第28話 巨獣 002



 『巨獣モンスター』が潜伏している先は、佐渡野のとある山中らしい。観光名所というわけでもないその山林に、整理された道なんて当然存在するはずもなく、俺と渚さんは道なき道を切り開いていた。


 江角さんからの情報はかなり具体性に欠いていたので、『巨獣』の居場所は大まかな座標しかわからない。幸い橙理に急かされているわけでもなかったので、俺としては準備を整え数日掛けてじっくり探索したかったのだが……渚さんにそのつもりはなかった。

 駅で一服し終えた彼女は早々にバスを乗り継ぎ、何の準備もなしに木々生い茂る林の中に突っ込んだのである。


 曰く、「早く帰りてーからさっさと済ますぞ」とのことだった。


 このスピード感には見習うべきところもあるが……どう考えても悪手過ぎる。彼女の実力とポテンシャルの高さがなせる暴挙だ。それに付き合うこっちの身にもなってほしい。


 一応、俺の右腕はみたいなものを感じ取れるので、全くの無策というわけでもないが。



「……あの、渚さん。少し休みませんか?」



 俺は前を進む彼女に声をかける。ちなみに歩き始めて三時間。そろそろ足腰に限界がきたので、休憩を申し出る。



「あん? だらしねーなー、それでも男かよ」



 対する渚さんは、こちらを振り返りもせずそう罵ってくる。いや、それでも男かというのなら、あんたそれでも女ですか?


 彼女は左手に持つ山刀を華麗に振るい、腰程の背丈がある茂みをなぎ倒しながら先行する。疲労度で言ったら俺の数倍上のはずなのに、その息は一つも乱れていない。



「これ以上休憩なしで進んだら死んじまいますよ……」



 我ながら情けないことを言っていると思うが、しかし考えてもみてほしい。何の訓練も積んでいない大学生が、いきなり三時間に及ぶ登山、それも獣道すら愛おしく思えるような茂みの中を進んでいるのだ。音を上げても恥ずかしくないと信じたい。



「お前が死ぬっていうのは、なんだろう、普通に困るな」



 前を行く彼女はようやくこちらに振り向き、俺の右腕に目線を落とす。そう、俺が死ねば右腕こいつが黙っちゃいないのだ……いやまあ、そんなかっこ悪すぎる脅し文句なんて言うつもりはないけど。



「しゃーねー……じゃあ一時休憩だ。丁度腹も減ってきたところだし」



 言いながら、渚さんは山刀を大きく振りかぶり。



「よっと」



 軽やかに振り下ろしたと思えば、目の間にあった太い木の幹を切り落とした。ズズズン。



「うんうん、上出来」



 直径五十センチ、高さ十メートルはあろうかという大木をなぎ倒し、彼女はその上に腰かける。



「ほら、叶くんも座れや。そしてカレーパンを一緒に食べよう」



 渚さんはダボダボの袖口からカレーパンの入った袋を二つ取り出し、一つを俺に差し出す。



「……頂きます」



 渚美都、『凶器の愛トリガーハッピー』。あらゆる武器を達人の域で使いこなせる彼女にとって、一太刀で大木を伐採するなんてお手の物らしかった……絶対怒らせないようにしよう。



