嗤う悲劇

その日はなかなか寝付けなかった。あの時の寝付けないとは違う。胸の高鳴り故のものだった。シノと隣で眠るのも変に緊張してしまうがシノは案外そうでもないのかもしれない。

シノの方を向く。すごく赤かった。ここまで赤いんなら本当に湯気も出てそうだ。額に手を当てる。すごく熱い。


触られたことにビクッとしてからこう言った

「ど、どないしたん?」

「熱ありそうだから。」

「熱ちゃうわ。…ねえ、うちのこと好きやったん?」

そう聞くシノは珍しく乙女らしかった。

「ああ。俺はガキの頃から人に話しかけられることなんかなかった。なのにお前はいつも俺に構ってくれたから。」

「いつも冷たいから独りよがりかと思ったわ…」

そういいクスッと笑うシノは愛らしかった。

サイドテーブルのランプで程よく照らされ暗くはあるがシノの顔が見えるのはなんだかロマンチックだ。

「それより、龍馬はんがさっきから話してくれてた死後の世界とかのやつ大丈夫なん?多分、それについて整理したくてうち泊まらせたんちゃうん?」

すっかり忘れていた。俺はこれをどうにかしなければならない。

「…今から話すことを聞いて頭のおかしいやつだとでもなんとでも思ってくれて構わない。おそらく俺はタイムリープしてる。7月8日を起点に。そしてその7月8日が人類が滅亡する日だったんだ。」

わかったようなわかっていないような顔でシノは俺にこう聞く。

「どないしてみんな死ぬん?」

「詳しくはわからない。ただ、空を埋め尽くすほどの大量の爆弾が落ちてくる。1発だけでも相当の威力のもの、おそらく核爆弾がたくさんだ。」

シノはなんとなく理解した、と言った顔になった。そうだな、例えるなら小学生が宇宙について教えてもらってやっと少し理解したかのような。

「なるほどな。それが本当ならうちらの命はあと一週間なんやな…でも、最後の日が来る前に龍馬はんと恋人になれてうれしいわ。」

そういう彼女を見て大人しく死ななくてよかったと心底思えた。

「ありがとう。誰かに話を聞いてもらえただけでも大分落ち着けた。それじゃあおやすみ。」

「おやすみ。」


翌朝起きるとシノはいなくなっていた。一瞬のぬか喜びというやつだったのだ。無論、世間一般で見て頭のおかしいやつと付き合うなんて物好きはいるわけがない。俺は、本当に一人になってしまったのだ。


ふう


大きな息を吐き、リビングへと行く。シノはそこにはいなかった。食器棚からマグカップを取り、お茶のパックを入れ、お湯を注いだ。朝茶は七里帰っても飲めというし、飲んでも損はないし美味しいし。そして俺はお茶を飲む。恥ずかしいことに少し涙が出てしまっていた。

そんな時、玄関のドアが開いた。

まさか、シノのやつ開けっ放しにして出て行ったのか…?この辺は最近治安が悪いから閉めろとあいつが来るたびに言っていたはずだ。

泥棒か?もし泥棒だったらどうする。

見様見真似で覚えた対人格闘技の構えをする。しかし俺はそれを習ったことがない。つまりレッサーパンダの威嚇のようなものだ。


タッタッタッ

足音が近づいてくる。

向こうが明確に見えないタイプの磨りガラスを使って作られたリビングのドアはそいつの影のみを映し出した。

ドアノブが動く。俺は二度目の死をここで覚悟した。

シノとは疎遠になり、泥棒が入ってきて挙句殺されるなんて最低すぎる結末だ。

そしてドアが開き俺は全身に力を入れる。やるしかないんだ。俺一人で。

入室と同時にそいつが声を発した。


「あら、やっぱり起きてはったん?」

「は?」

聞き馴染みのある声。

「どういうことだ?見限って逃げたんじゃねえのか?」

混乱している俺の頭にさらに混乱する情報が流れ込むのは毎度のお約束のようなものだ。

「いや、今日からここに住もうかな〜て思て荷物持ってきたんや。せっかく二人とも親無しやし同棲しても構へんやろ?」

何を言ってるかわからない反面、戻ってきてくれて嬉しいという感情。複雑すぎて自分の感情がよくわからない。

「一緒に住む?」

「いや、うちは構へんで?龍馬はんと一緒に住んでも。」

「それは言うとしたらこっちのセリフだ。」

「あ、それとゲームも持ってきたから今夜は一緒にやろ。どうせ明日はお休みやし。」

理解が追いつかない。

「じゃあ見限ったわけではないし泥棒でもないわけか?」

「見限ってないし泥棒でもあらへんで?というか、何を見限るんや?」

ああ、無駄に思考を巡らせてしまっていたようだ。妙に神経質になりすぎていたらしい。

「てか明日休みなのか。」

「学校の創立記念日やで。」

まさか俺が自分の学校の創立記念日すら覚えていなかったとは…


その後の二人で対戦ゲームをし、夜通しかけてシノに挑み続けた。しかし、生まれてこの方ゲームをほとんどしたことのない俺が勝てるわけもなく常に完膚なきまでにボコボコにされてしまった。

