第46話 エピローグは神様と 002



「……おはようございます、叶さん」



 渚さんからのプレゼントをキッチン下の収納に隠し、凛音に何と言って渡そうか思案していると――玄関から力ない声が聞こえてきた。



「あ、江角さん。おはようございます」



 声の主は四脳会特殊対策二課に属する、対カワード戦闘部隊の一人――江角朱里さん。


 ……しかし、いつもの彼女とは明らかに様子が違う。ボサついた髪に目の下の隈、着崩れてしまったスーツ……どうやら何か壮絶な戦いを経て、ここにやってきたらしい。


 俺は先程の反省を活かし、満身創痍な彼女を部屋の中へと招き入れる。決して片付いているとは言えない場所に女性を招待するのは気が引けるが、とりあえず座ってもらった方がいいという判断だ。

 促されるまま椅子に腰かける江角さんだったが、疲れを隠せずに薄く目を閉じてしまう。



「……あの、大丈夫ですか? なんだかやつれてますけど」



「……みっともないところをお見せしてすみません」



 彼女は気合を入れるためか両手でぱちんと自分の頬を叩き、仕切り直すように上半身を伸ばす。そして普段通りのシャキッとした声で話し始めた。



「叶さん。昨日、災厄の世代の一人、『悪夢ブラックカーペット』が討伐されましたが……これは、あなたがやったことですね?」



「……そうです」



「何があったか、話してもらえますか?」



 彼女の仲間には優秀な調査系のカワードがいるので、下手に誤魔化しても無意味だろう。俺は昨日菱岡中央病院で起きた事の顛末をかいつまみ、江角さんに伝えた。



「……なるほど。まあ大方予想通りの展開ではありました」



 俺の証言をメモ帳に書いた彼女は、大きな溜息をつく。



「あの、何かまずかったですかね」



「まずい……と言うなら、全てがまずかったですね。とは言っても、叶さんの所為ではありません。今回の『悪夢』の襲撃は想像以上の被害を生んでしまったので、四脳会の力をフルに使って情報を規制しても、世間の混乱は免れないでしょう……責任は、災厄の世代を追っていた私の課に降りかかってくるはずです」



 再び大きな溜息をつく江角さんだった……昨日のことで心労が重なっているらしい。『悪夢』がこの町に戻ってきた原因の一端を担っている者として、申し訳ない気持ちで一杯になる。



「私のことはいいんです……それよりも、叶さんが無事で何よりでした。この目で確かめるまでは、安心できなかったもので」



 にこりと微笑む彼女の表情に、不覚にもドキッときてしまう。普段は冷静沈着な大人の女性が不意に見せる笑顔というのも、中々乙なものだ。



「なんだか無駄に心配をかけてしまったみたいで、すみませんでした。任せろって言われたのに、出しゃばってしまって」



 俺が怒りに突き動かされず、大人しく四脳会に任せていれば、違った結果になっていたかもしれない。たらればの話は性に合わないのだが、どうしても考えてしまう。


 俺は橙理の手の平の上で踊らされ、「食事」のために『悪夢』を殺すことになったが――もっと別の結果に落ち着くことはできなかったのだろうか。たらればの話なら、もし俺が橙理と奴隷契約をしていなかったなら……今回のような被害は出なかった。


 そう考えてしまう程、『悪夢』の及ぼした被害は甚大である。例え今人死にが出ていなくとも……近い将来、何らかの形で死者が出ることは、想像に難くない。


 それこそ――あの日の俺のように。

 自殺を考える人だって、いるかもしれないのだ。



「自分を責めないでください。昨日の一件は、誰が対応していても悲惨な結果に終わっていたと思います。四脳会は良くも悪くも縦社会ですから、実動に移るまでに時間がかかってしまうんです。フットワークの軽い叶さんだからこそ、迅速に事態を収束できたのだと思います」



 江角さんはそんな風に慰めてくれるが――だとしても、我ながらなんてマッチポンプだと自嘲するしかない。橙理の思惑通りに動くことしかできない俺は、あいつの蒔いた種を自分事として処理しなければならないのだから。



「当分の間、四脳会は事後処理に追われることになると思います。叶さんにカワード討伐の依頼をすることも、しばらくはないでしょう」



 彼女の言葉を聞き、俺は少しだけ安心する。橙理が釘を刺すまでもなく、俺は来週の妹の誕生日を平穏無事に迎えられそうだ。



「それと、『悪夢』の討伐は正式な協力要請ではないので、報酬は出ません。私としては何とかしたかったんですが……力及ばず、申し訳ありません」



 また大人のおねーさんに頭を下げさせてしまった。一日に二度、しかもこんな短時間のうちに……凛音に見られたら言い訳のしようがない。



「……お金は『巨獣モンスター』の時に充分過ぎる程貰ってるんで、気にしないでください。これ以上貰ったら、死んだ両親が化けて出てきちまいますよ」



 元々、金のためにやったのではない。それにもし報酬が出るとしても――俺は、断ったと思う。


 それが、復讐を果たした側の矜持だと。

 そんな風に、格好つけよう。



「では、なぜかなくなっているこの部屋のドアノブの修繕費で手を打ちましょう。それくらいなら、私のポケットマネーから払えますので」



「あー……」



 すっかり忘れていたが、つい数分前に渚さんにドアノブをぶっ壊されていたのだった。人間、都合の悪いことはすぐ忘れるようにできているものだと感心する。



「一応言い訳というか弁明をさせて頂くと、あれは渚さんが壊しました」



 即売った。自分の身を守るためなら、他人を犠牲にすることなど容易いのだ。



「それと言伝を預かっていて、ごめんなさいとのことらしいです」



「……そうですか」



 どうやら結構本気で怒っているみたいだ。『悪夢』の件で渚さんに連絡がつかなかったことに対してだろうが……それが橙理の仕業だと知っている者としては、複雑な心境である。



「彼女にも事情があることは承知していますが、力のある者は正しくその力を使うべきです。それで救える人がいるなら」



 江角さんは伏し目がちに呟いた。『凶器の愛トリガーハッピー』と過去にいざこざがあった彼女にしてみれば、渚さんに思うところがあるのだろう。そこを推し量ることは、正直できないが。



「……では、長居をしても悪いので、これで失礼しますね。叶さんの無事も確認できたことですし、私は仕事に戻ります」



 恐らく僅かな隙間時間を縫って会いにきてくれた江角さんは、そう締めくくる。こうして自分を殺して動いてくれる人たちがいるからこそ、一般市民の安全は保たれているのだと――今更ながら感動してしまった。我ながら中学生のように浅い感性だが、実際に滅私奉公をしている人を見ると言葉を無くしてしまうものである。


 江角さんは部屋を訪ねてきた時とは別人のような機敏な動きで玄関へと向かい、ドアを開けてこちらへ振り返った。



「『悪夢』を討伐して頂き、ありがとうございました。いろいろと思うところはあるでしょうが、今はご自分のことを最優先にしてくださいね」



「はい、ありがとうございます。江角さんも、頑張ってください」



「ええ、もちろん。ではまた、いずれ」



 そう言い残し、彼女は颯爽と歩きだす。先程の渚さんとは違い、後ろ姿を見送れる速度だったので、俺はアパートを離れる姿をぼんやりと眺めていたのだが――



「あんまり無茶しちゃ、駄目ですよ」



 俺の視線に気づいたのだろう、顔だけ振り向いた江角さんは無邪気な笑顔でそう言った……その笑顔、おいそれと人に見せちゃだめですよ、おねーさん。




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