第3話 兄へのあこがれが重い……

 なんだろう。俺はつい数分前に知ってしまった衝撃の真実のインパクトに、あれほど恥ずかしかった留年のことが、もうどうでもよくなり始めていた。


 美羽が本当はブラコン?


 本当は友達相手に惚気話をするほどに俺のことが大好きだった?


 今朝はお兄ちゃんとなんかと一緒に学校に行くのは絶対に嫌だと言いながら心の中では『お兄ちゃん、大好きっ!!』って考えていたのか?


 嘘だろおい……。だって美羽だぞ? 普段、俺に憎まれ口しか叩かないあの美羽だぞ?


 いや、さすがに衝撃的すぎて現実が受け入れられない……。


 いやもちろん俺だって美羽のことは好きだぜ? 喧嘩だってよくするし、ホント可愛くねえ妹だなって思うことだってままあるけど、それは単にお互いに思春期なのが原因で、なんだかんだで仲良しなのは知ってたさ。


 だけどよ……だけど、俺が思っていた以上に美羽は俺のことをド直球に好きでいてくれた。


 ダメだ……あの憎たらしい美羽が全て演技だったなんて……。


 どんどんと俺の中で西塚美羽という妹がゲシュタルト崩壊を起こしていく……。


 美羽よ……お前は本当はどんな妹なんだ。お兄ちゃんにはもう何もわからないぞ……。


 結局、美羽も桃ちゃんも先に学校に行ってしまったため、俺は一人で登校することになった。が、その間の記憶はほとんどない。気がつくと俺は新二年生の集合場所である校庭の一角にいた。


 周りには新二年生、つい一ヶ月ほど前までは下級生だった生徒ばかりだ。彼らは明らかに馴染みのない俺が当たり前のようにいることに驚いているようで「あんな人いたっけ?」「あの人って確か三年だよな。なんで俺たちと同じ色のネクタイしてるんだ?」「え? もしかして留年?」などとひそひそと話しているが、そんなことはどうでもいい。


 俺は亡霊のようにただ校庭を彷徨い続ける。


 が、そんな俺を現実に引き戻すように「お兄ちゃん」という声とともに見覚えのある少女がこちらへと駆けてきた。


 桃ちゃんだ。桃ちゃんは俺のもとへと駆け寄ってくると「お兄ちゃん、しっかりしてください」と俺の体を揺する。


 そこで俺はようやくわずかに正気を取り戻した。


「も、桃ちゃん?」


「お兄ちゃん、今はここにいてはだめです。今の美羽ちゃんには刺激が強すぎます」


「刺激?」


 と、わけのわからんことを言う桃ちゃんに、俺はふと彼女の後方へと視線を向けた。すると、そこには数人の女子生徒に囲まれて必死に慰められる我が妹の姿があった。


 美羽は女子生徒たちから頭を撫でられたり、背中を摩られながら、ぶるぶるとか弱く震えていた。が、美羽はふと俺の存在に気がついたようで、俺へと一度視線を向けると頬を真っ赤にして「はわわっ……」と情けない声を漏らした。


 少なくともこの十数年間で見てきた美羽の中でも、もっとも弱々しい姿だった。


 そんな変わり果てた妹の姿に愕然としていると、桃ちゃんは俺の体をぐるりと180度回転させて俺の背中を押してきた。


「さあさあお兄ちゃん、事情は向こうで説明しますので、一度美羽ちゃんから離れましょう」


 と、俺を校庭の隅へと誘導した。


 そして、校庭の隅へと到着したところで桃ちゃんは俺を見上げた。


「お兄ちゃん、今から私が言うことをよく聞いてください」


「お、おう……」


「なんというかその……。美羽ちゃんはお兄ちゃんが留年のことを忘れられるように、私と結託してお芝居をしたんです」


「お、お芝居?」


 桃ちゃんよ。きみはいったい何の話をしているんだ?


