第26話 痛みと淀み 003
ここ菱岡中央病院には、カワード関連の被害者の中で、一般人から隔離する必要があると判断された者たちを収容する地下病棟がある。その多くは情報規制のためだったり、謎の感染症を疑われたりするからなのだが……現在その病室にいるのは俺の妹、叶凛音だけだ。
それも――彼女の頭部だけ。
地下へ下りることのできる人間は限られており、病院関係者の中でも一部の者と、被害者の親族。後は四脳会くらいだ。
しかも、現在入院している俺の妹には何の世話も必要ないので、医者や看護師は基本的にあの部屋に近づかない。必然、あそこに用があるのは俺くらいのものである。
そんな場所に、立花日奈は侵入することに成功した。
病院側の不注意の可能性もあるが、恐らく、あの真っ白な神様の悪戯だろう。
そう思って橙理を問いただしたのだが、
『まさか、そんなわけないじゃないですか。妹さんが鍵を開けたんじゃないですか?』
なんて、白々しいブラックジョークをかましてくれやがった。
十中八九、地下へ続く廊下の鍵を開けたのは橙理だ。
立花日奈を地下室へと誘い、叶凛音を目撃させるために。
問題なのは、なぜそんなことをしたのかという点だ。
あいつの気まぐれな暇潰しだと考えるのが妥当だとしても。
そこには何か理由があるんじゃないかと、そう勘繰ってしまう。
俺は、あの白い神様のことを――どこまで信用していい?
「……ん」
そんなことをつらつら考えていたら、危うく目的の場所を通り過ぎてしまうところだった。目的地――俺がお見舞いにきた、江角朱里さんの病室である。
先日の『
ただ、その場に昏倒するレベルの毒だったのは事実なので、検査入院のためにこの病院へと運び込まれたらしい。
そんな満身創痍な江角さんから、昼過ぎに連絡が入った。なんでも、話があるから病院まで来てほしいと。だから、お見舞いというのは半分正解で半分嘘なのだ。
大方、昨日の『凶器の愛』の一件について、問いただされることになるのだろう。期待に沿えず殺し損ねたことを、どうやって話そう。
……殺し損ねただけならまだしも、渚美都と仲良しこよしになってしまったなんて、どの面下げて説明すればいいのだろうか。彼女と江角さんの間には、浅からぬ因縁があるようだし……。
「……失礼しまーす」
俺は気乗りしないまま静かにノックをし、ドアを開ける。
立花のいた病室とは違い、江角さんにあてがわれた部屋は高級感漂うホテルのような個室だった。さすが四脳会、金はたんまりとあるらしい。
「あ、叶さん。ご無事で何よりです」
来訪者に気づき、江角さんは上半身をベッドから起こしてそう声をかけてくる。
後ろで束ねていた髪を解き、ビシッとしたスーツから病衣に着替えている彼女は、普段より若干幼く見えた。とても『凶器の愛』と丁々発止やり合っていたとは思えない。
これがギャップというやつか。
「昨日は面目ありませんでした。みすみすやられてしまうなんて……」
「あ、いえ、気にしないでください。それより、体は大丈夫なんですか?」
様子を見るに、やはりまだ本調子とはいかなさそうだ。致死性ではないにしろ強力な毒を摂取してしまったのに違いはないし、しばらく安静にする必要があるのだろう。
「大丈夫、と胸を張って言えないのが辛いところですね。一週間は入院することになるそうです」
「それはまた……お大事にしてください」
そんな社交辞令を粛々と済ませつつ、いつ本題を切り出されるのかと身構える。
「ありがとうございます。それで、わざわざお呼びしたわけなんですが……」
きた。
さあ、どう誤魔化したもんか……下手に渚さんとの協力関係を隠せば、四脳会そのものを敵に回すことにもなりかねないし……。
なんて、俺がない頭を巡らせて考えていると。
「うぃーっす! 朱里ちゃん、カレーパン買ってきたぜ!」
病室のドアが豪快な音を立てて開き、外から紫髪の女性――渚美都が入ってきた。
「ん? そこにいるのは叶くんじゃねえか。よっ、昨日ぶり」
「……」
「おいおい、陰気臭い顔してんじゃねえよ。昨日殺しちまったのは悪かったって」
へらへらと笑う渚さんだった……人のことを殺しといて笑ってんじゃねえという怒りもあるが、その前に。
なぜ彼女がここに?