そして俺は泣きたくなった。勉強もできなくてゲームもできないでどうすればいいんだ。

そんな俺を察してか、シノは何度か負けてくれた。いつか俺はシノにゲーム勝たなきゃならねえ。そのためには死なれちゃ困る。こいつを救う理由がまた一つできた。


その後の日々は楽しかった思い出ばかりだ。シノに連れられ学校に行ったり、散歩をしたり、何日か学校をサボってみたり。いつも二人だった。

最後のに限ってはいつも通りだが、今までやらず嫌いや楽しくなかったことはシノといると全て楽しく感じた。俺は、幸せだ。この幸せを奪えるものは何一つない。きっとそうだろうと思っていた。


そして俺は忘れていた。というよりたかを括っていた。まだその日まで数日はあるだろうと。そうだな、例えるなら夏休みの小学生のような時間感覚だったのだ。楽しいことに溺れ、どんなに危機的であろうとそちらに逃げてしまうような。


目が覚め、サイドテーブルなんかは見なくなっていた。まだ寝ているシノの顔を見てリビングへ行き、何かしら簡単な朝食を作る。そして作り終わる頃にシノは起きる。

「おはよ〜今日は何する?」

「シノは何がしたい?」

「うちは海見に行きたい!」

相変わらずぶっ飛んでいる。突然そんなことを言い出すとは。と言っても今は夏。行ってみてもいいかもしれない。

「ああ、早速準備しよう。」

「あ、でも入りたくはないから水着とかは持ってかないで。」

入らねえのかよ。ただ、海を見たい気持ちはなんとなく分かる。自由の象徴のようなものだから。

「じゃあ早速行くか。」

そして俺らは簡易的に必要なものをリュックやらに詰めて出かけた。目的地は電車で1時間半ほどだ。家を出たのが…10時半過ぎくらいだったか?だから向こうに着く頃にはお昼ご飯の時間になっている。


「海なんて行くのいつぶりやろ…」

電車の中でシノがつぶやく

「俺も数年ぶりだ。」

「龍馬はんは海好き?」

「海は広いから自由を感じる。だから好きだ。」

「なら海に行くの正解やんね!」

そういい喜ぶシノを見てこっちまで嬉しくなる。


数多の駅を超えてやっとの思いで海が近くにある駅へと着いた。夏だからだろうか、人はだいぶ多い。

レンガで作られた道を進む。ちょっとした坂を抜けると、そこからは芝生と広大な海、澄み渡った空が顔を見せた。

この景色を、俺は生涯忘れないだろう。

「龍馬はんお腹すいてへん?途中の駅でサンドウィッチ買ってきたんやけどいる?」

そう言うシノに甘えて俺はそれをいただくことにした。

芝生の所々にあるベンチ。そこで海を眺めてのんびりとサンドウィッチを食べた。

ああ、俺はなんて幸せなのだろう。きっと俺はこの幸せのために生まれてきたんだ…


などと考えていると突然大きな地鳴りと揺れが襲ってきた。

地震か!?

「龍馬はん!大丈夫?」

ああ、と返したつもりだった。返せなかったのだが。

俺はなんて愚かだったんだろう。

幸せは俺をボケさせ、絶望が俺を現実へと引き戻す。

振り返り空を見ると向こうには大きなきのこ雲が佇んでいた。


…この短時間でまた忘れられねえ景色が増えた。


そして空を見る。前にもこんなの、見たっけな。


大量降り注いでくる鉄とエネルギーの塊。

一瞬ぽかんとしていた俺とシノだったが、先に目を覚ましたのはシノだった。

「龍馬はん!逃げなきゃ!龍馬はん!!」

そう泣き叫ぶシノは俺から意地でも離れない。おそらく共に逃げるつもりなのだろう。

「…ごめんな。」

そう言うことで精一杯だった。

しかし人間の生存本能はなかなかあなどれない。

「逃げるぞ!」

俺は抗おうとしていたのだ。無理だと分かっていても。無理だとかなんだとか関係ない。なんであろうと俺はただは抗う。



しかし、この世には無駄な抵抗というものがある。それをわかりやすい例えで言うのならば…

ああ、俺だ。


逃げている進行方向数メートル先にそいつは視界の外から現れた。


死ぬ前というのは見える景色がゆっくりになるらしい。そして俺はそれを体験した。

その鉄の塊は俺の目にはカタツムリほどの動きの速さに見えた。同時に己の動きも。

必死に向きを変えようとするがもう無理だ。変えられたとしても逃げられない。


諦めて俺はその鉄の塊を見た。無機物に表情や感情など存在しない。それは当たり前で、誰もが分かっているだろう。ただ、その瞬間。その一瞬に限って俺はそいつがまるで笑っているように見えた。

平和ボケしていた俺を。幸せがいつまでも続くと思っていた俺を。何も守れない俺を。この世界を。崩れ行く幸せを見て笑う悪役の如く。


絶望は俺を現実へ引き戻す。悲劇は繰り返す。


このひどい現実は…



いや、この嗤う悲劇は何度でも繰り返す。




なんて悪趣味な世界なんだろう。


その後、一瞬の灼熱の後に何を感じるまでもなく俺の体は…

いや、俺たちの体は跡形もなく消し去られてしまった。

俺は何もできなかった。

抗うことは愚か、少しでもこいつについて考えることすらも。

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