【第四章】5日
汗をかいてびちょびちょになった服とシーツ。それほどまでに前の世界が鬼畜で苦しかった。
今もまだ心臓の鼓動は早く打っている。
涙で視界がぐわんぐわんになっているがなんとか気を保つ。
あれは夢だあれは夢だと。自分に言い聞かせる。それでもまだ幻肢痛というのだろうか。感覚は残っていた。
「最悪な目覚めだな。」
乾いた喉から声を絞り出しぽつりとそうつぶやいた。このつぶやきは自分があの世界とは違うところにいるんだという確信を持つための、俺にとって意味のある重要なつぶやきだった。
服が体に張り付いている気持ち悪さが現実だとまた教えてくれる。今ではこの気持ち悪さも俺にとってかわいいものだ。
だるい体を起こして顔を洗いに行く。一歩一歩歩くたびに足から伝う冷たさが俺の目を少しだけ覚ましてくれる。
顔を洗うと一気に目が覚めた。ふと鏡を見ると俺の顔は今までに見たことないくらいやつれていた。
「最低最悪の気分だけど…さっきよりいくらかマシだな。」
そんなことを鏡に向かってつぶやいたとき
「うっ…」
急な吐き気が俺を襲う。洗面所に来ていて本当に良かった。なかに何も入っていない俺の胃からは少しの黄色い液だけが出ていった。
一通り落ち着いてからリビングへと向かった。静かな空間に鳴り響く秒針の音は今の俺にとってはすごく心地の良いものだった。
今は大好きなドクターペッパーでも飲んだら吐く自信がある。
テレビをつけて気を紛らわす。元気な出演者の声が俺に今この空間に一人ではないと錯覚させてくれた。テレビの右下に日付が出ていた。
「7月3日か。」
どんどん時間は迫ってきている。その日付だけでのんびり過去に浸ってる時間はないと俺に自覚させてくれた。
昔、ある言葉を聞いた。過去を振り返った数が自分の本当に負けた数だ、と。
俺は負けたりなんかしない。負けたら俺はあいつを救うどころか多分廃人になる。これだけが俺を正気にとどまらせ、ほんの少しの希望を持たせてくれる。
「まずは、わかったことからだな。」
そういいノートを開く。きっと死に続ければいつか正気が保てなくなる。そうなると覚えてられるか分かったものじゃない。
真っ白なページを開きペンを走らせる。
『ループは俺が死んだ地点から
必ず8日がターニングポイントではない
やることリスト
・助かる方法を探す』
ひとまずこれだけ書いて一息つき、また独り言を始める
「どうすれば助かる?可能性があるとすればハッチか、安全地帯…は存在しないか。あとは最悪アメリカの終末アニメとかにある仮設トイレのなかとか…」
自分で言っててバカバカしくて乾いた笑いが出てしまった。
「地下ハッチなんてねえだろうけど、探さなきゃ始まらねえよな。」
ガタッと音を立て椅子から立ち上がる。服を着替えて外へ行く準備をする。
あてはないが探すしかないだろう。
だんだんと正気を保てるようになった今の俺にはありがたかった秒針の音だけでは寂しく感じ、APOLLOのメーデーを口ずさむ。
準備が整い靴を履くとき一つの疑問が頭をよぎる。
なぜ世界を滅ぼすなんてことになったんだ。
しかしそんなこと考えたって意味がない。カントの哲学のような考え方だが、今考えてどうにかなるわけではないことに時間を割く必要はない。
ドアを開けた。差し込む光と新鮮な空気に身が包まれる。
久々の外を感じうれしかった。しかし今までの仄暗い空間からの急なまぶしさで一瞬目の前が見えなくなってしまった。ただ、それが外にいるということをより俺に鮮明に伝えてくる。
「外だ。」
たったその一言に俺の喜びがすべて詰まっている。
地面を踏みしめる感覚がたまらなくうれしかった。ただ、そんなことを感じる時間すら今は惜しく、すぐに歩みを進めハッチのありそうなところを考える。
「あるとしたら、学校とかか?あとは市役所とか…」
そこまで口に出して俺はあることに気づいた。多分ほんとうにまずいことだ。
鳥肌が立ち、冷や汗が背中を伝う。
思うに、戻れる時間がだんだん短くなっていっている現状で、何時間だけでなく何秒かまではっきりと言われた俺の時間。
「もし、最後に戻る時間が、残り数秒だったら。」
そう口に出した。きっとかすれた声が発せられただろう。この考えは仮説にすぎなかったが、俺には確信をついた考えであるように見えた。
じりじりと肌を焼くような暑さに気をやることもできず立ち尽くしてしまった。
もしそうだとしたら、俺は何ができる?助ける目的が手の届かないものとなった何のために生きれば、なんのために過去に戻ればいいんだ?
さっきまでこのパンドラの中の最後の希望だったものは、俺を絶望させる災厄へと変わった。
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