第22話 凶器の愛 006



「……」



 死んだみてーだ。

 見かけキモさの割には、随分呆気ない死に様だったな。


 あたしは倒れこんだ変なのくんを尻目に、朱里ちゃんの元へと向かう。死なないように調整した毒とはいえ、あのまま放っておけば万が一てこともある。



「まったく、お前も懲りない女だよなあ」



 あたしは袖口から解毒用の針を取り出し、朱里ちゃんの首筋にそっと突き刺す。うん、我ながら優しい。

 ついでに、顔面に刺さったままになっている数本の針も抜いておいてあげた。嫁入り前の娘さんの顔に傷をつけてしまったが、まあ針治療だと思えば問題ねえだろ。


 あたしは彼女をお姫様抱っこし、車の後部座席へと運んで寝かせてあげる。

 解毒作用が効いてきたのだろう、朱里ちゃんは穏やかな表情になって、スースーと寝息を立てていた。



「……」



 あれは、何年前だったか。正直碌に覚えちゃいないが、初めてこの娘と会った時は、随分といじめてしまったもんだ。一緒にいた仲間は皆殺ししちまったし、あたし、相当恨まれてるんだろーなー。


 まあ、いいさ。

 誰かに恨まれるのなんて、職業病みたいなもんだ。



「じゃあな、朱里ちゃん、できれば、もう二度と戦わないことを願ってるぜ」



 貴重な殺さないリスト入りメンバーの彼女の頭を撫で、あたしは車のドアを閉める。



「さてと……」



 帰国して早々、真っ昼間っから殺し合いが始まっちまうとは、我が事ながらいかにも殺し屋って感じだ。今日はゆっくり実家で休む予定だったのに、目が冴えてきちまったじゃねえか。


 ついでだし、保留にしてた依頼でも受けてやるか。家で落ち着いてビールと洒落こむのは、それからでも遅くはない。えーっと、依頼人の電話番号はーっと……。



「……!」



 背後で、何かが蠢くのを感じた。


 あたしは本能のまま、車のボンネットを踏み台にして垂直に跳躍する……どんな形であれ、気配の元から離れなければと、体が勝手に動いたみてーだ。



「……っ」



 あたしは空中で体を翻し、気配のする方向を見る。

 場所は丁度、さっき殺した変なのくんがいた辺り。


 そして。

 そこには、もっと変な奴がいた。




 死んだ人間の右腕から、ズルズルと獣の頭部が伸びていく。


 到底意志を持っているとは思えない虚無感を漂わせながらも、獣は確実にその体積を広げていき、遂には彼の腕から引き離れやがった。


 ただ頭部が伸びただけの物体は、次第に肉食獣のような四肢を生やし、完全に自立した一個体として成立する。



 白い獣。



 トラやライオン程の体長へと変貌したは、鼻息荒く周囲の様子を窺っていやがる。口からは粘っこい体液を垂らしながら、緩慢な動きで一歩二歩と、その場で足踏みをしている。


 明らかに、この世の理から外れた異形。


 悪魔みてーだ。




「……なるほど、あれは秘密兵器っぽいねぇ」



 なんて余裕ぶって見せるも、あたしは全身が総毛立っているのに気づいていた。まだ昼間だっていうのに、一気に夜中になったみてーに薄ら寒い。



「……」



 あたしは本能で理解する。は戦うとか殺すとか、そういう次元にいる生物じゃねえ。いや、そもそも生きているのかさえ怪しいもんだ。


 獣の虚ろに落ち窪んだ目からは、全く生気を感じられない。生きていないものを殺すなんて無理ゲーだろ。つーかあたしは人専門の殺し屋だっての。



「くそっ」



 空中で体をもう一捻りし、獣に背を向ける。みっともない敗走だと笑われても構わねえ、今はとにかく距離を取るのが先決だ。


 華麗な着地を決め、あたしは全速力で走り出す。とりあえずこの廃校の敷地から出て、周囲の森へと逃げ込もう。がどこまで自立して動けるかは知らないが、本体の人間が死んでいる以上、そこまで広範囲に動けるとは思えねえ。


