第34話 回転回想 002

 


 誰もいない大学構内を歩いていると、不思議と高揚感に包まれていた。やってはいけないことをしている背徳感からくる反応なのか、はたまた死に場所を見つけられた喜びか。


 三年生にもなると、大学に顔を出す頻度も減ってくる。意識高い系だったり勉強熱心だったりすれば話は違ってくるのだろうが、俺は自堕落を地でいく身なので一般の例に漏れない。今年度になってからは全くと言っていい程授業に出席していなかったし。


 そんな不真面目な学生ではあるのだが、しかし部外者に比べれば大学内に精通していると言っていいはずだ。無駄に広いキャンパスを迷わず移動するために、一年生の間に構内図は記憶したし、比較的真面目だった時期には多くの校舎に出入りしていた。だから、菱岡大学のキャンパス内で知らない場所はほとんどない。


 ないはずなのに。


 第一校舎の裏手へと抜け、あてもなくフラフラ歩いていた俺は、奇妙なものを見つける。



「……?」



 真っ白な建物。


 本来なら木々が植えられているだけの場所に、外壁が白く塗り潰された建造物が鎮座していた……なにこれ、幻覚?


 まだ頭が寝ぼけているのか、それとも変にハイになって幻覚でも見ているのか。俺は自分の両眼をこすってみるが、その見覚えのない建物は当たり前のようにそこにあった。



「……」



 最初に感じたのは驚き。

 そしてそれが恐怖に変わる。


 頭の中でいろいろと理屈立てて考えてみるが、目の前の現象を説明できる解釈は何も思いつかない。ここは今すぐ回れ右をして、大人しくこの場を離れた方がよさそうだ。


 しかし、俺の考えとは正反対に、体は前へと進む。まるで見えない糸に引っ張られているかのように、徐々に建物へと距離を詰めていってしまう。膝は笑っちまうくらい震えているのに、どうして近寄ってしまうのか……残念ながら俺にもわからない。


 夢の中で上手く走れないのと似た感覚――体が脳の指令を完全に無視して、別の挙動を繰り返す。ああ、だったらこれは夢なのか。いつの間にか眠りこけてしまったに違いねえ。



「……」



 そうこうしている内に、俺は真っ白な建造物の前に辿り着いてしまった。近くで見ると、その非現実さがより一層際立つ……これが夢じゃなかったらどうにかなりそうだ。



「……!」



 俺が目の前の状況に圧倒されているのを嘲笑うかの如く、建物の入り口が突然ギイッと開いた。内向きに開いたそのドアは、どう見ても自動ドアなんて近代的な代物じゃねえ。じゃあどうして勝手に動き出した? そんなの、俺に訊かれても困る。



「……」



 また体が引っ張られるような錯覚。絶対この中に入るのはまずい。まずいとわかっているのに、両脚は健気に前進しやがる。


 建物の内装は、外観と同じく真っ白だった。そこには一つのシミもなく、純粋無垢な白さだけが広がっている……廊下や壁、調度品に至るまで、全部が同色で無味乾燥である。


 廊下の左右に部屋らしきものはなく、ただまっすぐに道が伸びるだけだ。遠近感が狂って平衡感覚がおかしくなる廊下をゆっくりと歩き、俺は突き当りまでやってくる。



「『六十四研究室』……?」



 そう名札の掲げられた部屋。眼前には引き戸。ここまで来て引き返すのも癪だし、こうなりゃやけだ。


 俺は戸に手をかけ、静かに横に開く。



「……」



 「六十四研究室」の中は、俺の予想を遥かに超える空間を有していた。真っ白に広がる部屋は眩暈を覚える程神々しく、その迫力に自然と身がすくんじまう。




「ようこそ、僕の城へ」




 不意に、そんな魅惑的な声が耳に届いた。声のする方を見れば、部屋の中央に四人掛けくらいの大きさのソファが置いてある……ドアを開けた時に気づかなかったのは、無意識にそれを認識しまいとしていたからか。


 ソファに寝そべりながら語り掛けてきた人物は、頭の先からつま先まで、真っ白だった。この世に存在するどんな物体よりも白く、あまりにも整い過ぎた造形に見惚れてしまった俺は、思わず息を飲む。



「初めまして。僕の名前は天津橙理です」



 謎の人物はにこやかに笑い、気さくに挨拶をしてきた。自然だがどこか威圧感のある雰囲気に飲み込まれつつ、俺は彼女の顔をしっかりと見据える。



「……俺は、叶凛土です」



 頭の中は依然として疑問符だらけで、状況は変わらず難解だ。目の前の女の子から情報を得るためにも、観察を怠るな。



「ええ、知っていますよ、凛土先輩。そんな風にじっと見つめられると、照れちゃいますよ」



 天津さんは意地悪そうに笑う……ん? 今、先輩って言った?



