第2話 何とも言えない気まずさ……

 例の留年宣告から一か月後、俺はついに運命の日を迎えた。いや、迎えてしまった。


 元々始業式は長期休みが終わり、平日という現実を突きつけられる大嫌いな行事ではあるが、今回の始業式は格別に気が重い。


 なにせ俺は留年をしたのだ。クラスメイトは皆先輩になり、下級生はみな同級生になる。当然ながら先輩方はどうして俺が二年にいるのか不思議に思うだろうし、下級生たちはなんでこいつ何食わぬ顔で俺たちの教室に座ってるんだ? ってなるに決まってる。


 決して誰も口に出して指摘はしないだろうけど、そのお察しみたいな視線が俺には耐えられそうにない……。


 が、高校を中退するわけにもいかず、俺は渋々制服に着替え、二年生の学年カラーである新しいネクタイを締めて家を出た。


「あのさぁ……お兄ちゃんも恥ずかしいかもしれないけど、私だって同じぐらい恥ずかしいんだよ……」


 学校へと続く桜並木の道の端っこを人目を避けるように歩く俺。その隣に同じく人目を避けるように恥ずかしそうに歩く妹の姿。


 そんな彼女に苦笑いを浮かべると、彼女は「なんで私がお兄ちゃんと一緒に登校しなきゃいけないのよ……」と言ってため息を吐いた。


 西塚美羽にしづかみう。それが我が妹の名前である。


 彼女は俺の一つ年下。つまりはこれから俺と同級生になる高校二年生である。


 自分の妹を可愛いと言うのは、兄としてこの上なく不本意だけど、彼女は俺と同じ遺伝子を受け継ぎし者とは思えないほどに、俺とは違って垢抜けている。


 母親譲りのつやつやの黒髪に、父親譲りのぱっちりお目目、さらには祖母から譲られた通った鼻筋に、小さなお口。彼女は親族の遺伝子の中からいい部分ばかりを受け継ぎやがった美少女だ。


 あ、ちなみに俺はその残りかすだ。


 そのせいもあってか、さっきから男子生徒がチラチラと美羽に視線を向けるのがわかるが、今に関してはそれが完全に仇となっている。


「はぁ……恥ずかしい……」


 と、泣きそうな声でとぼとぼと歩く美羽氏。


「ほら、その件はもう話が付いてるだろ」


「そうだけどさ……やっぱり恥ずかしいもんは恥ずかしいもん……」


 実は今朝、美羽に土下座をした。


 その理由は彼女に学校までついて来てもらうこと。


 これまではいくら同じ高校に通っているとはいえ、お互い年頃ということもあり、わざわざ時間をずらして登校をしていた。


が、今日の俺は恥ずかしさのあまり、一人では学校にたどり着けそうになかった。だから、美羽に一緒に学校に行こうと誘ったのだ。


 もちろん拒否られたさ。絶対に嫌だと言われたさ。だけど、俺はそこからさらに土下座をして頼み込んだ。その結果、美羽は自室へと駆けこむと慌ててファッション誌を持ってくると、その中の一ページを指さして俺に見せてきた。


 それは水色のワンピースだった。


 見せつけられたワンピースの右下にはメーカー希望価格35000円の文字。


 どうやらこれで手を打つということらしく、俺はふざけんなと逆上したが『なら、一緒に行かない』と言われてしまったので、泣く泣く手を打った。


 あ、ちなみに資金源は来月にPF5を買うために取っておいたお年玉だ。


 が、美羽はどうやら俺を諦めさせるためにふっかけていたようで、俺が買うと言うと目を丸くして『え? ほ、本当に買うのっ!?』と慌てふためいた。


が、俺はそれでも一人で登校できる自信がなかったので『買うから一緒に登校してくれ』と再度土下座したら『じゃ、じゃあ、ちょっとぐらいなら友達も紹介してあげる……』とオプションを付けてくれた。


 というわけで俺たちは数年ぶりにこうやって二人で仲良く登校することになったのだが、いざ一緒に歩いてみると美羽も想定以上に恥ずかしかったようだ。


 終始頬をリンゴみたいに赤くして俯いてる。


 そんなお葬式状態で桜並木をとぼとぼと仲良く歩いていた俺たちだったが、ふと、後ろから「美羽ちゃん」という声が聞こえたので、俺たちは足を止めた。


 振り返ると、こちらへと歩み寄ってくる小柄な女の子の姿があった。


 そして俺はそんな彼女に見覚えがあった。


 彼女は確か俺が留年宣告をされた日に、出会った美羽の友人の女の子だ。


 確か名前は……ぶどう……。


「あ、桃ちゃんおはようっ!!」


 あ、そうだ桃ちゃんだ。


 と、隣で手を振る美羽の言葉で彼女の名前を思い出した。桃ちゃんは美羽のもとへと駆け寄ってくると「美羽ちゃん、おはよう……」と美羽に微笑みかけた。そして、次に俺を見やると少し恥ずかしそうに「お、おにいさんもおはようございます」とぺこりと頭を下げた。


