Episode 11 温かい空間をいつまでも······
まだ日の昇っていない朝。
八倉は外の寒さに目を覚まそうという気を削がれながらのそのそと起き上がる。顔を洗おうと部屋を出ればリビングから物音がした。
一応警戒はしつつ部屋の入口から声をかける。
「友理さん、もう起きてるんだ」
しかし、返事はない。
知らぬ間に昨日尾行でもされていたかと焦った彼は部屋から護身用に渡されている竹刀を持ち静かに距離を詰める。そしてドアを開けると同時に叫んだ。
「誰だっ!」
「きゃっ!」
そこにはエプロン姿の友理がいた。驚きのあまり腰を抜かしてしまっている。
「あ、あれ? 友理さんしかいない?」
「は、はい……えと、そんなもの持ってどうされたんですか?」
「あ、あー、いや、一応名前呼んだんだけど返事なかったからさ。見た感じだとイヤホンしてて聞こえなかっただけっぽいね」
「ご、ごめんなさい。全然気づかなかったです。そうですよね、二人で住んでるんですもんね。心配させちゃいましたよね」
これまで実家暮らしだった友理にとってはごく普通の生活通りなのだが今は環境が違う。ついいつもの癖が出てしまったということだ。
それにキッチンに置かれていたスマホの画面には料理動画の映像が流れている。これまであまり多くの経験をしてこなかったがために成功させようと集中していた部分もあった。
「あ、あの……八倉さん起こしてもらってもいいですかね?」
「ごめんごめん」
「ありがとうございます」
「朝食楽しみにしてるね」
「はい!」
それからは苦戦しながら必死に頑張る後ろ姿を彼が見守る光景が続いた。
ちなみに味は食べられないほどではなかったようだ。
◇◇◇◇◇◇
約束を取り付けご機嫌で起床してきた瑠璃香は今日も花に水を与えてくれて陽気に朝食の準備をしている。
鼻歌交じりに冷蔵庫から食材を取り出す姿が可愛らしい。
「そうだ、明日の分買いに行かなきゃだなー」
そこで明日くる友理のことを何も知らない彼女は何を用意すれば良いのか悩む。彼だけならともかく、好き嫌いの分からない人間だ。それに自分より年下の。
昨夜聞いておけば良かったと後悔するも既に遅い。ただ、これは必ずダメだというものがあれが彼が教えてくれただろうと信頼からくる推測で無難なものを作ることにした。
女の子とはいえせっかくの機会だ。ヘルシー料理なんか作っても仕方ない。ここは先輩としてしっかりお金を使って贅沢させてあげようと決める。
「ちょっと出かけていいお肉買いに行こう。お昼すぎて五時くらいでいっか」
スマホのスケジュールにメモして忘れないようにした。それからちゃちゃっと朝食を作り食べ終えて部屋に戻る。
次に出す曲の幾度目かの打ち合わせがこの後あるからだ。彼女自身ももし彼が社長と話を付けたとしても、自分の仕事が無くなる覚悟で今回の曲にはより一層の力を込めている。
もちろんその後ネット活動に戻れば歌を歌い続けることは可能だが思いが違う。あくまでネットの人となる前に世に出しておきたかった唯一の歌。幾度も詞を書き直して思い入れのある歌。
彼と歩んできた軌跡を表現した恋愛ソング。
初めは彼に言ったように抑えきれない気持ちの捌け口でしかなかったが次第にこの歌を世に知ってもらいたいと思うようになっていた。
一人の女の子がどうしても越えられないと思っていた壁をよじ登ってでも越えようと頑張っていることを応援して欲しくて。ファンの力を貸して欲しくて。
「ラスサビでやっと想いを打ち明けられるような感じがいいんですよね。弾けるような。やっと言えたっていうかやっと言うことが許されたみたいな」
オンライン会議で着実に話は進んでいく。ネット活動の時からの癖で下手に顔を知る人間を増やしたくなかった彼女はこの方法を取り入れていた。
「はい、そういう流れで行こうかなと思ってます。歌詞はこの前お送りしたものをすこし修正したのでまた送り直します。すみません、お手数お掛けして。では、その他の変更点はなしということで今日のところはありがとうございました。またお願いします」
実に充実した話し合いを終えて一息。
あとは彼が上手くことを運べると信じて待つ。そこに自分がうまく介入できればいいのだが、余計なことをして逆に邪魔になってしまっては意味がないと彼女は初めから口を出さないと決めていた。
再度リビングに戻ってきた瑠璃香。時刻は正午を迎える頃。
太陽の光が今の時期には暖かくて窓際でゆっくりと、座りながら日に当たる。
出掛けるまではあと五時間。少し長い。
少々して立ち上がった瑠璃香は大好きな紅茶と昨日買っておいたチーズケーキを用意して軽い昼食タイムだ。
一口食べて幸せそうに頬を緩ませている。どういうケーキにどの種類の紅茶が合うのかなんて知識のない人間からすれば分かりようのないものだが瑠璃香の表情を見るからに相性がいいことだけは分かる。
そうして至福の一時を終えた瑠璃香は明日のために掃除を始めたのだった。
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