第3話 神と奴隷と卑怯者 002
俺の住む菱岡市は、都心に近く、C県の中でも発展した部類に入る地方都市だ。その名を冠する大学もあり、就職では地元に残る奴も半分くらいはいる、そんな場所である。
そして菱岡大学三年生であるところの俺、叶凛土は、授業に出席するわけでもないのにそのキャンパスへと向かっているわけだ。
不健全で、不健康な。
そんな、いかがわしいことのために。
「……」
俺はアパートを出てから三十分程歩き、通いなれた我が学び舎へと辿り着く。こんな時間に登校している熱心な学生はうちの大学には皆無なので、周囲に人影はない。
無駄にだだっ広いキャンパスの、小綺麗に舗装された道を早足で歩きながら、俺は第一校舎の裏手へと回る。そこには第一から第三研究棟が鎮座し、ゼミやなんやらに参加する学生が、日々勉学に勤しんでいるらしい。
だが、俺はそのどの建造物にも入らず、更に奥。
第四研究棟を目指していた。
もちろん、我が菱岡大学には第四研究棟なんて存在しないのだが、決して俺の頭が狂ったわけではない。
狂っているのは、いつだってあいつの方だ。
「……」
緑化のための木々以外何もない道をしばらく歩いていると、ふと視界の端に白い建物が見える。なるほど、今日は割と近場に出てきてくれたらしい。
俺はその白い建造物へと進路を変更し、扉の前で立ち止まった。
携帯を見る。
着信が五件。
「……あー、もしもし
『……』
電話越しの相手はえらくご立腹のようで、一言もしゃべらず無言だったが。
数秒後、自動ドアが如く扉が開き、俺を中へと招き入れる。
存在するはずのない、第四研究棟の中へと。
「……お邪魔しまーす」
さて今日は一体どんなお小言を言われるのかと身構えながら、俺は扉をくぐる。
くぐった先は、目も眩むような白。
「……」
やはりここは、何度きても慣れない。
床板から壁から天井から、全てが白色で統一されている。大学の設備としては似つかわしくない高価そうな調度品も、等間隔に置かれた花瓶に活けてある花も、全てが真っ白だ。花に至っては茎まで白い……新種だろうか。
白色といえば、一般的に言って視認しやすい部類に入るだろう。
だが、この有様を見れば、その評価を変えざるを得ない。
種類の違う白を用いていることで辛うじて奥行きがわかるが、遠近感は歪み、これでは黒で塗り潰しているのと大差ないと思える程だ。
そんな不気味な廊下をおっかなびっくり歩いて、突き当り。
「六十四研究室」と書かれた部屋――もちろんそんな教室もあるはずはないのだが、この存在しない部屋が目的地なのである。
俺は憂鬱な気持ちを押し殺し、戸に手をかけ、一呼吸おいてから一気に横へ開いた。
「……」
部屋の中は、無限に広がる白で満たされている。
……どう見ても、外側から観測した建物の大きさと空間の体積が合っていない。キツネにつままれた気分だ。
ここにくるまでの道程と同じく、部屋の内装は壁も床も全て白。そして研究室とは名前だけと言わんばかりに、研究に必要な設備が何一つ備わっていない。と言うか、あるのはソファ一つだけ。
そんな四人掛けのソファにうつ伏せになって、目だけで来訪者を睨みつけているキツネが一匹。
「……よう、橙理」
彼こそ、俺が今まで見た中で一番白い、そして一番邪悪な存在。
菱岡大学一年生、天津橙理その人だった。
「なーにが、『よう』ですか。主人からの電話を無視するなんて、いい度胸ですね、凛土先輩」
そんな、絹でできたように透き通った中世的な声色で、橙理は不満を漏らす。
「必ず電話に出ろとは契約にないからな。……それにお前、電話越しだとテンション高すぎてうるせえのよ」
あまつさえ自分の主人を「お前」呼ばわりする輩はいないだろう……俺以外。まあ彼は、そんな細かいことは気にしない(と願う)。
ちなみに、奴の表向きのプロフィールが「菱岡大学一年生の男子生徒」であるから、便宜上「彼」と呼称しているが、あれに性別なんて概念は存在しないらしい。
曰く、どっちでもいいと。
どっちでもいいなら女の子として扱いたいのが男の性なのだが、悔しいかな、奴を女子だと考えてしまうと理性が持っていかれそうになるのだ。
それ程までに、天津橙理の造形は整っている。
整い過ぎている。
顔面の黄金比を体現したご尊顔に、不健康なまでに透き通った白い肌。色素の薄い瞳と銀に煌めく白髪は、彼が人外であることを外見から示唆していた。
「何ですか、人のことじろじろ見て……。また僕の美貌に見とれちゃいましたか?」
くすりと笑う橙理に、不覚にもやられてしまいそうになる。いくらこいつが意地の悪い性悪野郎だとしても、うっかり反応してしまうのがオトコノコなのだ。
「……自意識過剰かよ。今日も今日とて不健康そうだなって思ってただけだ。ちゃんと飯食ってるのか?」
妹の忠告を無視して朝飯を食べなかった奴の言うことではないが、しかしこの照れ隠しからの発言は完全に墓穴だった。
「飯を食えていないのは、凛土先輩の所為なんですけどね。この前の卑怯者は四脳会のグズに取られちゃうし、今追ってる彼女には逃げられるし……。あなた、やる気ないんですか?」
「……返す言葉もありません」
二十歳を過ぎて後輩から敬語で怒られているとなると何とも情けないが、その実は神様からお小言を賜っているわけので、見ようによってはありがたいのかもしれない。
俺は全然嬉しくないが。
「例のカワード、多分門倉市に出没してるって奴と同一人物だと思うから、今日はその線で当たってみるよ」
今朝のニュース。このタイミングでの目撃情報とくれば、彼女である可能性は高い。
「ま、その辺は任せてるんで好きにしてくれていいですけど。でもあんまり待たせないでくださいね。僕は待つのが大の苦手なんです」
橙理は意地悪く目を細め、俺を見据える。
「……善処するよ」
言外にプレッシャーをかけられる。
今日中にケリをつけないと、どうなるかわかっているな、と。
そう言っている目だ。
「精々頑張ってくださいね。あなたは僕の奴隷なんですから」
奴隷。
あいつは俺との関係を、「主人と奴隷」と定義した。それは初めて会ったあの日から変わらない。
「……で、用件は何なんだ?」
俺の疑問を聞き、橙理は怪しく笑う。
白々しく、その目を輝かせながら。
「先輩が追っている例の彼女についての新情報です。先輩の予想通り、門倉市に出没しているカワードは『
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