第3話 自己紹介

「お疲れ様」

「っす…」

 来てしまった。というよりも通学路である以上避けては通れない道であるのだが、やはり遠回りするべきだった。

「疲れた顔してるね?疲れた顔も可愛いけどもし大変ならなんでもお姉さん協力するよ…」

「疲れてないですしやめてください。」

 昨日から一晩明け、先輩の元へ行くべきか考え続けていたらろくに眠れなかった。結局答えは出ずにいつも通りの帰り道に着いていた。


「昨日の約束守ってくれるなんて良い子だね。」

「ただ帰り道だったんで。」

 挙げ句、彼女と共に歩き出した。

「知ってる?ひと駅先で降りるとマンションの前の公民館に止まるバスが出てるんだよ。」

 と言うなり、赤に染まり出した空を見上げながら話す彼女。

 公民館に止まるバス、即ち彼女に出会わないルート。遠回りするような帰り方だが、いつもの駅で降りずに帰れる最短ルート。その帰り方を知っているということは以前その駅を使ったのだろう。 

 しかれども、なぜ彼女はこのルートを楓に教えたのだろうか。楓が考え続けて結局結論を出せず、この通学路に来たわけだが、この帰り道を昨日知ってたならば間違いなくこちらを使っていただろう。だがそうなると彼女との約束は叶わないこととなる。元々彼女が交わした約束なのにその逃げ道を自ら差し出すということはどいうことなのか。彼女は楓と帰りたいのだろうと思っていたが今の発言から違うのだろうかという考えも浮かんだ。

 二人の間でうまれた沈黙の中、楓が切り出した。

「そっちから帰ることもあるんですか?」

 直接「なんでそんなこと教えるんですか?」と聞くこともできた。しかしそう聞いてしまうと楓が彼女に会うルートをわざと選択して来たと勘違いされかねない。そうすれば彼女は調子に乗って楓をからからかい出すだろうと。だから少し遠回りした言い方をしてみた。

「さあ?」

「……はぁ?」

 そう言うなり手を横に出して分からないという素振りを見せる。自分で言っておきながら分からないとはどういうことか。

 不満気に反応したが彼女は構わず進んでいく。


「そういえばさ。自己紹介、しようよ。」

 微妙な空気を変えるように話題を持ち出してきた。そういえば昨日の話の流れでお互いを知るために自己紹介をするという流れになっていた。

 お互いのことはドアの前の表札に書かれた苗字と同じ学校であること、一個違いの先輩後輩であるという情報しか知らない。よく良く考えればこの条件のみで唐突に好きと言ってきた先輩は相当変人だ。

 同じ学校である以上それなりの人脈はあって損はない。だから先輩のことも少しは知りたいと思った。そういう意味では断じてないけど。

「梶原楓です。」

「楓って言うんだ。可愛いね。」

「もう何言っても可愛いって言うんじゃないですか。」

 別に褒められたりすることは嫌ではない。ただ可愛いと言われるのは男として少し違うと思う。


「可愛い〜!」

 突然、彼女が前に出て「隙あり」と言うと、むにむにと楓の頬を摘んできた。

「なっ、何すんだよ!」

 いきなりの事に反射が追いついていない。

「いや可愛くてね。今のところ喜怒哀楽の怒しか出てないしコンプリートまでの道のりはまだ長いかも。」

「勝手に人の表情でコンプリートとか言わないでください。」

 彼女は何を考えているのか。勝手に人の頬で遊んだり、コンプリートだの言い出したり滅茶苦茶だ。


 自宅までの距離は残り400m。彼女は楓の名前を知ったが、楓は未だ知らない。

 だから、不公平かなと思っただけだ。

「先輩の、名前は。」

 彼女は一瞬驚くような顔をした後、にんまりと心底嬉しそうな顔をした。こんな分かりやすく感情を顔で表現する人初めて見た。

「嬉しい。なぎ。嬉しい。嬉しい。」

「…嬉しいのは伝わってますから。その、なぎって言うんですね…」

「なぎ先輩って呼んでも良いんだよ?」

「先輩で。」

「やっぱりなぎ先輩って呼んで欲しいな。先輩からのお願い!」

「こんな時に年上という名の権力使わないで下さい。」


 そうこう話していたら家の前に着いていた。

「じゃあ今日はここまでで。明日も続き話そうね。」

 また楓の有無は聞かずにそそくさと家に入って行ってしまった。心做しか昨日よりも後ろ姿が上機嫌だった。

 明日も多分会う。だって自己紹介の続きだから。先輩のことを知っておいた方が何かと役に立つと思っただけだから。ただそれだけ。

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