「僕はこの大学の一年生なんです」



 俺の疑問を察知し、彼女は説明を加える。なるほど、だったら俺のことを先輩と呼んでも不思議はない。なら不思議なのは、知っているという発言の方だ。



「俺のこと、知ってるって言ってたけど……どこかで会ったりしたっけ」



「いえ。面識を持ったのは今日が初めてですよ。僕の方から一方的に存在を把握していただけなので」



 くすくすと笑う彼女の顔が、段々と性悪さを帯びてきたように感じるのは気のせいだろうか。この異常な空間に身を置くことに慣れ始めたので、余計なことが気になりだしただけかもしれない。



「それにしても、こんな異常な場所にいるのに、あまり驚かないんですね。凛土先輩は肝が座っていらっしゃる」



「……期待に沿えず申しわけないけど、結構ビビり散らしてたよ。今は君と話ができてるから、何とか正気を保ってるだけだ」



 最初に「僕の城」とか言っていた割には、ここが異常だという自覚はあるんだな……つーか、今時僕っ子とは珍しい。


 何はともあれ、この大学の後輩だという天津さんの存在が、俺に冷静さを取り戻させてくれたのは事実だ。事態の全容は微塵もわからないが、話の通じる人間がいるというだけで気が楽になるものである。


 しかし、俺の安心感を消し飛ばすように――天津さんは怪しく笑う。



「そうですか。てっきり、。ご両親は残念でしたね」



 全身に緊張が走る。脳天から危険信号が送られ、指先がピリピリと痺れだす。


 ……この女、どうして事件のことを知っている? あれにはカワードが関わっているから、一般人が詳細を知ることなんてできないはずなのに。まあ、こんな現実離れした場所にいる奴が一般人かどうかは置いておくとして――それでも事情を把握しているのはおかしい。


 四脳会の人たち意外に、あの事件について知っているなら。


 それは被害者か。


 犯人だけ。



「……っ」



 今いる異常な空間を作り出すことも、カワードだったら可能なんじゃないのか? 突如として現れた真っ白な建物、その中の「六十四研究室」なんてふざけた部屋。やばい、冷や汗が止まらねえ。



「嫌だな、そんな露骨に警戒しないでくださいよ。傷つくじゃないですか」



 だが俺の緊張感を余所に、天津橙理は至極普通に話しかけてくる。その反応を見るに敵意はなさそうだが……しかしこの状況に納得のいく説明をつけるためには、彼女がカワードであると考えるしかない。



「凛土先輩、まずはあなたの勘違いを訂正してあげましょう。不肖後輩として、とりあえずは先輩の役に立ってあげます」



 天津橙理はそう言うと、寝転んだ姿勢を起こしてソファに腰かける。そしてその長い脚を組んで、にやりと笑った。



「勘違いの一つ目ですが……僕は女の子じゃありません。一目惚れしていたら申し訳ないんですが、一応男子生徒ってことになってます」



「……」



 まじかと驚きたい気持ちもあったが、今はそれどころじゃない。言い回しが何だか気にはなるが、とりあえず彼女……じゃなくて、彼のことは男として認識しよう。



「そしてもう一つ……僕はあなたのご両親を殺したカワードじゃありません。勘違いさせてしまったこととはすみませんが、あんな低俗な奴らと一緒にされたという侮辱で、この件はお相子にしましょう」



 天津橙理は俺の勘違いを訂正する。


 あの事件の犯人でないとするなら……お前は一体。


 何者なんだ。





 少しも勿体つけることなく、彼はそう嘯く。そのあまりに自然な口ぶりに、俺は何も言い返すことができない。


 ただ。

 目の前の真っ白な存在を、見つめるだけ。



「凛土先輩。僕の奴隷になるなら、あなたの願いを叶えてあげますよ」




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