Special Episode 1-2 私の気持ちに気付いてた?
すぐに瑠理香の母親を連れた将太郎が戻ってくる。ドアが開いたその瞬間から既に弾んでいる声がリビングへ聞こえてきた。
焦る気持ちを抑えて待っていると笑顔の花が咲きこぼれている母親が手荷物を持って入ってくる。そして瑠理香を見つけると彼に一旦それを預けて一直線に向かい抱きしめた。
「瑠璃ちゃん、会いたかったよー!」
「ちょ、ちょっとお母さん恥ずかしいからやめてっ!」
「ふふっ、思ってた通りの反応が見れたから大成功。頬赤くしちゃってそんなに仲良しなところ見られるの嫌なの?」
「嫌っていうか、こんなこと今までしたことないでしょ。それに母親が娘にはしゃいでるところなんて誰も知り合いに見られたくないに決まってるじゃん」
無理矢理引き離すと彼の元に寄って母親が持ってきてくれた袋の中身を覗く。なかには恐らく今日調理されるであろう食材が詰まっていた。見るからに高級そうなお肉につい喉を鳴らしてしまう。
これまで貧相な食事をしていたことなどないがここまであからさまなものも殆ど食べていない。
それは将太郎が彼女に稼ぎが出たとき贅沢を当たり前と認識しないよう、常日頃から共にスーパーで買い物をして帳簿をつけ、一ヶ月に消費する食費代を覚えさせているからである。
まだデビュー前ということもあり、外に出ること自体は制限されていないので今のうちにしかできないことだ。
「お母さんすみません、こんな良いもの持ってきてくださって」
「気にしないで。将太郎さんには毎日美味しい料理を作ってもらってるって、瑠理香から聞かされていたからその恩返しよ」
「なに言ってるの! 私そんなこと話した覚えないんだけど!」
「そうだったかしら。ああそうだわ、たしか二月にお誕生日が来るっていう将太郎さんのために、大人の男性がもらって嬉しがるものを教えてほしいって先月聞いてきたから、それぐらい良好な関係を築ける親切な方に感謝の意を込めてのものだったわ」
「は、はあ……なんにせよ本当にありがとうございます。今日、夕食はここで食べていかれるとお聞きしていましたからそのときにでも焼きましょうか。ちょうど三人分ありますし」
盛大にからかわれ、事実を漏らされてしまった瑠理香は母親を止めても意味がないと理解して将太郎に全て嘘だと思わせる方向に切り替える。
食材を冷蔵庫にしまっていく彼の手伝いをしながら耳打ちした。
わかってるから大丈夫だよと返す彼にひとまず安心するとともに、背後から嫌な視線を感じて見てみるとニヤついた笑みを浮かべる母親がこちらを見ている。
眉を寄せてやめるよう訴えても本当にわかってくれたのか判断しがたい態度でいるので、今日はもうこれ以上気にしても疲れるだけだと彼女は諦めることにした。
それから三人でこたつを囲み、温かさに緩くなっていく姿勢のまませっかくなので話をする。
「お母さんはどうして私に連絡くれなかったの?」
「どうしてって言われても、初めはここに来る予定じゃなかったからよ」
「それって八倉さんと二人でどこか行こうとしていたっていうこと?」
娘が彼のことを八倉さんと呼んでいることにまだまだなのかと察した母はなにか勘違いしていそうな質問を面白がり、意地悪してやろうとこんな言葉を返した。
「そうよ。二人きりで大事な話をしようとしていたの」
「なにそれ」
「なにって言われても大事なことって言ったでしょ。瑠理香だからってそう簡単に話せないこともあるのよ、大人にはね」
いつもならそんな嫌味たらしい言い方をしないからこそ、これはハッタリだと思いたい瑠理香であるが、もしもの可能性を捨てきることができずどうしてもその内容が知りたくて仕方ない。
ここでも矛先を彼に向ける。
「八倉さんはなに話そうとしてたの?」