六十四研究室で目を覚ました俺は、『凶器の愛』に殺された後の顛末を橙理から聞いた。あいつの話によれば、渚さんは『
その話は本当のようで、彼女からは敵意らしい敵意は全く感じられず、快活なお姉さんといった雰囲気で接してきやがる。
「病室って禁煙? 禁煙だよなーしゃーねーなー。あー、さっき吸ってくりゃよかった」
言いながら、渚さんは部屋に備え付けられていた高級そうな椅子にドカッと腰かける。
なんでもない病室に、昨日殺し合った二人と殺された一人が居合わせるという、奇妙な空間ができあがってしまっていた。
……って待て。江角さんは渚さんと俺との関係を知らないはず……と言うことは、この状況は一触即発、
「あの、江角さん……」
こうなってしまっては事情を説明するしかない。俺は恐る恐る、般若の面になっているであろう彼女の方へ振り替える。
が、俺の予想に反し、江角さんは普段通りの冷静な面持ちで渚美都を見据えていた。
「……大丈夫ですよ、叶さん。昨日私が倒れた後のあらましは、天津さんから電話で聞いていましたから。彼女をここに呼んだのも、私です」
「あ、そうなんですか」
どうやら橙理が根回しを済ませてくれていたらしい。変なところで気が利く奴だ……まあ、その気遣いは優しさからくるものじゃないことは確かだろう。
江角さんは渚さんの目を見つめながら、口を開く。
「上に確認を取りましたが……『凶器の愛』は、条件付きで四脳会の討伐対象から外すことになりました」
「ふーん、条件ね……。んなことよりカレーパン食べろよ。うまいぜ」
適当な相槌を打ちながら、適当なことを言う渚さんだった。殺し屋を生業としている彼女にとっては、四脳会に目を付けられていようがいまいが、そんなものは関係ないのかもしれない。他の組織や個人からも、日々命を狙われているのだろうし。
「……条件は、まず私たちに敵対しないこと。そして殺し屋の仕事をしないこと。最後に、叶さんと同じく、特殊対策二課に協力することです」
「一つ目、そもそもあたしは敵意を向けられなきゃ殺さねえ。二つ目は、仕事をしない代わりに金を用意しろ、高くつくぜ。三つ目に関しちゃ、あたしは叶くんに協力しなきゃならない契約になってるから、元からそのつもりだ。じゃ、そういうことでこれからよろしく!」
「えっ、あ、はい」
あまりにもあっさり、渚美都は四脳会と手を組むことを了承した。その反応は予想外だったようで、江角さんは一瞬動揺を見せる。
「では、条件を飲んで頂けるということですか? 殺し屋を辞めて、私たちに協力すると」
「殺し屋は辞めねえ、休業するだけだ。あと協力するのは厳密に言えば叶くんにだぜ。まあ、結果として朱里ちゃんたちに手を貸すことにはなるだろうけどな……このパンうますぎるだろ⁉」
とても真剣な話をしているはずなのに、渚さんは飄々とした態度を崩さない。その適当さに毒気を抜かれたのか、江角さんは深く溜息をつき、緊張を緩める。
そして、昨日殺し合いをした張本人たちを集めた理由を説明する。
「……叶さんに、渚美都さん。早速お二人に頼みたい仕事があります。『最悪の世代』の一人、『
俺を殺した人と二人きりの行動とは……そりゃまた随分と、楽しい仕事になりそうだ。
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