第36話 悪夢 001



「それで、凛土りんどくんは天津あまつくんの奴隷になったんだ。へー、なるほど」



 立花たちばなは特に感慨もなく俺の話を受け止めた。一心不乱にカチャカチャとナイフを動かし、目の前のステーキに夢中である。いや、そこはもう少し驚きとかがあってもいいんじゃないかと思いつつ、ストーリーテラーの実力不足が原因だと反省する。


 『巨獣モンスター』を討伐してから一週間と少しが経過した十月一日。今日は立花日奈の退院日だということで、甲斐甲斐しくもお迎えなんてものをしてやった。一カ月弱に及ぶ入院生活の間に何度か見舞いに来てしまったことで、俺は彼女とそこそこ仲の良い友達に昇格してしまったらしい。


 朝一で菱岡ひしおか中央病院まで足を運び、立花と合流してからタクシーを拾って駅前まで繰り出した。本当は家に送り届ける予定だったのだが、彼女たっての希望で快復祝いにステーキを奢ることになり、こうしてファミレスでお茶をしているわけである。


 金欠の身で人に奢るなんてと思う向きもいるだろうが、実は現在、俺ことかのう凛土は金持ちなのだ。なぎささんと共に周防すおうごうを殺したことで四脳会しのうかいから報酬が入り、懐が温まった。いや、温まったなんてもんじゃない、肉を焼けるくらいには熱々だ



「その奴隷っていうのは、具体的にどういう意味なの?」



 退院したら妹――叶凛音りんねのことを話すと約束していたので、天津橙理とうりとの出会いから説明を始めている。不幸にも地下病棟へと踏み込み、凛音の姿を見てしまった立花の知的好奇心を抑えるには、それしかない。

 しかし事情の細部までを話せば、奴隷契約に違反することになってしまう。ある程度脚色したストーリーを語ろうと思っていたのだが――今朝、天津橙理から電話があった。



『立花さんに妹さんの話をするんですよね? 僕のことも話しちゃっていいですよ』



 今朝の会話のすべてを思い出すのは疲れるし面倒なので省かせてもらうが、要約するとこんな内容である。


 あの野郎、なぜか立花日奈ひなに対して優しい。彼女が生死の境を彷徨っていた時は「興味がない」なんて一蹴していたくせに。地下病棟への鍵にしたって、十中八九あの神様が明けたに違いないのだ。

 そこまでして立花に拘る理由があるんだとしたら……目の前でステーキ貪っている女子、気の毒に。


 まあそんなわけで、俺は妹と橙理のことについて、割とあけすけに話している。問題なのは俺のプライバシーだが、そんなもの、すでにあってないようなものなので気にしない。



「奴隷契約っていって、何個か契約を結ばされたんだ。一つ目は、天津橙理の命令には絶対服従。二つ目が、天津橙理が神様であると口外してはいけない……今回はあいつの許可があったから例外らしい。で、最後が『食事』の期限は絶対厳守ってやつ」



 一つ目があれば残りの二つは必要なさそうだが、彼としてははっきりと「契約」という形で示しておきたかったのだろう。



「その『食事』っていうのが、カワードを殺すってことなの?」



 絶賛赤身肉を食らいながら、立花は鋭いことを訊いてくる。ちなみに、『巨獣』との戦いの所為で俺は肉を食べられなくなってしまった。特に血が滴る生焼けの肉。軽くトラウマ。



「そ。橙理から貸してもらってる『飼い犬ハンター』を使って、カワードを食べてる。今は四脳会に協力してるから、違法じゃないぜ」



 一応注釈を入れておいた。そうしないと、ただの殺人自慢になっちまう。昼間っからファミレスで人殺した武勇伝語るとか勘弁。



「じゃあ、『曲がった爪ネイリスト』を殺したのも、凛土くんなんだ。ありがとう、お陰でこうして生きていられてるよ」



 立花は人懐っこい笑みを浮かべる。自分のためにカワードを喰ってきた俺が誰かにお礼を言われるなんて思ってもみなかったが、これはこれで心が軽くなるもんだ。



「えっと、凛土くんが天津くんの……神様の奴隷になってカワードを殺す。その代わりに、妹さんを助けてもらうってことなんだよね?」



「ああ。概ねその解釈であってるかな」



「でも、私が見た凛音ちゃんは、とても助かっている状態とは言えなかったけど……」



 うん、当然の疑問だ。首から下を無くしてしまった凛音の姿を見たら、生きているとは到底思えない。



「凛音は……本当なら、跡形もなく消えて死んでいたんだ」



 俺の誕生日の八月九日。凛音の体は崩壊を始め――父と母がそうであったように、全身が塵となって消えていった。医者が言うには、二週間でと。


 だが、俺は天津橙理と奴隷契約を結び。

 凛音の魂を、現世に繋ぎ止めた。



「橙理が凛音の体から魂を抜き取ってくれたお陰で、頭だけは消えずに、今もあの地下病棟に入院しているんだ」



 俺の説明を聞き、立花はブルっと身震いをする。ステーキが喉にでも詰まったのだろうか。



「神様に魂……オカルトだわ……」



 ふり絞って出した声がそれか。いやまあ、恐らく俺に気を遣って表に出さないようにしているだけで、内心興奮しっぱなしなのだろう。


 こんな荒唐無稽な話を、何の証拠も見ずに信じられるというのも、彼女のオカルト好きを現わしているのかもしれない。橙理が神様だと宣った時、俺は頭から疑ってかかったが、彼女なら目を輝かせて食いついていたはずだ。



「妹さんの魂っていうのは、どんなものなのかわかるの? こう、人魂みたいにふよふよ浮いているとか、青白く光っているとか……」



「人の妹を墓場に出る幽霊みたいに言うな」



 大体、それは生きている人間が頭の中で描いた創作物。本物はもっと不合理で不条理だ。説明のつくことの方が珍しく、理解しようとする方が土台間違っている。



「……凛音の魂は、俺の部屋にいるよ。形としては見えないけど、



 朝、中々起きない俺を起こしてくれる声も。

 部屋の片づけを促す声も。

 聞く人を安心させるような声も。

 不安で怖がっている声も。


 全部――聞こえている。


 例えあいつの姿が見えなくても。

 それがどんなに、幸せなことか。



「そうなんだ……それは、救いだね」



 ステーキを食べ終えた立花は、そんな感想を漏らす。彼女なりに言葉を選んでくれたのだろうが、意外にも、「救い」という表現は俺の中にストンと降りてきた。


 どんなに信用できずとも、どんなにこき使われようとも。

 俺は天津橙理という神様に、救われている。


 それはどうやら、あいつの本業らしいし……どうやら、立派に信者になっているようだ。



「えっとぉ……そのぉ……」



 急に歯切れ悪くなる立花の様子を見て、俺は察する。ああしてモジモジしだす時は、自分の欲求を抑え込もうと必死なのだ。



「なに? もしかして、部屋にいきたいとか?」



「えー、いいのー? いやいやそんな、急に押しかけちゃ悪いよ~」



「じゃあ今日は解散で。退院おめでとう、また大学で会おう」



「うそうそっ! お部屋に連れて行ってくださいお願いします!」



 最初から素直に言え。


 まあ俺の部屋に来たところで、凛音の声が立花に聞こえるのかはわからない。しかし、ここしばらくあの狭い部屋の中だけで過ごし、俺としか会話ができていない彼女にとって、立花と話せるのは新鮮な刺激になるだろう。



「じゃあお言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな。あ、エッチな本は隠してある? 遅れて部屋に入った方がいいかな?」



「そこまでの気遣いはすんじゃねえ」



 立花日奈、読めない女である。




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