 あたしは自慢の脚力で颯爽と校庭を走り抜け……。



「なっ⁉」



 地面が何かの影に覆われる。それは、頭上に何らかの物体が迫っていることを意味していた。

 どうやら安全無事に逃げるのは無理らしいな。



「ちっ!」



 あたしは急ブレーキをかけて勢いを殺し、振り返って頭上を見る。

 目算上空二十メートル程の位置に、あの獣が飛び上がっていた……ってまじか。なんつー足腰だよ。


 あの速度と跳ねた方向から見て、うん、あたしに狙いを定めているのは間違いねー。あれだけの身体能力を持つ相手から逃げるのは難しい。

 だったら、やっぱ戦うしかねーか。



「死に晒せ!」



 敵が身動きの取れない空中にいるのなら、今が好機。


 あたしは袖口に仕込んだ投擲用のナイフを一斉に射出する。次いで拳銃、弾丸がなくなるまで撃ち続ける。最後に致死性の毒針をあるだけ打ち込む。


 でたらめに思える攻撃も、その全てが対象に向かって集約する。『凶器の愛トリガーハッピー』、舐めんじゃねえぞ。



「……っ!」



 だが、あたしの美しい暴力行為は、その全てが獣の口腔内へと吸い込まれ。


 美味しく咀嚼されてしまった。



「何でもありかよ……」



 獣は重力に従って落下してくる。空中で仕留めきれなかったとなれば、後は地上で実力勝負っきゃねえ。


 あたしはあいつの落下予測地点から離れ、袖から日本刀を取り出す。

 ……残る武器はもうこの刀一本だけだ。武器による攻撃が効かないあたしにとって、襲撃者から身を守るために入念に武装するっていう思考はない。最低限の装備さえあれば、それで事足りちまうからだ。


 その準備不足が、こんなとこで裏目に出るとは。


 これからは武器を持つ人間以外、人外やカワードに襲われる想定をして装備を整えねえと……つーかそもそも、実家に帰るのに物騒なもん持ち歩かねえっての!



「……」



 獣は大量の土埃を上げて落下する。その衝撃の大きさは予想を上回り、あいつの持つ質量が思いの外大きいことが窺えた。


 あたしは日本刀を構える。誰かに教えを乞いたことがないので我流の剣術ではあるが、あたしの能力があればその剣裁きは達人級になる。



「いつでもこいや、化け物。綺麗に三枚におろしてやるぜ」



 体の内側を駆け巡る恐怖心を押し殺すために、あたしは敢えて虚勢を張る。いや、逃げられるなら逃げたいって、まじで。



「……あれ?」



 土埃が収まり、いよいよ正面切って獣とご対面かと身構えたが……落下地点にその姿はなかった。


 代わりにあったのは、大きな穴。



「……っ!」



 奴の思惑に気づき、回避をしようとした時には遅かった。

 地響きと共に下の地面が崩れ、そこから真っ白な獣が勢いよく顔を出し。



 あたしの右腕を――食べやがった。



「っ‼」



 痛みを感じる暇なんてねえ。今すぐこのクソッタレから離れねえと!


 あたしはありったけの力を込めて地面を蹴る。自分の右側を欠いた違和感に意識が持っていかれそうになるが、そんな雑念を払うように無理矢理体を動かす。



「……ってえなあ、おい。お前、まじでキモ過ぎ……」



 なんとか距離を置くことには成功したが、獣は鼻を鳴らしてあたしのいる方へとゆっくり振り向く……あー、うぜー。あいつのないはずの目玉が笑ってるように見えやがる。



「……」



 右肘から先を持っていかれた。

 流れる血は止まらない。

 このままでは、遅かれ早かれ死ぬしかない。



「……ま、諦めなけりゃ何か起きるか」



 あたしは残された左手で刀を構える。『凶器の愛』の力は、片腕になっても発揮されるはずだ。


 なら、状況はさして変わらねえ。


 ただちょっと、今にも叫びたい激痛があって、出血のし過ぎで意識が朦朧としちまってるだけだ。うん、モーマンタイ。



「こいよ化け物。あたしの右腕は高くつくぜ」



 渚美都の人生は、ここで終わるかもしれない。だが、あたしは絶対に諦めねえ。


 美しく人を殺してきたあたしは、意地汚く生に執着する。

 それを矛盾とは思わない――だって。



 人間は、生きているだけで、美しいんだから。



 だから最後に、生き汚く縋ってみよう。

 神様ってやつに。


 やらねえよりはやった方がマシだ……あたしは見たことも信じたこともねえ神様に祈る。

 お願いする。



 どうか、どうかあたしを。

 助けてください。



「いいですよ」



 そんな声が聞こえた気がしたが……神様の声が聞こえるとか、もしかしてあたし、もう死んでる?




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