのは嘘だ。少なくともガレスとごく一部の者はそれを知っている。
「気味が悪いだってさ、そりゃそうだ。あいつ泣きもしなかったな!」
「表情筋が死んでるんじゃないか、公爵家の姫様もあんなのが婚約者なんてお気の毒だろ」
「ガレスお前この後休憩だったか?この書類かわりにやっとけよ」
「ああ………、わかった」
王子がそういった態度を隠しているのは護衛騎士といえど、大半の者が筆頭公爵の息のかかった人間だからだ。
余りにも仕事を適当にするような者達を王家が見逃している形になっているせいで、最近の増長はガレスの立場から見ても目に余る。
しかし、それはガレスにとってはある意味都合が良かった。
書類を押し付けた同僚達を見送ってから城内にある護衛騎士の詰め所、その室内にある窓を閉める。
合図を送るように窓の外に向かって手を振ると騎士達が立ち去った通路の逆方向からぱたぱたと軽い足音が聞こえた。
ガレスはそっと扉の前に立ち、戸に手を掛けて待つ。
「ガレス!」
小さな来訪者は一生懸命扉を押しているようで、うーだとかんーだとか唸る声が扉越しに伝わる。
笑いを堪えながら取っ手を持ち、そっと扉を開けるとその影に身を滑り込ませた。壁と開いた扉に挟まれた状態で様子を伺う。
「いないのか?」
室内に飛び込んで来た婚約破棄されたばかりのガレスの主君は、キョロキョロと自分の騎士の姿を探している。
名前を呼ばれていたのだから、ガレスを訪ねて来た事は明白だが、これもちょっとしたじゃれあいに過ぎない。
「ガレス~?」
小さな身体を折り曲げて、机の下を覗き込んでいる背中に静かに歩み寄った。
「ワっ!」
「ッーーーーー!」
肩をビクつかせた相手の脇の下辺りに腕を回して抱き上げる。
きゃいきゃい甲高い悲鳴に似た声を発して暴れた身体がガレスの首元にしがみ付くと、悲鳴が短い笑いに変わった。
「ガレスっ!」
「すみません殿下」
羞恥と照れにより頬を赤らめた幼い顔がはにかんだ。
「まさかお主が後ろにいるとは思わなんだ、びっくりしてしまった」
頬をガレスに擦り付けた主はまだ笑いがおさまらないようで、くすくすと身体を震わせて笑っている。
「お許しください。殿下がお越し下さった事に浮かれてしまい、ご無礼を致しました」
「うむ」
ならばと囁いた吐息がガレスの耳に掛かる。酷く甘やかなそれに抱きしめたままの腕に力がこもった。
「ならば、お主には目を瞑ってもらおうか」
罰を与えてくれるというのだろう。
「開けてはならぬぞ?」
念を押され、薄眼を開けて相手の様子を伺った。目鼻立ちのくっきりとした顔が近付いてくる。ガレスの唇に触れた柔い感触は、小さな子供のそれだ。
押し付けられた唇は罰と言うには余りにも拷問に近く、砂糖菓子のような甘さと、煮え繰り返るような熱を与えた。
「驚いたか?お主にばかりびっくりさせられてはズルいのでな、お返しだ」
腕の中の主は艶やかに色付いた唇の端を釣り上げて無邪気に笑い掛けてくる。自分の顔に熱が集まっているのは解っているが、小さい胸元に鼻を寄せて深く息を吸い込む。
ほんのりと汗の香りと服に焚いた花の匂いが鼻孔をくすぐった。
「お、怒っているか?」
少し慌てたように主が、ガレスの頭に腕を回して身体を押し付けてくる。
「いえ、そのような事はございません」
背中を片手で撫でると、真似をしたセオドアの小さな手がガレスの頭を撫でてきた。先程の口付けも、きっと彼の兄王子達か国王夫妻の真似をしただけなのだろう。子供によくある悪戯だ。
室内は窓から差し込む陽の光で満ちている。色白い肌が陽の光を浴びてキラキラと柔く輝いた。
「ガレス………!」
「はい、セオドア殿下」
甲高い笑い声が部屋に響く。
名前を呼び合うだけで嬉しいのだと態度に出されるのが、酷く愛おしい。
高い高いとはしゃぐ声に応えて持ち上げた細い身体と向かい合う。
ニコニコと微笑んだ色白い頬に口付ける。こそばゆいと足をばたつかせて身をよじるセオドアの額に瞼にキスの雨を降らせた。
「ここにもしてくれ」
