第29話 巨獣 003
即席で作られた木製ベンチでの休憩を終え、俺と渚さんは再び道なき道を進んでいた。確固たる目的を持つ俺たちは、しかしぼんやりとした目的地を目指して歩くしかない。それは自ら掘った穴を埋めるような苦行であり、疲労感だけが募っていく。
「……あの、渚さん。もし夜までに『
時刻は十七時ジャスト。段々と陽が陰ってきて、探索のモチベーションにも暗い影を落とす。
「あん? 見つけられなかったらどうするかじゃねえ。見つけるんだよ」
そんな、「売れなかったらじゃなくて売るんだよ!」みたいなことを言われても困る。会社の上司にいたら厄介なタイプめ。
「その右腕、近くにカワードがいたら反応するんだろ? だったら無駄口叩いてないで神経集中しやがれ」
「っす……」
うん、確かに正論なのだが、正論は時に人を傷つけるのだ。つーかそれで言うなら、渚さんという強烈な匂いが至近距離にあるせいで、遠くのカワードの気配がぼやけてしまう可能性は否めない。
「なに? あたしがくせーとでも言いたいわけ?」
「そんなわけないじゃないですか。むしろいい匂いですよ。うん、めちゃめちゃいい匂いだ」
実際、彼女の体からは仄かに甘い香りが漂っている。下品過ぎず主張しすぎない、香水のお手本のようなつけ方だ。ずっと嗅いでいたい。
「……叶くん、お前は一丁前にキモイな」
殺し屋をドン引きさせてしまった。これを渚美都に対する一勝と捉えておこう。
「そう言えば、『巨獣』の能力って知ってますか? 一応、体がでかくなるっていうのは江角さんから聞いたんですけど」
『巨獣』。その異能の名の通り、自身の肉体を肥大化させる能力らしい。だが、江角さんからその詳細までは教えてもらえなかった……と言うか、四脳会でも把握できていないとのことだった。
勤め先のビルを破壊するなんていう暴力的な事件を起こしておきながら、周防郷についての詳しい情報は闇の中だ。今もこんな山に潜んでいるというのだから、案外慎重な性格なのかもしれない。
「あー、知らねえこともねえけど……。なんでも、自分の体積を増加させることができるとか何とか。まあ、殺せば死ぬんだから楽だよな、どっかの誰かさんと違って」
渚さんはどっかの誰かを皮肉りやがる。すみませんね、死ねなくて。
「……一応、話し合いみたいなのはした方がいいんですかね。渚さんみたいに、四脳会の協力者になる可能性もあるわけだし」
彼女のような前例を目の当たりにしてしまったからには、その可能性も考慮しなければならないだろう。
「まー、あたしの場合は状況が特殊だったからな。今回は見つけ次第即殺しちまっていいだろ。つーか、そんな悠長なこと言って相手に隙見せたら、あっという間にあの世いきだぜ」
至極もっともな意見だ。事ここに至って、未だ相手と話し合いができると考えている俺の方が、この場合は異端児なのかもしれない。
それに俺が食べてきた三人のカワードを思い返してみても、基本的に彼らは話が通じる相手ではないのだ。言葉は交わせても、その思考や行動原理には決定的な欠落がある。
人間性の欠落。
だからこそ奴らは
彼女の存在が、俺の中のカワード像を揺るがせてくる。
だって。
こんなにも普通に会話ができて、カレーパンまで恵んでくれるなんて。
それじゃあ、ただの人間じゃないか。
もちろん彼女は人殺しで、もっと言えば殺し屋で、世間にとって許されるべき対象ではない。
だが罪を犯した人間を私的に罰する権利は、俺たち一般市民には与えられていない。その対象がカワードという異常者だから、何とか一握りの正義は保証されてはいるものの。
あまりにも人間的な感性を持つ渚さんを見て、俺は考える。
カワードと呼ばれる存在と、人間の差は、一体どこにある?
俺は本当に、奴らを喰い続けてもいいのか?
