第14話 眠り姫 001



 私は見知らぬ天井で目を覚ました。

 なんて言うと、まるで自分が重力を無視して天井に寝そべっているみたいで面白いけれど、私はしっかりと重力に従い、ベッドに寝そべっているらしい。


 面白くない。



「……っ」



 胸と背中が痛む。

 というかそもそも、ここは一体どこなんだろう……。



「……」



 覚醒したばかりで朦朧とした意識を総動員し、私は辺りを見回す。ふむふむ、どうやらここは病室のようだ。ということは、私は病人か怪我人? 胸の痛みからして、恐らく後者なのだろうけれど。



「……あ」



 段々と意識がはっきりしてくる。そうだ、私は『曲がった爪ネイリスト』というカワードを探して門倉かどくらまでいって、そこで同じ大学に通うかのう凛土りんどくんに出会ったのだ。最初は後をつけてくるからナンパかと思ったけど、どうやら彼も『曲がった爪』を追う同士だった。それにそれに、あのミステリアスオカルトボーイの天津あまつ橙理とうりくんと知り合いだっていうんだから、最高についてる! って思ってたのに。



「馬鹿だなぁ、私……」



 私は、全くついてなんていなかったのだ。むしろ人生最悪の日――立花たちばな日奈ひなの人生最大の汚点になってしまった。まさか……。



「まさか、カワードの顔を見逃すなんて……」



 一生の不覚。

 立ち直れる気がしない。


 私が何かに貫かれてその場に倒れこんだ後、少しだけ凛土くんの声が聞こえていた。「お前が『曲がった爪』か」って、確かにそう言っていたもの。


 彼女の標的となり、その凶刃に倒れたのは、菱岡ひしおか大学オカルトサークルサークル長として誇らしいことではある。でも、その御姿を見ることなくあっさり意識を失うなんて……。



「ついてないわ……」



 ……というか、私が意識を失った後、『曲がった爪』はどうなったのだろう。

 それに凛土くんも、無事なのだろうか。


 あー、本当に何で気絶しちゃったのかなぁ……あんな最大のオカルトイベントの顛末をこの目で確認できなかったなんて、立花日奈一生の不覚っ。


 そんな風に自分の不甲斐なさを嘆いていたら、看護師さんがやってきて慌てた様子でお医者さんを呼んだ。その慌てっぷりがすごくて、私はそんなに重体で長いこと意識を失っていたのかと思ったけど、何のことはない。後から来た先生に話を聞いたら、たった半日昏睡していただけらしかった。一応しっかり生死の境は彷徨ったようだけど、生きているのだからオールオッケーよ。


 私は一カ月の入院と絶対安静を言い渡された。これから始まる退屈で憂鬱な入院生活を思うと溜息が出るけど、まあ名誉の負傷ということで前向きに捉えましょう。



「……」



 私は携帯を見る。遠方に住む両親がこちらへ向かっているという連絡のメールと、大学に来ない私を心配した友達からのメッセージが数件。うん、病院に連れ込まれて半日にしては、結構反応があるんじゃないかしら。



「あ、店長に連絡しないと……」



 今日はバイトの日だった。でもそろそろ辞めようとも思ってたし、これを機に無断欠勤してやろうかしら。



「ま、そんな度胸はないんだけどね」



 私は取り急ぎやらなきゃならないことと、一カ月の入院生活をどう乗り切るかを思案する。まずは両親に電話して無事を伝え、安心させないと。それから店長に連絡して、あわよくば辞めさせてもらおう。あとは暇潰し用の携帯ゲーム機と漫画を持ってきてもらわないと……って、あれ? そう言えばここはどこの病院だっけ?



「……」



 私はさっきのお医者さんの話を思い出す。えっと……確か、菱岡中央って言ってたような……。



「なーんか聞き覚えあるのよねぇ」



 菱岡市にある病院の中で一番規模の大きいところだから、名前は知っていて当然なのだけれど……それ以外に薄っすら、記憶に引っかかるものがある。



「……あっ」



 思い出した。


 先月の二日に起きたカワードによる襲撃事件――その被害者が、この病院に大量に搬送されているという噂があるのだ。二十人近くの人が亡くなった凄惨な事件らしいのだが、亡くなった人とは別に、今も意識がないまま眠り続けている人たちが大量にいるという。ほんとかどうか気になっていたのだけれど、せっかく件の病院に入院できたんだし、調べてみるのもいいかもしれない。



「……」



 そこまで考えて、思い出す。凛土くんのご両親が、あの事件に巻き込まれて亡くなってしまったことを。


 私は別に、面白半分でオカルトをやっているのではない。そりゃ、面白いには面白いんだけど、神秘的な存在や霊的な事象にはきちんと敬意を払っている。でも、私が追い求めるオカルト――カワードの被害を実際に受けた彼を、知ってしまった。

 今まではただの知識や情報だけだったカワードという存在が、現実に凶悪な事件を起こしているのだと、そう見せつけられた。


 何だろう……例えば、動物園のトラさんを可愛い可愛いと愛でていたら、突然飼育員さんを噛み殺したみたいな、そんな感覚かな。トラさんが危険なのは知っていたけど、実際にその危険を身近で感じてしまった、みたいな。



「……でも、知りたい」



 知りたい。

 知的好奇心が抑えられない。

 トラさんが危ないと肌身でわかっても、その生態に興味が沸く人物がいるように。

 私も、カワードのことをもっと知りたい。


 我ながら、凛土くんに「知的好奇心の塊。変態」と言われただけのことはある。初対面の女性相手にそんなノンデリカシーなことを言う彼にも問題があるとはいえ、まあその評価は概ね正しいのだ。



「……」



 気づけば、痛む体をおしてベッドから立ち上がっていた。自分で言うのもなんだが頭がおかしい……しかしどうにも知識欲をコントロールできない。せめて、襲撃事件の被害者が意識不明で大量に入院しているという噂の真偽だけでも、確かめたい……。



「いった……」



 痛い。それに麻酔がまだ効いているのか、足元が覚束ない。


 おいおい、こんな体で出歩くおバカさんがいるんだって? 


 もちろん、私のことだった。




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