第23話 凶器の愛 007



「助けてあげましょう、渚美都さん」



 そんな中性的で魅惑的な声の主は、いつのまにかあの真っ白な獣の横に立っていた。あの怪物とペアルックみてーに、頭の先からつま先まで真っ白な野郎だ。



「『飼い犬ハンター』、お座り」



 真っ白な青年――いやさ美少年は、あの化け物にそんな指示を出す。いや、犬じゃねえんだから。



「……まじ?」



 目の前の光景が信じられない。

 あたしの右腕を奪った悪魔みたいな獣は、チワワみてーに尻尾を振ってその場に座りやがった。



「これは僕のペットですから……ちょっと噛み癖が悪くて、すみません」



「……ちょっとどころじゃねえよ」



 人のことを食いちぎっておいてなんて言い様だと思ったが、もう怒る気力もない。

 出血多量で頭が回らねえ……なに、ペット? その性悪な獣が?



、渚さん。ここ最近で一番の美味でした」



 真っ白な美少年は、真っ赤な舌を出して怪しく笑う……あれ、何この感覚。


 もしかしてあたし、ときめいちゃってる?



「美少年、お前一体何者……つーかその化け物は何」



「そんな些細なことを気にしている場合じゃないと思いますけど」



 言って、彼はあたしのボロボロな右腕に目をやる。いや、無いから見えはしないんだけど、とにかくそこら辺を見る……あー、だめだ、いよいよ頭に血が回らねえ。



「あー、随分派手に噛まれましたね」



 気づけば、美少年はあたしのすぐ真横にきて、食いちぎられた腕をまじまじと見つめていた。なんだ、瞬間移動? それともあたしの意識が飛んでる?



「少し痛いけど、我慢してくださいね」



 立っているのがやっとなくらい朦朧とした意識の中、



「っ!」



 直後、存在しない右腕が万力に挟まれたみてーに軋み、吐き気がする激痛に一瞬意識がシャットアウトしかける。


 なんとか持ちこたえて痛みの先を確認すれば……あら不思議。傷口は塞がり、出血は止まっていた。



「……神様みてえなことしやがる」



 急に現れたと思えばあの獣を大人しくさせるし、今度は魔法みてえに傷を塞いじまった。



「もちろん、僕は神様ですから」



 美少年はそんな風に嘯く。そのにやけた笑顔の向こうは悪意たっぷりって感じで、神様ってよりは悪魔みたいだが、まあどっちでもいい。



「で、お前はどこの誰なんだ」



 お前はどこの誰で。

 あたしの敵なのか?

 重要なのは、それだけだ。



「僕は天津橙理と言います。あそこで無様に倒れている、あなたが殺した男の主人ですよ」



 美少年――天津橙理に促され、あたしはちらっと後方を見る。

 ……あの変なのくんの、主人、って言ったか。なんだ、主人って。



「彼は僕の奴隷なんですよ。カワードを食べるためにこの『飼い犬』を貸してあげているんです」



 天津くんは獣の頭を撫でる。うわ、絶対触りたくねえ。



「……じゃあ、お前はあいつの仲間ってことか? ならなんであたしを助けた」



 主人と奴隷というのがよくわからないが、二人が親しい関係なのはわかった。であるならば、あの変なのくんを殺したあたしを恨みこそすれ、助ける義理はないはずだ。



「彼は死んでも死なないので気にしてませんよ。それに、丁度口直しのためのデザートも欲しかったところですし」



 あなたの右腕は濃い味でしたから、と天津くんは再び舌を出す。

 ……なんだかわけがわからないが、美味しかったのならいいか。



「それに、お願いされちゃいましたから」



「……お願い?」



「ええ。してたじゃないですか。『どうかあたしを助けてください』って。神様として、人間の願いは叶えてあげないと」



 彼は目を細めて笑う。どこまで本当なのか、目の前の人物が神様なのか、そんなのはこの際どうでもいい。考えたってわからないこともある。


 ただ、事実として。


 あたしはこの真っ白な青年に、惹かれていた。


 殺し屋稼業は刺激的で、世界中飛び回りながら危険な仕事をしていたけれど。

 今意地悪く微笑んでいる彼の方が――よっぽど危険で、刺激的だ。



「……じゃ、渚さん。『凶器の愛トリガーハッピー』さん。あなたには支払いをしてもらいます」



「支払い……?」



「願いを叶えるのにはそれなりのが必要なんですよ。あそこで死んでいる凛土先輩も、願いを叶える代わりに僕の奴隷になりました。あなたは……まあ、奴隷とまでは言いませんから、一つ取り決めをしましょう」



 天津くんは軽快に指を一本立てる。

 そして告げる。

 あたしが支払うべき対価の内容を。



「『凶器の愛』さん。あなたはこれから、。その異能をいかんなく発揮して、彼が『食事』をする手伝いをしてほしいんです。殺し屋は続けてもらってもいいですが、僕や彼があなたを必要としたら、必ず協力してもらう……それが、支払ってもらう対価です」



「……」



 あたしが、あの変なのくんに協力する、だって?



「それは別に、構わねえけど……。あいつ、見ての通り死んじまってるぜ?」



 死んだ人間に協力するなんて、そんなの火葬の手伝いくらいしかできねえよ。

 ……いや、待て。確か天津くんが、ポロっと何か言っていたような。彼は死んでも死なない、とかなんとか。



「では契約成立ということで。万が一この契約を破れば、右腕だけじゃなく、あなたの全身を頂くことになります……ま、僕はそれでもいいんですけどね」



「いいわけあるか」



 つーか、あの『飼い犬』とかいう異形の獣が美少年のペットなのだとしたら、この契約は全く対等なものじゃねえ。従わなければ殺すと脅された、ただの脅迫だ。

 まあそれだからこそ、あたしに選択肢はねえんだけどな。



「さ、では解散としましょうか。協力の要請は僕からするので、携帯は常にチェックできるようにしていてくださいね」



「……ああ」



 携帯とか使うんだ、神様のくせに。もっとこう、頭に直接話しかけるみたいな超常的な方法で連絡を取ってほしかった。


 そんな意外と俗っぽい神様は、白い獣の頭を撫で。




「いけ、『飼い犬』。デザートの時間だ、残さず食べるんだよ」




 そう指示を出した。


 主人からの命令を受け、獣は動き出す。ゆっくり、緩慢な動きで。そりゃそうだ、さっきまでの俊敏な動きは必要ない、だって、目指す対象はその場に留まったままなんだから。


 死んでしまって、動けないのだから。


 白い獣は鼻息を荒くしながら徐々に歩を進め、横たわった死骸――叶凛土くんの元へと辿り着く。


 そして。


 あたしが毒針で殺した彼の――足先を食べ始めた。



「……!」



 真っ赤な鮮血が、獣の白い皮膚を染めていく。

 ゴリゴリと小気味良い音を立てながら、叶凛土の体を飲み込んでいく。


 食い漁り、食い散らかし。


 己の空腹を満たすためだけの、意地汚い食事を続ける。



「……」



 流石のあたしも、獣が人間を喰うところなんて見たことがない。あまりの凄惨な光景に、思わず目を閉じてしまう。


 そして、目を閉じる前の、ほんの一瞬。

 その体を蹂躙されている叶凛土くんと、目が合った気がした。



 彼の目は。



 この世の全ての苦痛と絶望と不幸を、一身に受けているような。


 そんな、悲痛に塗れた瞳だった。




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