 可愛い。


「お、おう、おはよう桃ちゃん」


 と、そんな彼女に挨拶を返す俺。


 が、それも束の間、


「も、桃ちゃんっ!?」


 と、美羽が驚いたように俺を見上げた。


「ど、どうしてお兄ちゃんが桃ちゃんを桃ちゃんって呼んでるのっ!?」


 目を丸くする。


 そうだ。そういや、彼女と知り合ったことは美羽にはまだ話していなかったっけ……。


 どうやってこのことを説明しようかと俺が頭を悩ませていると、美羽が「じぃぃぃ」と訝しげな目で俺を見つめてきた。


「み、美羽ちゃん、違うの」


 と、そこで桃ちゃんがそんな美羽を見やる。


「じ、実はね……その……この間、お兄さんとばったり廊下で会って私が挨拶したの。それで、私がみんなが桃って呼んでるから、お兄さんも桃って呼んでくださいって言ったの」


 そう言って桃ちゃんが美羽に全て(留年現場を目撃したことを除いて)を説明してくれた。


「そうなの?」


 と美羽が桃ちゃんに尋ねると彼女はコクリと頷いた。


 というわけで誤解は解けた。誤解も解けたところで俺たちに桃ちゃんも加えて三人で学校へと歩き始めた……のだが。


「…………」


 俺は歩きながらふと疑問に思う。俺たちは仲良く三人で学校へと向かって歩いているのだが、なんだか配置がおかしい。


 普通ならば仲のいい美羽と桃ちゃんが隣同士になり、その隣に俺が歩くのが自然な気がするのだけど、何故か桃ちゃんは美羽の隣ではなく、俺の隣を歩いている。


 つまり俺は美羽と桃ちゃんに挟まるような形になっているのだ。


 これだと桃ちゃんは俺を挟んで美羽と会話をしなければならなくなる。そのことに気がついているのかいないのか、彼女はずっと俺の隣を歩いている。


 あと、なんか距離が近い……。


 そんな彼女をしばらく不思議に思いながら眺めていると、ふと桃ちゃんは顔を上げて俺を見やった。


「あ、あの……お兄さん……」


「どうしたの?」


「あの……これからお兄さんのことお兄ちゃんって呼んでもいいですか?」


 いや、なんでっ!?


 と、唐突にそんなことを言ってくる桃ちゃんに俺は思わず目を丸くする。そして、それは美羽にとっても予想外の発言だったようで、俺と美羽は一度目を合わせて桃ちゃんを見やった。


 すると、桃ちゃんは恥ずかしそうに頬を真っ赤にして、何やらそわそわしながら口を開く。


「な、なんというかその……わ、私、お兄ちゃんが昔から欲しかったんです。それに、美羽ちゃんとお兄ちゃんはいつも仲がいいから、それが羨ましくて私もお兄ちゃんって呼びたいなと思いました」


 と、ちゃっかりすでに俺をお兄ちゃん呼びしてそう説明を始める桃ちゃん。


 おい、正気か?


「俺と美羽が仲良し? こんなこというもなんだけど何をどう見れば、そんな風に思えるんだ?」


 前にも説明したが、美羽は友達を家に入れるときには、必ず俺を自室に追い出すほどには毛嫌いされている。まあお互い思春期だし、美羽が俺を疎ましがるのはわからないでもないが、少なくとも傍から見て仲良しには見えなかった。


 だからそう尋ねたのだけど、そんな質問に桃ちゃんは首を傾げる。


「え? で、でも美羽ちゃんはいつも私たちにお兄ちゃんの話をしてくれますし、昨日はソファで寝てたから毛布を掛けてあげたとか、制服に皴ができてたからアイロンをかけてあげたとか、とても仲良しだと思いますが」


 と、俺にそんな説明をしてくれる。


 いや、ちょっと待て……。


 その桃ちゃんの言葉に俺は愕然とする。


 ちょっと待て、あれはお袋の仕業じゃなかったのか……。


 俺は美羽を見やった。すると美羽は頬を真っ赤にして「はわわっ……」と情けない声を漏らした。


 なんかよくわからんが、聞いてはいけない話を俺は聞いてしまったかもしれない……。


「お、おい、美羽?」


「わ、私、そんなことしてない」


 と、美羽は激しく首を横に振った。


「お兄ちゃんに毛布なんか掛けてないし、アイロンもかけてないし、お兄ちゃんとのツーショットを待ち受けにもしてないっ!!」


「おい、待ち受けってなんだっ!?」


「はわわっ……」


 あ、ダメだ。なんかわからんけど、美羽がヒートダウンしそうだ……。


「おい、美羽。大丈夫か?」


「わ、私、お兄ちゃんのことなんか大嫌いっ!!」


 と、そこで美羽はそう叫んで俺を睨みつけると、逃げるように学校の方へと駆けて行ってしまった。


 なんだろう……よくわからんが、とてもよろしくない展開だ……。


 桃ちゃんはそんな美羽を追いかけようとしたが、すぐに俺の元へと戻ってくると、


「ごめんなさい。美羽ちゃんがお兄ちゃんのことが大好きなこと隠してたって、私知らなくて」


 と、俺にぺこりと頭を下げると再び美羽後を追いかけていった。


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