Episode 13 作戦実行

 瑠璃香は身バレ防止のためにタクシーを駐車場で止めてもらう。今は将太郎が車を使っているのでそのスペースを使えば迷惑は掛からない。


 その様子を遠くから気配を消して覗いている男が一人。車内で支払いを終えた彼女が出ていくタクシーに律儀に頭を下げて周囲の警戒が甘くなったとき、物陰からすっと姿を現して近寄っていく。


「あっ、こんばんは」


 彼から挨拶は怠らないよう言われてきた彼女は相手がこれから自分を恐怖の底へと誘おうとする男とは露知らず声をかけた。


 当然返事はない。

 顔の知らぬ男を纏う奇妙な空気に彼女は数歩後退り。

 逃げやすいようエレベーターとは反対側から詰める男はわざとらしく足音を大きく響かせ恐怖心を煽る。ただ彼女の瞳一点を見つめる合わせ技で追い討ちだ。


 速く脈打っていることを感じながら彼女はまんまとエレベーターへ案内されるように早足で向かってしまう。咄嗟の判断で肩にかけていたエコバッグはその場に置かれたまま。

 男が多少距離を縮められるような速さで後を追いかけていくと彼女は走りだす。

 追う側と追われる側では心境が全く違う。ゆえに男は彼女がどのような行動を取ろうと冷静に自分がすべきことを判断してアクションを起こすことができているのだ。


「はぁ、はぁ」


 不思議なものだ。

 人間は極度の恐怖心を抱くとストレスによって思ったように言葉がうまく出てこない。今すぐにでも大声を出せば誰かは応えてくれるかもしれないのに。


 瑠璃香に奇跡と思わせるよう止めておいたエレベーターにようやく着いた。

 ボタンを何度も押して開いたドアに素早く入ろうとする姿が鬼から逃げる子供みたいで可愛らしい。


 彼女はなかに入るや否やしめると書かれたボタンを焦りから連打する。

 どんどん近付いてくる足音に早く閉まってと願う彼女の思いは届いたようで姿が見える前にドアは動き始めた。

 すぐに部屋の鍵を開けてなかに閉じこもろうとバッグを漁ろうと目を離したその刹那。


「ひっ!」


 閉まりきったドアの前でただこちらを睨むように見ている男の顔をはっきりと確認してやっと声が漏れた。

 あとすこしタイミングが遅ければと考えるだけで鳥肌が立ち彼女のメンタルは大きく削られていく。

 誰かに助けを求めないといけないとそこでようやく思考が回り始めスマホを取り出して彼に電話をかける。

 いつもならなんてことないコール音が気を揉ませて早く出て欲しいという思いで胸がいっぱいになってしまう。どうして出ないのとイライラもする。


「あーもうっ!」


 一旦この選択肢はなしにして次は社長に連絡しようとしたところでもうすぐ目的の階につきそうになり先程手に持つことが出来なかった鍵をギュッと握りしめた。

 ドアが開いても周囲に男の姿はない。隣を見た彼女はロビーから使用可能なエレベーターが上がってきていることに気が付き、すぐに部屋に向かって走り出した。しかし、その途中焦りから足がもつれて廊下に転び鍵を落としてしまう。

 それと同時にこの階で止まった音が後ろから聞こえてきた。

 急いで鍵を拾い上げ擦りむいた膝の痛みを我慢しながら必死に部屋の前まで辿り着く。

 男が廊下の先に見え始めた。

 どうして二段階認証のマンションなのと内心不満をぶちまけながら番号を入力した後鍵をぶっさす。だがなんとか間に合ったと僅かな安堵が生まれたのが罠だった。

 男はまだ逃すわけにはいかないと全速力で走りギリギリのところで足を挟ませることに成功。


「もう、やめてっ!」


 怒りが頂点に達したであろう瑠璃香はドアを押してきた。久しぶりに走ったせいで息切れが激しくておもむろに顔をぶつけてしまう。ご褒美にしては痛すぎる。


 鼻に衝撃を受けた男は一旦離れて隙を生ませることで無事彼女一人を部屋に閉じ込める状況を作りだした。

 鍵を閉めてリビングのドア周りを固めその奥に身を潜めて再度彼に連絡を入れる。こういうとき一番信頼に値する人間を頼ろうとしてしまうのも心情なのだろう。

 今度はすぐに繋がった。


「もしも──」

「助けてっ! お願い、将太郎さん!」

「ど、どうしたんだい?」

「今知らない人に会って、駐車場で追いかけられて、それでそれで」


 あまりにも動揺したような声から彼女のことを疑わずに将太郎は必要な情報を聞こうとする。


「今、家にいるんだね?」

「うん」

「知らない人は一人?」

「多分」

「わかった。すぐ向かうから待ってて」

「お願い、早く来て。怖いよ…………」


 仲良く外食していた彼は通話を切るなり未だ状況を飲み込み切れていない友理にいくつか言葉を残す。


「友理さん、申し訳ないんだけど今から瑠璃のとこ向かうから帰りはタクシー拾って帰ってもらうね。お金はこれ、置いてくから」

「えっ、あっ」

「あと社長に僕が瑠璃の家に来るように言っていたって伝えておいて」

「は、はあ」

「頼んだよ!」


 そのまま店を出た彼はすぐに車に乗り込みエンジンをかけアクセルを踏み込んだ。

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