ヌ緲;??�オ楂
速水ケン
ヌ緲;??�オ楂
「お、空いてる」
朝七時三十分。新宿方面のホームへ滑り込んできた電車を見て、隣の友人が驚いた声を上げた。
水曜の朝、そう大きくは無いけれど中堅都市の駅だ。さぞかし通勤客で満杯に違いない、なんてうんざりしながらさっき話していた予想は、どうやら見事に外れたらしい。
とはいえさほどそれを気にした様子も無く、彼はそのまま迷うことなく車内へと足を勧める。そして入口横すぐ、一番端の席に腰を下ろして、――不思議そうにこっちを振り返った。
「どうしたの?」
座った体勢のまま身をドアの方へ乗り出して、僕にそう声をかけてくる。訝しむようなその声が、どこか遠くに聞こえた。
いや、実際遠いはずだ。
だって、僕は一歩も動いていない。電車が到着したその瞬間から、ほんの少しも動いていない。
動けなかった。
さっきまで普通に歩いていたのが嘘みたいに、身体が鉛のように重かった。
だって、おかしいだろ。
あり得ない。
ガラガラ、なんてレベルの話じゃない。
平日朝の通勤電車に誰も乗っていない、なんてことは。
そんなことは、あり得ない。
思考が回らない中、そんな感情だけが頭の中に強く響く。
喉はカラカラに乾いている。叫びたいのに、喉の奥で何かがつっかえたような感覚。動揺と恐怖で自分が硬直しているのが分かった。
ああ、だけど言わなければ。これは電車だ。それなら早く言わないと、もうすぐ。
「やめよう」
「え」
どうにか声を絞り出したその瞬間、軽快なメロディが鳴り響く。
やっとの思いで吐き出した声が、相手に届いたかどうかすら分からなかった。そんな最悪のタイミングを後悔する暇も無く、聞き慣れた軽い音と共に扉が閉まる。
車内から驚いたような表情でこっちを見る相手と視線がぶつかる。
だけどその声は、もう届かない。
アナウンスらしき音がどこかで鳴っている。だけどその内容を聞き取ることはできなかった。
そして当然、そのまますぐに電車は動き出す。
僕も彼も、動けなかった。お互いに見つめ合ったまま、ゆっくりと彼は目の前から消える。
後続の車両も次々と僕の前を通過していく。だけどどの車両にも、やっぱり誰も乗っていなかった。
車両の側面に映し出された行き先表示は『新宿』。だけど、この電車はおかしい。異様だ。
連れ去られた。
そんな考えが頭に湧いてきたが、だからってどうすることもできなかった。
うるさい稼働音が次第に止む。
電車が走り去って無音になったホームで、僕はまだ立ち尽くしていた。
無音?
そのとき、すべてに気が付いた。
おそるおそる後ろを振り返っても、見回しても。
ホームには誰もいない。
じっと耳を澄ませてみても、やっぱり何の音もしない。
僕が動けば音は鳴る。だけど、それ以外の音はまったくしなかった。
ついさっき見たばかりの光景を思い出す。
彼は、元々の目的地に向かう電車に乗った。異様な電車は、それでも正しい目的地を指していた。
それなら、ここはどこだ?
本当に、連れ去られたのは。
縋るような気持ちでまた周囲を見回す。
すぐに目についた駅名表示には、『ヌ緲;??�オ楂』と記されていた。
ヌ緲;??�オ楂 速水ケン @hayami248
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