「……い。おい、叶くん、止まれ」
暫く思考に耽っていたら、前を行く渚さんが足を止めて静かに声をかけてくる。その姿勢を低くし、息を殺す肉食獣のような彼女につられ、俺もその場にしゃがみ込む。
「どうしたんですか?」
「もう少し先から火の匂いがする。多分人工的なもんだ」
言われて周囲の匂いを嗅ぐが、全然ピンとこない。つーか火の匂いがわからねえ。
「……ってことは、誰か人間がいるってことですか?」
「ああ。こんな山奥にキャンプにくる奴もいねーだろ。『巨獣』で間違いねー……叶くん、右腕は何も反応してねーのか?」
「……言われてみれば、って感じですかね。すみません、感覚的なもんなんで、よくわからなくて」
カワードを検知したら物理的に腕が震えるとか、そんな便利な機能ではないのだ。そんな機能だったら、道中震えっぱなしになっちまうが。
「ふーん……。ま、もし反応したら教えてくれ。あんまり頼りにしねーけど」
渚さんは正直な感想を述べる。まあ事実として全く役に立っていないので、彼女の言い分はすこぶる正しい。
「……あ、少し反応してきました」
姿勢を低く保ちながら慎重に前方へと進む俺たちだったが、少し行ったところで右腕が疼きだす。
「……お前、いいとこ見せたいからって適当言ってんじゃねーだーろーな。ウソだったらぶっ殺すぞ」
「いや、こっちも命かかってるんで、そんなしょーもない見栄張りませんよ」
疑われても仕方のないタイミングではあったが……しかし、俺の右腕は確実にカワードの気配を捉えていた。そう確信を持てる程、反応は強まってきている。
「渚さん、大分近づいてきてます」
「……おっけー。んじゃまあ、臨戦態勢に入りますか」
彼女は手に持っていた山刀を袖に仕舞い、拳銃を取り出す。武器には造詣が深くないので名称はわからないが、よくドラマとかで見るような形の銃だ。
しかし何を思ったか、渚さんは取り出した銃を俺に向けて差し出してくる。
「ほら、これ使いな。誤射してもあたしには当たんねーから、安心して撃てるぜ」
「いやいやいや。無理ですって。使い方わかんないし、誤射したら俺に当たっちまいますよ」
「まじ? 今時の若いのは射撃場にもいかねーのか」
しゃーねーなと言って、渚さんは差し出した手を引っ込める。俺自身の戦闘能力の低さを知っている彼女からすれば、銃の一つくらいは持っていてほしいのかもしれない。ただ悲しいかな、チキンな俺はそんな暴力的すぎる凶器は怖くて触れねーのである。
「……」
そんなやり取りを挟みつつ、俺たちは一歩一歩、ゆっくりと進んでいった。右腕の感じる気配は少しずつはっきりとしてきて、対象に近づいていることを示唆している。
何分が経過したかはわからない。それ程までに慎重に、『巨獣』と思われる気配への距離を詰めていったのだが。
「……ん」
渚さんの後を続いていた俺は、右の方の茂みに「何か」を感じる。
まさか彼女がカワードを見逃すはずはないだろうが……既にそこを通り過ぎてしまった渚さんを呼び止めるのも申し訳ないので、俺は一人で「何か」の方へ逸れていく。
「あん? どーした叶くん」
彼女は俺が横に逸れたのを察知して、そう声をかける。
「あ、いや……。ちょっとこっちの方からも気配がしたんで、一応確認しとこうかなと」
渚美都が気付かなかったものに、俺如きが気付けるはずもない。だからこれは右腕の誤作動か、俺の勘違いだろうと。
そんな風に楽観的に考えていたのが、裏目に出た。
「……」
警戒心なんてほとんどない状態で茂みをかき分け、気配のする先に右腕を伸ばした俺は、ヌルッとした生暖かい感触に意識を持っていかれる。
そのビー玉程の大きさの球体を指で掴み、それが何なのか確かめるために腕を引き戻すと。
「……ひぃっ!」
俺の右手が掴んでいたのは。
人間の――目玉だった。
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