第37話 悪夢 002
俺と立花はファミレスを後にして、凛音の待つ部屋へ徒歩で移動することにした。
三十分は歩かなければならないので退院直後の彼女には厳しいと思ったのだが、さっき食べたステーキのカロリーを消化するために運動したいらしい。女子は難儀な生き物だ。
「えっと、凛土くんの右腕が、ワンちゃんになるんだよね?」
しばらく無言のまま歩いていた立花は、脈絡なくそう切り出す。いや、きっと直前にすれ違ったトイプードルを見て思いついたに違いない。
「いや、ワンちゃんなんて可愛いもんじゃないんだけどな。つーかクソ凶暴」
恐らく地球上に存在するどんな生物も、
「……ちらっとだけ見せてもらうことってできないかなー、なんて」
立花は俺の右腕にじっと視線を向ける。ファミレスにいた間は何とか抑えられていた知的好奇心が、いよいよもって決壊してきたのかもしれない。
「怖いもの知らずもそこまでいくと病気だな。そんな簡単に見せられるもんでもねーのよ」
エサもないのに獣を呼び起こしたら、怒りで何をしでかすかわからない。立花を喰うだけならまだいいが(おい)、勢いそのまま通行人にまで手を出す恐れがある。つーか『
「えー、ちょっとだけ、一瞬でいいから。なんなら少しくらいがぶっといっちゃってもいいから」
「……」
いい加減しつこいので本当にがぶっとしてやろうかと思ったが、俺の中の数少ない良心が止めてくれた。命拾いしたな、変態め。
「そう言えば、凛音ちゃんの写真とかってないの? もし私にも声が聞こえたら、そこにいるっていう感じで話した方がいいと思うし……外見をイメージできると助かるんだけど」
橙理によれば、凛音は自分が魂になっているとわかっていない状態らしいので、できるだけ普通に会話をしようとしてくれる彼女の気遣いはありがたかった。
「あー……まあ、ないこともないかな」
しかし、身内の写真を見せるというのは中々どうして気恥ずかしい。俺は携帯を取り出して画像フォルダを漁り、写真写りのいいものを探す。下手な写真を見せでもしたら、凛音に何を言われるかわからない。
「……まあ、これとか」
「どれどれ見せて~……って、何この子めっちゃ可愛いじゃん! ほんとに凛土くんの妹さんなの?」
「うるせー黙れ。正真正銘血の繋がった妹だ」
妹の可愛さをわかっている兄からしたら嬉しい反応だが、一言余計な奴だ。
「へー、目とかくりくりで小動物みたいだし、鼻も口も整ってるねー。お兄ちゃんに似なくてよかったよかった。私も自分のことを可愛いと思っているけど、凛音ちゃんも将来有望だね!」
「隙あらば自分を褒めるな」
あと俺を貶すな。
普通に傷つく。
「褒めるなって言われても事実だし。凛土くんも、私のこと可愛いって思うでしょ?」
「同意を求めんな。自分の中で完結しとけ」
こういう軽口を上手く返せないから、渚さんにもモテないと言われるのだろうか。まあこいつにモテたところでメリットはないので、別段悔しくもないが。
そんな風に取り留めのない会話をしながら歩いていると、目的地であるボロアパートの前まで辿り着いた。自分の住む場所のことをあまり悪く言いたかないが、女の子を招待するには結構な勇気のいる外観をしている。
「……?」
そのボロいアパートに似つかわしくない高級車が一台、向かいの道に止まっていた。何だか見覚えのある車だが……。
気になって眺めていると、運転席のドアが開く。
「お久しぶりです、叶さん」
中から出てきたのは、茶色の髪を後ろで一つにし、ビシッとスーツに身を包んだ女性――四脳会特殊対策二課、
「あっ……どうも」
不意を突く形での登場に、誰が見てもわかる形で驚いてしまう。横では立花が怪訝そうな顔で俺を見ていた。恥ずかしい。
「もしかしてデート中でしたか? 失礼しました」
軽く頭を下げる江角さんだが、どうやらどえらい勘違いをしているようだ。
「いえ、全然違います」
「そんなに恥ずかしがらないでください。否定されては彼女さんが可哀想ですよ」
譲らねえ人だ。違うと言っているのに聞いてない。
「そうだよ凛土くん。私が可哀想じゃない」
「ちょっと話拗れるから黙って」
立花まで悪ノリに参戦してきやがった。いや、お前は恋人と勘違いされたままでいいのかよ。
「ふふふ」
江角さんは大人の女性の余裕を滲みださせながら笑う。意外と、こういう色恋沙汰の話が大好物なのかもしれない。
「……こちら、同じ大学に通う立花日奈さんです。ただの友人。で、こちらは……江角朱里さん」
江角さんの紹介の仕方に迷ってしまった。四脳会の人間だなんて口にしたら、立花の目はギンギンに輝きだしてしまうだろう。オカルト好きな彼女にとって、謎に包まれた四脳会は格好の獲物である。
「それで……江角さん、こんなとこで何やってるんですか?」
このアパートは四脳会の管理下にあるとはいえ、彼女の属する特殊対策二課は戦闘部隊なので、こんなところに用はないはずだ。
あるとすれば、一つだけ。
「初めまして、立花さん。少しの間、叶さんをお借りしてもよろしいでしょうか」
「あ、はい。こんなのでよければもちろん」
人をこんなの呼ばわりするとはいい度胸だが、今は江角さんの用件の方が重要である。
立花に会話が聞こえないよう、俺たちは少し歩いて距離を取った。
「叶さん。落ち着いて聞いてください」
江角さんは極めて冷静な声で語り掛ける。彼女が退院してから何度か業務連絡はあったが、その全ては電話によるものだった。こうして直に会いにきたという事実が、俺の中の嫌な予感メーターをビンビンに刺激してくる。
そしてこういう予感は。
往々にして、当たってしまうのだ。
「……今朝、四脳会に情報が入りました。例のカワード、『
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