終わりの始まり

不思議な体験をした。なんてことは再確認しなくてもわかっている。先程まであったはずの店。

やっぱり俺も自殺というプレッシャーからの恐怖で幻覚を見ていたのか?

だがこの手にはしっかりと分厚いノートとペンがある。

何もわからない。わからないけど俺は何故か冷静だった。

その足で俺は帰路についた。

時刻は…6時20分。

家の前に不審者がいる。その不審者はこちらに気が付いたらしい。

「あ、龍馬はん。どこ行ってはったん?」

「早朝から何してるんだ。」

「いややな龍馬はん。明日行くていうたやん。」

「ああ、確かにそう言っていたな。ただ、来るなと言ったし、第一今6時だぞお前。」

そう言ってもシノはいつも通り腑抜けた少し可愛らしい顔でこう言った。

「でも朝から明日まで一緒に入れて嬉しいやろ?」

明日の…なんて言った?こいつ明日までいる気か?

「お前、今日泊まってく気か?」

「もちろんやけど?」

まるで当たり前のことを聞かれたかのように、そうだな。1+1は2だよね?のように当たり前のことを聞かれたかのような面をしてそう言いやがった。

「いや、泊まらせないからな。」

「それは後ででええけど朝っぱらから眠いから上がらせてくれへん?」

本当に面倒で厄介なやつだ。



ただ、事実を話してしまえば俺はシノに好意がある。俺だって人間だ。主観的に言えば人の好き嫌いだって存在する。正直、容姿だけの話をすれば俺の好みにストライクだし、こんなに話しかけてくれるシノに好意を持たない方がおかしい。ただ、厄介なのも事実だ。


「お邪魔しまーす。おおー。龍馬はんのおうちはやっぱおっきくて綺麗やなあ。」

「はいはいどうも。」

両親が残していったこの家は、かつて両親と俺で住んでいても使いこなせなかったほどでかい。

そんな家を一人が使いこなせるわけもなく、俺が実際に使っている部屋は少し広くて一人では寂しいリビングと、かつても今も俺の部屋として使っている部屋だけだ。それ故に使われていない部屋が多すぎて把握できないほどだ。


「龍馬はん、ベッド借りてええ?」

こいつのペースにはついていけない。

「来客用の布団をだす。少し待っててくれ。」

「えー、いけず…」


そうしてふとんがしまわれているであろう両親の部屋へ入った。ここに来るのは数ヶ月ぶりだ。多分数ヶ月前もシノの押し入り宿泊で布団を出すために来たはずだ。

部屋は酷くカビ臭く、湿気ている様子だった。そして埃がすごい。多分、某人類最強の男がこれを見たら激怒して殺しにかかってくるくらいには汚い。

布団が入っているのは奥の襖のはずだ。襖に手をかけると部屋の外からタッタッタッと一定のリズムを刻む音が聞こえた。

両親の部屋はリビングと俺の部屋をつなぐ廊下に存在している。

つまり、この音が示す事実はただ一つしかない。

「はあ…」

べつに部屋に行って欲しくないわけではないが、布団出してるんだから…

改めて両親の部屋を見渡す。カーテンの隙間から入ってくる太陽の光はまるでマーカーで引いたかのように見事な直線を描いている。埃が飛び、光に照らされてキラキラと輝いている。

