Episode 5 カウントダウン
今朝はリビングに一人、将太郎は食べ終えた皿を片付けて出勤の支度をちょうど済ませたところ。
家を出るまで瑠璃香は起きてこなかった。
二人が同棲という形を取っていることは芸能記者やファンにも当然通知済みだ。だからといって下手に周囲を気にする素振りをせずにすむという訳ではなく、住所がファンに知られてしまっては意味がない。
下から顔を視認されるわけにはいかないので高層マンションに部屋を借りているうえに会社に向かうにも事務所に用意してもらった車を使っている。
これら全ては事務所の方針であり一度ミスをしているだけにここの配慮は体裁として良くなった。他にも見慣れた道のりを毎日行くことはなく彼の気分に任せられてはいるが事務所までの経路を定期的に変えるように決められている。
「今日はちょっと早めに行くか」
仕事終わりに会わせて貰えるとしても今日の印象というのは多少なり話の進行に影響する。
先程の規約のため出勤時間は一時間の範囲が設けられており、その間であればいつ出勤しても構わない。ただ早ければ早いほど仕事量も多くなるというわけだ。ちなみに顔を売るための挨拶等が必要なタレントは後部座席に乗って外から中が見えにくいようにした上で一緒に事務所まで行くこともある。
それは今の二人には関係ないとして、彼は基本的に仕事にも同棲にも前向きで社長からは重宝され気に入られてる節がある。
年齢的にもまだ若く家事能力やコミュニケーション能力にも長けており、新しい芽となる子たちとも仲良くなれる素質が高い。現に研修を終えたのち初めて担当となった彼女が大当たりしているのだから雇用主としては離したくない存在だ。
「今日は次に担当して欲しいって言われた子の資料見ないといけないのに、瑠璃香のことで時間を取るっていうのはあんまり嬉しく思われないだろうな」
そもそも一ヶ月もしないうちに担当が外れる彼は既に彼女に関わる仕事の殆どをしていない。新たに担当となる予定の先輩に情報をまとめた資料を渡して今はそちらに任せているという状況だ。
デビュー前の子との同棲を任せられることがこの事務所においては一番美味しいコースなのだが必要なスキルが多いため人手が少なく、すぐに別の子の担当となるのは不思議な話ではない。そのため引き継ぎ作業もトラブルがないよう完成されたマニュアルに沿って行われる。
つまり、引き継ぎ作業が終了し次の担当を迎えなければならないこの時期というのは同棲役を担う彼にとっても会社にとっても一番大事な時期なのだ。新しい存在を探すという意味でも同様に間違えられない。
そんななかで現同棲者とのことで話があると言われれば社長側からすればなにか大事でもあったのかと不安になる。二度目のミスはもう許されないことを承知しているからだ。
「まあでも、この前の連絡の意味はこうなることを見越してのことだったんだろうな。僕の知らない間にいろいろと話してたみたいだし」
そういうふうに考えを変えて気負いすぎてた部分を楽にする。緊張のあまり時間はあるというのに体のバランスがおかしくて気持ち悪い。
ハンドルを握る手に必要以上に力が入ってしまったり、椅子に深く座りすぎていたりなにかこれまでの日常と違う部分が気になって仕方なくなってしまう。
そんな感覚を意識しないよう彼は車内に音楽をかけアクセルをいつもより少しだけ強く踏んだ。
◇◇◇◇◇
三十分ドライブしても普段より早く事務所のあるビルの駐車場に着いた。朝早く家を出過ぎたせいだろう。
車を降りてなかに入りエレベーターで十階に上がる。社員証を読み込ませてフロアの扉を開ければ仕事の始まりだ。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
入ってすぐコーヒーを片手に持った事務所の先輩が通り過ぎていった。別の担当もこの時期は当然忙しい。新しく頭に入れなければならないことは多いし、動かないといけないことも多いしで皆いっぱいいっぱいだ。
だからこそこの朝の時間というのは各々のフリーな時間として寛いでいる人が散見される。
「ああ、そうだ将太郎。もうすぐ次の子世話しに行くだろ?」
「そうですね」
用事を思い出した先輩がデスクから話しかける。
「社長から資料預かっておいたから持ってけ」
「ありがとうございます」
「今度は高校卒業した子だってな。お嬢様高のまあ、またなんとも可愛らしい子だよ」
渡された封筒から紙を取り出してページをめくる。彼は貼られた証明写真からでも伝わってくる透明感に驚いた。穢れのないといったほうが正しいのかもしれないが。
とにかくこういうタイプは猫を被っている可能性が高いと教えられているため、彼はもしこのまま担当することになれば面倒になりそうだと朝から気が参りそうになっている。
「あと、もうひとつこれは俺らにとっても悲しいお知らせなんだけどな」
そう言って先輩は近付くよう手で招く。
今はなんでも気になってしまう彼は誘われるがままに耳を寄せた。
「社長、いつもよりなんかイライラしてたから気をつけろよ」
「本当ですか?」
「ああ、何が原因かは知らねぇけどあの人って顔に出やすいからさ。しかめっ面だったぞ」
恐らくだが原因を一方的に理解している彼はハハと苦笑いしてその場を去った。
自分のデスクに着いてからカバンを置いて最悪だと俯く彼は誰がどう見ても責任は自分にあると白状しているようで、先輩も彼にまとっている負のオーラに同情して目を逸らすほど。
事実を確認しようにも今は事務所に社長がおらずとにかく仕事だ仕事だと頭を無理やりにでも切り替えさせて受け取った資料を一枚ずつ確認していくのだった。
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