強請るように口を差し出されて苦笑する。焦らしたつもりはなかったが、もじもじと恥じらいを含んだ視線が期待を込めてガレスを見た。
「かしこまりました」
唇に触れるだけの接触にガレスの口付けの意味など知らない無垢な瞳が、春の木漏れ日のように優しい色を宿して笑う。
それが主君が家族と交わす挨拶と同じようなものなのだと暗に示していた。
安心したのか甘えるみたいに全身を預けられる。鼻歌でも歌うように上機嫌な主は左側のガレスの肩に頭を乗せると、頬に触れてから反対側の肩を撫でた。
「………ガレスは俺の味方だから嬉しい」
遊び疲れたのか大人しくなってしまった主を抱き込み直して、席に着くと卓の上に投げ出されている書類に目を通す。筆をとり内容を確認し、サインしてから片手で片付けた。ふと子供が腕のなかでそっと声を殺して泣いている気配に、何かを言葉にしようとしてから辞める。
まだ十と三を数えて間もない子供が笑わない訳がない。泣かないはずがない。そんな事も分からない人間がこの小さなガレスの主君を傷付けている。
それを腹立たしいと思っていながら、ガレスは無力だった。
肩のあたりの布の冷やりとした感触がセオドアの悲しみの深さを教えてくれる。
「殿下は大変御立派です。ですが、もっとわがままを言ってくださらねば私は不安になりますよ」
「俺はガレスが思っているほど、りっぱなどではないぞ」
「と、おっしゃいますと?」
「ふふふ、お主のところに直ぐ逃げているではないか」
「それは……、是非もっと逃げてください」
「そんな事をすれば、俺は叶わぬものをお主に願ってしまうようになる」
子供らしからぬ物言いを零した主君に、ガレスはそれでも口に出せば良いと思ったが言葉には出来なかった。
王子として生まれたからには責任があるという。
それを背負っているから耐えられると、寂しそうに笑った子供の涙を不器用な指先で拭う事しか許されない。
「俺は王子なのだ。そんな勝手をしてはお主にも父上や母上、兄上達にも皆に迷惑をかけてしまうだろう」
王子然とした子供の言葉は正しいだけの足枷のようだ。
まるで自分で自分を縛るような物言いに、彼が自身を強者の側に置いて物を見ている事だけが分かる。
彼は確かに強いのだろう。
泣き言ひとつ言わず、王の子としての責務を果たそうとしている。
この国は世界大戦と呼ばれる全世界を巻き込んだ人魔の大規模な戦いにおいて、田舎の小国故に戦禍を免れていた。
そればかりか農業国家には同盟国への物資輸出が外貨を稼ぐ結果をもたらしたのだ。
筆頭公爵などはその恩恵により大きな顔をしているが、第一王子と隣国との婚約による外交省の仁徳に過ぎない。
王家が無ければこんな国は適当な都合をつけて何処かの国の一部になっていただろう。
第二王子の婚約者も、その世界大戦後の国家の行く末を見越したものだった。
農産物の輸出はいつか頭打ちになる。
大戦は終戦し、魔の者達との和平へと動く世界に取り残されない為に王家は新たな事業へと舵を切っていた。
魔法を使う魔導士、魔導士がいなくとも魔法を使うことが出来る魔法具、それの中にはスクロールと呼ばれる特殊な紙を用いた物がある。
特殊な紙を作る為の資源は有限だ。それを量産可能にするために我が国で栽培する土地の条件に合う領主との婚姻が第二王子には課せられていた。
第三王子である彼は上の兄二人を見て育っているからこそ、自身により厳しくしているのだろう。
「ありがとう、もう大丈夫だ。そろそろ稽古の時間になるから帰らねば」
膝に乗っていた小さな身体を床に下ろすと、膝を付いたガレスに主から答礼を返される。
セオドアの言う稽古とは実戦を想定した騎士の訓練とかわりない。
王子といえど戦争になれば戦地へ急行が強いられる王族の中で、一番最初に切り捨てられるのがセオドアだ。
それを承知で強者たれと子供の身でありながら戦う覚悟をしている。
この小さな主君にガレスが出会ってから、忠誠を誓うには時間は掛からなかった。
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