「ほ、ほら、美羽ちゃんは普段お兄ちゃんにツンツンしているじゃないですか?」


「ま、まあそうだな……」


「だから、急に美羽ちゃんが重度のブラコンだったってことにしたら、お兄ちゃんは衝撃のあまり留年のことなんて、どうでもよくなるぐらいびっくりしないですか?」


「ああ、現に今の俺は留年のことなんてもうどうでもいい……」


「そ、それこそが美羽ちゃんの狙いなんです。だから、わざと重度のブラコンだなんて嘘を吐いて留年のことを忘れさせようとしたんです」


 桃ちゃんよ……そのお芝居は副作用がデカすぎやしないかい……。


「俺の目には美羽の行動が決して演技には見えないんだけど……」


「そ、そんなことないですよっ!! 美羽ちゃんの演技力は凄いです……」


「いや、さすがにその言い訳は無理がありすぎるんじゃ……」


「演技だってことにしてください」


 と、桃ちゃんは俺に頭を下げてきた。


「ちょ、桃ちゃんっ!?」


「このままでは美羽ちゃんが本当におかしくなってしまいます。ですから、ここはそういう演技だったということにしましょう。あれは演技で本当の美羽ちゃんはお兄ちゃんのことを少し鬱陶しく思っている小憎たらしい妹なんです」


 と、そこまで言われて桃ちゃんの言葉の意図を理解した。


 そういうことにしておかないと事態が収拾しないということらしい。確かに今の美羽は完全にポンコツ化している。このままだと家に帰っても美羽はあのまま……どころかさらに事態が悪化する可能性だってある。


 ここは桃ちゃんの言う通り、強引でもあれは全部美羽の演技だったということにしたほうがお互いのためだ。


「美羽ちゃんは放課後までには元通りに調律しておきますので、お兄ちゃんもいつも通りに彼女に接してあげてください」


 と健気に俺に訴える桃ちゃん。


「なんというか俺たち兄妹のために何から何まで申し訳ないな。ありがとう」


 と美羽の修理を請け負ってくれるという桃ちゃんにお礼を言うと、彼女は何故か頬をぽっと赤らめて俺のすぐそばへと歩み寄ってきた。


 ん? なんか距離近くないか?


 あとなんでそこで頬を染めた?


 と、なんだか俺が思っていたのと違う反応をしめす桃ちゃんに首を傾げていると、彼女は頬を真っ赤にしたまま首を傾げた。


「お、お兄ちゃん……私、妹みたいですか?」


 ん? 急にどうした?


「桃ちゃん?」


「そ、その……私、お兄ちゃんのためにお兄ちゃんと美羽ちゃんを元通りの関係にしてみせます」


「お、おう、ありがとな」


「そ、そんな私……本物の妹みたいですか?」


 ん? だから急にどうしたんだ?


 と、わけのわからんことを聞いてくる桃ちゃんに、俺は目をぱちぱちさせて、どう返事をしたものかと頭を悩ませる。


「お、お兄ちゃん……どうですか?」


「え? ま、まあ、桃ちゃんみたいな妹が俺にもいたら嬉しいなと思うな」


 と、とりあえずなんと返事をするのが正解なのかはわからないが、とりあえずお茶を濁してみる。


「そ、その……もしもお兄ちゃんがそう思うのであれば……私のこと、もう一人の妹だと思ってくださると嬉しいです……」


「…………」


 そんなことを言い始める桃ちゃんに、俺はさっき桃ちゃんが口にした言葉を思い出す。


『私、お兄ちゃんが昔から欲しかったんです……』


 もしかしてこの子……お兄ちゃんという存在にとんでもない幻想を抱いている感じかな?


「私、昔からお兄ちゃんが出てくる少女漫画をたくさん読んできたので、兄妹というものがどういうものなのかそれなりにわかります」


 やっぱり……。どうやら桃ちゃんは完全に兄という存在を誤解しているようだ。


「私、美羽ちゃんとお兄ちゃんのこと絶対に元通りにしてみせます」


「お、おう……ありがとな」


「私……えらいですか?」


 ん?


「ま、まあ、えらいというかなんというか、色々と助かるな」


「お兄ちゃんって妹のことえらいって思ったら、わしわしと無造作に妹の頭を撫でたりするんですよね?」


 桃ちゃんよ。今すぐ家にある少女漫画を全部燃やそうか?


 桃ちゃんは完全に偏った少女漫画に脳をやられてしまっているようで、頭を俺に向けてきた。


 どうやら撫でろということらしい。


 しょうがないので俺は彼女の頭を控えめに撫でてあげた。


「もっと乱暴でもいいです……」


 どうやら乱暴さが足りなかったようだ。俺はもう少し乱暴に彼女の頭を撫でてやる。


 すると桃ちゃんはご満悦そうに頬を綻ばせる。


そして「わ、私、頑張りますねっ!!」と力こぶを作ると、美羽のもとへと戻っていった。


 桃ちゃんよ……美羽の調律の前に、もっと調律しなきゃいけないものがあるのではないか?

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