「うーん、主にこれからのことかな。やっぱりお母さんとは距離が遠いから寂しくならないようにって提案されてね」
「なんで八倉さんが寂しくなるんですか!」
「ん? 何言ってるんだい、瑠理香さんは。全部君のことを話していたんだけど。
お母さんが仰っていた大事な話っていうのは君の進路のことだったり、この仕事に就いた後のサポートであったり親御さんとしてどうしても心配だから事務所側がどう考えているのか教えてほしい。そう言われたらこちらとしても誠実に対応して信頼を得ないといけないからね」
「あー、はー、なるほど……」
結局全て手のひらの上で踊らされていたと悟り、徐々に頬を赤らめていく。ここまで来たらもっと知りたかったことを聞き出してやろうと早口でまくしたて始めた。
「じゃあ、どうしてお母さんは将太郎さんって呼んでるの?」
「それは若くて格好良い人だから」
「まさかの本音! お父さん悲しむよ!」
「今出張中で家にいないからいいんじゃない? そもそも私のこと頼むなんてふざけたこと言ったのあの人だし」
「お父さん!? ていうかいつのまに八倉さんそこまで知り合ってるんですか」
「何回か連絡とりあっていたときに偶然ね。僕には到底届かないぐらいスポーツマンていうか、身体が大きな方ですごく安心感がありそうだなって思ったなー」
なんなのこの人達……といった表情で疲れるからもういいやと寝転がって拗ねたみたいに母親に背を向ける。
さすがにやりすぎたかしらと将太郎に言葉をかけるよう目配せする母。
苦笑を浮かべながら彼は頷いて立ち上がり、冷蔵庫から今日の為に買っておいた瑠理香の大好物であるケーキを取り出してきた。
「ほらっ、瑠理香さんこれ食べようよ」
「……今はいい」
「そんなこと言わずにさ、いろいろ種類が多くて決めきれずにたくさん買ったから好きなの選べるよ。それに瑠理香さんが幸せそうに食べてくれている表情が凄く好きで、喜んでもらえるかなって思ってここのケーキにしたから皆で一緒に食べよ」
「……お母さん、それ本当?」
「さあ、どうなんだろうね。今日ここに来るまで将太郎さんと会ってないのは瑠理香が一番知っていると思うけど」
それもそうかとなった彼女は先の言葉に意識が持っていかれる。
私の表情が好きと言ってくれた。毎日彼が楽しそうに料理してくれているからこそ、この言葉がその原動力になっているのかもと考えるだけで高揚した。
もしかしたら時折ちらと私の顔を見て微笑んでくれていたのかもしれない。お皿洗いをしながら、私に気付かれないよう喜びをかみしめてくれていたのかもしれない。
全て都合の良い妄想に過ぎないが初々しい瑠理香の気持ちを高ぶらせるにはそれで十分だ。
「せ、せっかく買ってきてくれたし、そんなふうに言ってもらえるなら食べようかな」
「ありがとう」
ニコッと嫌な感情がひとつも見当たらない満面の笑み。
それを見た瞬間、瑠理香のなかで確かに揺れ動かされるものがあった。これまで迷っていた感情にカチッとレールが敷かれ、一直線に伸びている。
「将太郎さん、こんな気分屋な娘ですけどこれからもよろしくお願いしますね」
「お母さんうるさい」
「ははっ、まあ、いいんじゃないですか。まだ誰かに見守ってもらわないと生きていけない年齢ですし、僕にもこういう時期はありましたし。もちろん託されたからには何があっても瑠理香さんの身に傷ひとつつけないよう傍にいるつもりです」
「あら、頼もしいわね」
母親と将太郎は談笑を続けている。
そんななか瑠理香はただ一点、彼の穢れない瞳を見つめていた。
こんな自分のことを思ってくれる人を逃しちゃいけない。そんなふうに思えて疑わず、胸のなかにいる愛情を持った瑠理香が先程現れたレールに沿って一歩踏み出したのだった。
Fin
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