第33話 回転回想 001



 そろそろここら辺で、俺の愛すべき妹――かのう凛音りんねの話でもしようかと思う。ただ、一から十まで微に入り細を穿って説明するなんていう無粋なことはしまい。

 昨今のエンターテイメント作品は視聴者に優しくわかりやすいものが多いが、現実を生きる人間は複雑怪奇なのだ。一秒前の言動ですら矛盾し、一時間前の行動は過ちにしか思えない。まして他人のことを詳細に説明しようなど、そもそも無理難題なのである。


 例えそれが、血のつながった妹についてだとしても。

 だから、俺が彼女について語れることはあまりない……本来、改まって章立てする程のトピックですらないのだ。


 妹なんて、そこにいて当たり前の存在で。

 特別言及するようなことは、何もない。


 ……それでも、俺が凛音のことを語らなければならないのは、彼女の置かれている状況が普通とはかけ離れているからだ。


 ところで、幽霊の存在を信じている人はいるだろうか。幽霊でなくとも、お化けだったり妖怪だったり、そんな人ならざる超常的な存在――立花たちばな日奈ひなの大好物、オカルティックな諸々。


 まあ、カワードなんていう異能者が当たり前に跋扈する世界で幽霊だけは信じないというのは、中々どうしておかしな話ではある。俺は信じていないが。つーか、見える見えないの二元論で物事を考えれば、やっぱり幽霊は存在しないだろう。それで言うと神様も信じちゃいなかったが、あいつに関しては見えちまったので仕方がない。


 俺たちは自分の認識できる範囲のみを世界と呼び、そこから外れた魑魅魍魎を手放しに肯定することは普通、しないのである。認識外の事柄を無理矢理脳内に落とし込むのは、どうしたって負荷がかかる。ストレスを避けて生きるのが今の社会のトレンドなのだから、自ら進んで理解不能な大海原へ飛び込む奴は社会不適合者と言っていい……これも、立花日奈のことなのだろうか。


 妹のことを話そうとしただけで、どうしてこんな意味不明な前振りが必要なのかといえば……結論から言うと、俺の妹は、姿。幽霊の例に則るなら、

 ここで意気揚々と事情の細部を話し始めては、せっかくのお膳立てが台無しだ。だから、事の核心にだけ触れよう。



 彼女は現在、俺の住まうボロアパートの一室で、魂という形で生きている。



 それだけを伝えれば充分で、それ以外の話は蛇足でしかない。ただまあ、妹がそんな超常的な現象に巻き込まれた経緯くらいは語ろうと思う。そうしないとフェアじゃない。俺としては、あの日のことはあまり思い出したくないというのが本音なのだが。


 あの日。

 真っ白な神様に初めて出会った日。


 あれは、菱岡ひしおか市でカワードによる襲撃事件があってから二週間後のこと。両親は殺されてという、叶凛土りんどの人生で最大の試練にぶち当たっていた時のことである。


 有体に言ってしまえば――俺はあの日、自殺をしようとしていたのだ。



―――――――――――――――――



 八月十六日。

 何てことはない平凡な日――俺が今日を自分の命日にしようと考えたことに、明確な理由はない。ただ、朝起きたら漠然と死にたいと思っていた。


 二週間前の八月二日。突然両親が死に、妹は右腕と右脚を失って意識不明の重体に。


 そして一週間前の八月九日。辛うじて残っていた妹の他の部位も、崩壊を始めた。奇しくもその日は俺の誕生日だったので、気分的には最低最悪のバースデープレゼントである。


 俺は未だ慣れない新しい寝床――四脳会しのうかいに提供されたボロアパートの寝室から這い出て、身支度を整える。

 一度死のうと決意してしまえば、そこからは嫌になるほど頭が冴えていった。まずは自殺して迷惑が掛かりそうな人の名前をつらつらと考える。うん、特になし。そして死に場所の候補をいくつかリストアップし、俺は思い入れも何もない部屋を出た。


 時刻は早朝六時。先程作成したリストを元に、俺はゆっくりと歩き始める。


 最初に候補として考えたのは、人生の大部分を過ごした懐かしの我が家だ。良い思い出もあれば悪い思い出もある。まあこの前の事件の所為で、楽しかった記憶なんて泥沼に引きずり込まれてしまったのだが。目に焼き付いているのは絶命した両親、欠けた妹。よし、あそこで死ぬのはやめにしよう。


 次に候補地として浮かんだのは、昔一度だけ連れて行ってもらった、遠方にある海水浴場である。叶家は四人が四人泳ぐのが嫌いというインドアな家庭だったので、必然旅行先に海水浴場は選ばれなかった。だが、俺が中学生に上がる前に一度、何の気まぐれか県外の海に連れていかれたのである。泳ぐのが嫌いなので海の醍醐味は味わえなかったが、初めて生で見る大海原に圧倒された。何だか恥ずかしくて素直に喜べなかったが、あの砂浜の美しさは今でも胸に刻まれている……うん、綺麗な思い出はそのままにしたい、あそこもやめよう。


 死に場所はいくつか思いついたが、いざ実行に移すことを考えると、いろいろな理由をつけて却下してしまう。まあ思い入れのある場所をピックアップしてしまったので、当然と言えば当然なのだが。

 逆に自分に全く関係のない場所……例えば駅やビルなんかも考えたが、そんなとこで死んじまったら大勢に迷惑が掛かっちまう。身勝手な行動で晩節を汚したくはない。


 そんな風に周りの事情まで勘案できるなんて、本当は死にたくないんじゃないかと自問してみるが……これが面白いことに、死ぬ気は満々なのである。ただ、どうせ死ぬなら妥協せずにいきたいものだ。


 気づけば一時間程街中を練り歩き、俺は菱岡大学の前まで来ていた。三年通った今も全く思い入れはない、惰性の象徴とも言える場所である。現在お盆真っただ中、大学の施設は立ち入りが禁止されているので、その門扉は固く閉ざされていた。


 ここで死んだら相当な数の他人に迷惑がかかるなーと思いつつ、俺は門扉を乗り越える。いや、禁止されるとやりたくなっちゃうのが男の子なのだ。バレても問題ない、どうせ今日死ぬんだし。


 思えば、何の気なしに大学に侵入したこの判断が、俺と妹の人生を大きく変えることになったのだが――この時点で。


 俺はすでに、神様に導かれていたのかもしれない。



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