そんな景色をぼーっと眺めているとふと思い出す。


俺明日死ぬのか…

明日とはいつなのだろうか。まさか小学生ではあるまいし「はい0時だよ死ね」ってことはないだろう…

明日のいつか?死ぬことはもうどうでもいい…と言ったら嘘になるが、いつ死ぬのかは気になる。

「りょーまはーん。」

と呼ぶ声で我に帰った。シノはもう部屋にいるんだった。


部屋に着くとシノはすでにベッドに寝転がっていた。

「いい匂いするわ〜」

「んなわけねえだろバカが。」

「龍馬はんもおいでや、めっちゃぬくいで。」

とりあえずベッドの淵に腰掛けた。

また周りを見渡す。どうやら俺は死を前にして周辺の日常が恋しくなってしまっているらしい。自殺を考えていた俺がだ。

周りを見渡すといつもと変わらない景色。普通のクローゼット、普通の椅子、机、そして普通ではないノートとペン。

「おい、信乃。」

何を思い立ったのか。自分の形見としてか。ゴミを押し付けたいが故か。

「このノートとペンやるよ。」

「なんやぶっといノートやなあ。どんなものでも龍馬はんからもらえるならなんでも嬉しいわ〜ありがとう。」

バサッと飛び起きシノはそいつを受け取った。まじまじと見つめてこう言った。

「ちょいと机借りるな。龍馬はんこっち見んといてな。」

そう言われてしまった俺はベッドに寝っ転がり天井を見上げた。

白の、よくあるぼこぼこしてる天井。見ていて楽しくないがシンプルな構造故に思考は捗る。何かを深く考えるときはいつもこうしている。

そうして考えているといつのまにか隣にシノが潜り込んでいた。

「知り合いとして、こんなことはどうかと思うが。」

「ええやん〜だって幼稚園の頃は女の子隣に寝ててもどうも思わへんかったやろ?うちはまだ幼稚園児気分なんや。」

ハア…

「知るかよ。それより朝食は何が食いたい?」


返事はない。

隣を見るとシノのまぶたはもう落ちていた。無理して早起きしてきたのだろう。

俺も少しだけ寝るか。



この日のことはきっといつになっても忘れないだろう。相当疲れていたのか、目が覚めたら20時を回っていた。

シノは隣でこちらを見ていた。

「何見てるんだ。何か楽しかったか?」

「いや〜寝顔がかわいいなっておもて。」

少しニヤッとしながらそう言うシノを俺は叩きたくなった。

「さ、起きたことやしお夕飯食べよ。」

「今から作るんだよ。大人しくしてろ。」

「もう作ってあんで。」

よく匂いを嗅いでみると仄かにカレーの匂いがした。

カレーなんて店以外で食うのは久しぶりだ。

「申し訳ねえ。ありがとう。」

「龍馬はんのためやもん。」

上体を起こし、少し伸びてから大きな欠伸をした。そしてベッドから出た。

夏でもフローリングはひんやりと冷たい。

「そういえば龍馬はんはお誕生日いつやっけ?」

リビングに向かいながらシノが聞いてくる。

「7月の9日だ。」

「あら、じゃあもう二日後やんなあ」

もう7月の一周目が終わりかけてるらしい。

また、俺は歳をとるのか。

というかもう歳をとるまで生きてないけど。

そんなふうに考えていると眩しい光に包まれるリビングに着いた。

「お口にあったらええんやけども。」

見た目も匂いもその辺のカレー屋に引けを取らないくらい良い。

俺は食べ物において味より匂いが大事だと思っているその次に見た目、そして味だ。

そんなこだわりがある俺にとってこのカレーは至高そのものだ。

「さあ、召し上がってくりゃしゃんせ。」

「いただきます。」


「あ、うまい。」

気の抜けた声でそういう。

「お口にあったようでよかったわ~それにしてもほんにおいしそうに食べてはるなあ。」

冗談抜きで本当においしい。久々に誰かが俺のために作ったものを食べた。いつもコンビニで買った食い物で済ませていた分もあるのだろうがすごくおいしく感じる。くだらないほど些細な幸せだけど、こいつがもっと早く来ててくれれば自殺も考えなかったし明日死ぬって運命も知らなければそんなものなかったかもしれない。知らなければそんな運命にもおとなしく従えた。抗おうなんて一瞬でも思わなかった。

そう、抗おうなんてことを考えてしまうほどに幸せだった。

こんな幸せすら今までなかったのかと悲しくなってきた。

「本当においしいよ。」

「そんなに言いはるん?うれしいわあ~」

 

カレーはあっという間に食べ終わった。自分でも恥ずかしいくらいがっついていたのだろう。

その後は特にこれといって特別なことはしなかった。ただ少し話したり、風呂に入ったり、シノが入っているときは一人で音楽を聴いていたり。

二人とも朝から晩まで寝ていたせいか夜はなかなか寝付けないでいた。


「なんでお前はまた同じ布団にいるんだ。」

「えー、ええやないか龍馬はん。さっきも一緒に寝てたやろ?」

「もう布団も出したしそっちで寝ろ。」

「いやや~一緒がええもん。」

しぶしぶ一緒の布団で寝ることになったが、十分に寝た後だからか、やはりお互いなかなか寝付けなかった。

「…龍馬はんって何が好きなん?」

「特に。」

「うちは天文学が好きなんよ。昔お父さんがいっぱい教えてくれはって、本当に大好きなんや。」

「そうか。」

「ちょけてるわけとちゃうけど、明日死ぬとか明日世界が終わるてなったら、前日は星空をぼーっと眺めていたいなあってくらいすきなんや。」

「…そうか。」

俺は明日死ぬ。こいつに本当に明日死ぬやつの気持ちはわからないだろう。きっと、あいつも同じ立場になったらそんなことは言えなくなる。

ただ…


「二階のベランダ少し広いし、そっから見に行こうぜ。」

そんな物思いに更けてもいいかもしれない。

「ほんまに!?一緒に見たい!はよいこ!」

バサッと起き上がったシノは俺の手を引いて暗闇の中階段をたんたんと昇って行った。

「ベランダってどのお部屋からいけるん?」

「右の突き当りの部屋からだ。」

スキップしてシノはそこへと向かった。部屋の扉を開けると、月明かりによって部屋は明るく照らされていた。

シノは突然手を離したかと思うと一目散に窓へと向かっていった。

「すごい…田舎やからか…めっちゃ…」

言葉を失っているのか、まるでしどろもどろのようになっている。

月明かりに照らされているシノはいつもより幾分かかわいらしく見えた。

空を見上げてきらきらと輝かせている瞳、本当に感動しているのか少し開いている口、雪すら見劣るほど白い肌にきれいに整っている長い黒髪が月明かりでさらにきれいに見える。おそらくサテンでできているチェリー模様のパジャマも特有の輝きが放たれている。