「つーか、何でカレーパンなんですか?」



 某ネコ型ロボットのポケットよろしく、ナイフから銃からカレーパンからあらゆるものを収納している彼女の袖口を見ながら、俺は疑問をぶつける。



「ん? だってうめーじゃん。それに揚げ物だし。あたしのエネルギー源のほとんどは油なのさ」



 そんな風に嘯きながら、渚さんは一口で拳大のカレーパンをたいらげる。おお、豪快。



「……まあ、食べれりゃなんでもいいんで、有難く頂きますけど」



 俺も彼女に倣って大きな口で噛り付こうとしたが。



「……ってえ!」



 カレーパンを持っていた右手をはたかれた。いや、はたかれたなんてもんじゃない、皮膚と筋肉が断裂したような激痛に襲われる。



「いきなり何すんですか!」



「大袈裟だな、ちょっと小突いただけじゃねか」



「ちょっとって……」



 渚さんに叩かれた衝撃で宙を舞ったカレーパンは、綺麗な弧を描いて彼女の口元へと飛んでいき、その口腔内へと収まった。曲芸師か。



「お前はカレーパンを侮辱した。よってこれはあたしの胃に収めることにした。文句あるか?」



「ありません……」



 食べれりゃなんでもいいと言われたことに対してご立腹のようだった……沸点低すぎるだろ。つーか手が痛い。



「……あの、渚さんって、殺し屋にしては人間臭すぎるって言うか、感情表に出しすぎな気ぃするんですけど」



 俺の中の殺し屋のイメージは、クールで残忍、冷血漢で鉄仮面といった感じなのだが。そしてそれは、世間一般のイメージ像からもそこまでズレていないはずだ。ズレているのは、だから彼女の方だと思う。



「あん? 叶くん、あたしに興味津々かよ。あたしの生い立ちとか人間性とか殺し屋稼業についてとか、そんな番外編的なエピソードを期待してるんだったら、スピンオフ作品を待ってもらわねえと困るな。この場で軽々と言えるような設定じゃねえんだ」



「……さいですか」



 あんたみたいな人のスピンオフ作品なぞできるかと反射的に思いつつ、しかしこの人、案外主人公向きなキャラクターをしているかもしれない。殺しの美学という、芯が一本通っている彼女のような強い人間は、物語の核を担える逸材だ。


 対して、俺のように弱い人間は、物語の隅っこの方で粛々と目的を遂行するだけである。そこには、なんの悲劇も喜劇も必要ない。



「確かにあたしは主人公に向いている……うんうん、暫くしたら伝記本でも書くか。『最悪の世代の一人、渚美都の全て!』とか帯で煽っときゃ、まーそこそこ売れんだろ」



「誰も買わねえと思いますよ」



 少なくとも俺は買わない。絶対に。



「まあ、そんなこと言いつつも、お前も主人公向きだと思うぜ」



 一度はあげた食料を奪い返すという暴挙に出た渚さんは、これ見よがしにお腹を擦りながらそう呟く。



「……俺が、ですか? そりゃまあ、ちょっとばかし右腕は変わってますけど、残りは普通の男の子ですよ」



「死んでも死なねえ奴が何か言ってら」



 くくくっと意地悪く笑う渚さんは、取り出した食後の一服に火を点け、煙をふかす。



「聞くところによれば、お前、? んなもん、誰かのために動けたら、立派な主人公じゃねえか」



 聞くところによると、か……どうやら俺のゴシュジンサマは口が軽いらしい。

 それより意外なことに、彼女はもっともらしいことを言うもんだ。そういう心の根っこみたいなところには、熱いものを持っているらしい。ますます主人公かよ。



「……でも、俺は目的のために人を、カワードを殺してますから。それは俺の罪でもあり、同時に妹にもその重荷を背負わすことになっちまうんです。そんな卑怯者は、物語の主人公になっちゃダメでしょ」



 お前のために人を殺してきたんだよ、なんて。

 そんな残酷な責任を、俺は凛音に背負わせることになる。


 ただ、それでも。


 有難迷惑と罵られても、エゴイズムだと誹られても、俺は自分の行動を止めるつもりはない。


 妹を守る――それは、死んでいった両親と交わした約束でもあり。

 生き延びてしまった俺が、果たすべき命題なのだから。



「なーんか難しく考えてますって顔してっけどよ、叶くん」



 渚さんは携帯灰皿に行儀よくタバコの灰を始末し、袖口から三つ目のカレーパンを取り出す。それを俺に手渡し、にぃっと歯を見せながら言った。



「妹を大切に想っている……主人公になる条件なんて、それ一つで充分なのさ。古き良き日本の文化だぜ。妹萌えって、知らねえの?」




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