「きれい…」

「そうだな。」

今の俺がきれいに見えているのはお前だが、なんて臭い小夜曲のようなセリフは恥ずかしくて到底言えたものじゃない。

「外出てもええか?」

「もちろんだ。」

俺も続いて外へ出た。

空は、あまりにもきれいだった。田舎だからといっても異常なくらい、美しかった。

そう、例えるならばあまりにも画質の良すぎるプラネタリウムのような、まるでフェイクかの如くに美しすぎた。

「あ!龍馬はん。あれがデネブで、こっちがアルタイル…さそり座の赤い目玉のアンタレスもあるわ!」

綺麗すぎた。死の前に見るにしては十分すぎるほどに美しい。シノの話も全く耳に入ってこない。

「信乃、ありがとう。」

「へ?別にええんよ。それより、もう少し一緒に眺めたいんやけど…ええか?」

「ああかまわない。」

そうして、おそらく何時間か空を眺めた。実際は数分だったのかもしれないが、部屋を出るときに時間を確認してこなかったのと、今までに見たことのない圧巻の景色の前で時間を気にする余裕がなかった。シノが満足してそろそろ戻ろうと言ってやっと我に返った。


部屋につき、時計を見ると時刻は三時を回っていた。

「ふぁ…」

シノが欠伸をする。つられて俺も欠伸が出てしまった。それが火ぶたを切ったのかどっと眠気が押し寄せてきた。シノも同じようだ。

「おやすみ」

お互い言葉を交わして意識は闇の中に消えていった。



仕方ないことだろう。目が覚めたのが昼だったのは。

「やば」

洗面台へ行き歯ブラシを手に取る。顔を洗い、歯ブラシに歯磨き粉をつける。

ある程度満足するまで磨いたら口を濯いでリビングへと向かった

「おはよう龍馬はん。」

猫が描かれているマグカップで紅茶を飲みながらテレビを見ているシノがいた。

「何の番組を見てるんだ?」

「ただのニュースやよ。興味深いものがないかどうか気になって。」

その瞬間だった。


プツン


テレビが一瞬暗転し、再びついたが、様子がおかしい。


まるで一昔前のカラーテレビのような粗い画面だ。

「へ?」


流れてきたのは不気味な映像と音質の悪い蛍の光のような音楽だ。


「これって…日本国尊厳維持局…みたいな。なんやこんなの昼間から質の悪いイタズラか、テレビの乗っ取り?」

都市伝説やら事件系やらが好きなだろう、そう例えたシノは何かに気づいた。

俺もおそらく同じものに気が付いた。

ただ、言葉にしたのはシノのほうだった。


「世界規模崩壊緊急事態、再重篤絶望的危機宣言…?」


それはおそらくこの番組のタイトルのようなものなのだろうか。


そして画面が変わった。


その画面の文字を青白く血の気の引いた顔をしたシノは読み続けた。


「このメッセージが放送されるのは世界規模で崩壊してしまうことが決定し、その危機がほんの数十秒後に控えている事態のみです。」


気味の悪い音楽と映像は流れ続ける。


「人為的また自然的に人類の滅亡、生物の死滅、文明の崩壊が数秒後に確定しているのです。」


シノは文字を理解できていない。故に読み上げることで理解しようとしているのだろう。ただ、顔を見る限りダメそうだ。


「皆さんの死後の幸福を。我々の魂までは崩壊することはないでしょう。」


不気味なテレビジャックだ。そんなイタズラでおびえてるシノに大丈夫だと伝えようとした瞬間だった。


文字にしづらいような轟音が何回も、何回も響き、体に伝う焦熱感、ふっ飛ばされる感覚があったのは。


何かをすることも、何かを言うことも、この運命を理解することすら許されなかった。


そしてありえないような速さで俺だったものは壁にぶつけられ、意識はすぐさま混沌の闇の中に消え去った。




目覚めたくなかった。そのまま寝かしてほしかった。

体の感覚はなかった。動くのは視界だけだった。とりあえず周りを見渡した。


世界の終わり、まるでラグナロクだ。比喩表現なんかではない。炎に包まれ、何もかも崩れ、本当に跡形もない。人らしきものすら見えない。

これをどう表すべきか。

終わりの始まりってのがちょうど今のことなのだろう。


ふと足元…正確に言えば足だったもの。溶けているのかそもそもがなくなっているのか。足だったもののほうを見た。


なにかがある。

何なのかはわからない。

いや多分わかってはいた。ぐちょぐちょとした何か。肉片、肉塊、こんな表現が適切であろうものだ。


それはきっとシノだ。

最後の瞬間まであいつはわざわざ俺の近くにくっついていたはずだ。

わかっている。ただ、理解しがたいだけだ。この現実が。


もし俺の体がきっちりあれば、顔があれば、ほかの何かさえあれば俺は今泣いているだろう。今じゃ考えることすらままならないが。


そしてまた一つ新たなものが見えた。

一つ、ではなかったが。

俺の視界に大きく主張してきたのはその一つの鉄の塊だった。


終わりの始まりが訪れたのだ。


そいつは俺の視界に写る範囲に落ちてきた。


きっと轟音が響いたのだろう。ただ、俺がそれを聞くことはなかった。


俺の意識は再び闇へと葬られた。


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