Episode 4 今ある日常に感謝を

 結果オーライという形で昨日を終え今日の昼頃。

 瑠璃香はまだ二十日以上もあるのだからもっと綿密な計画を立てようと、将太郎が事務所に向かったあとリビングにてパソコンと向き合う。


 昨日の彼の反応から脈はまだあると想定して、色仕掛けなどはあまり好印象ではないのでまずは正攻法でいくことを決める。

 一ヶ月後といっても実際は三年の関係性があり、ここまで積んできたものは確実にプラスとして働いている。それを踏まえて焦って無茶な賭けに出る段階ではまだないと判断したようだ。


「今日は帰ってきたら夕方だし、私も新曲つくらないとだからあんまり距離つめらんないかな」


 今朝の二人は昨日のおかげかそれなりに成人式前の雰囲気には戻れていた。

 今日は仕事があるからと将太郎が朝食をつくり、瑠璃香とテレビでニュースを見ながら穏やかな空気のなか合間の星座占いに一喜一憂といった様子は若者夫婦のようで華やかだった。


 焦っていない理由のひとつとしてそれも作用していることだろう。


「考えてみたら、私は外仕事なくても将太郎さんはあるんだもんなー。いつもに比べたら多少は少なくなっているけど。仕事終わりにちょっと試してみるのもいいかも」


 旅行前のどこを回るとかどのホテルに泊まるとかを考えている時間がなにより楽しく感じられるのと同様に、彼女もウキウキしながら何をしてみようかと考えている。

 彼の好きそうな部屋着でいたり、好物の料理を振舞ってあげたりマッサージもいいかもしれない。全てやってもいい。

 妄想すればするほどああしたい、こうしたいという思いが強くなっていく。ただ、そこで一度頭を冷やすのが重要だ。

 あくまで私のためではなく彼のため。そう意識して彼女は再度考える。


「こういう経験全然ないから、やっぱり聞いてそれをやってあげるのがいいのかなー。でも、それじゃあ逆に気を遣わせてしまってるかもしれないし……」


 彼女は言った通り恋愛経験が全くといっていいほどない。それは動画投稿者として活動し始めたのが中学時なのでそちらに時間を削げなかったのと、数十万人に見られるようになり身バレを避けて交友関係を絞っていたからだ。

 オリジナルで作られた曲に陽気なものが多いのはそれが一因である。

 そんななかで初めて好きになった親族以外の異性が自分のマネージャーというのは稀有な例だろう。参考に出来るようなものが少なく彼女を悩ますのは必然だ。


 瑠璃香は立って部屋を歩き回る。良い案が思い浮かばないときによくやる仕草だ。

 花に水を上げたり、干されている洗濯物を取り入れたり家事をすることで一旦頭の中をリセットするらしい。


「ふぅ……よし、決めた。変なことしないでいつも通り夕食つくって待ってよ。この前つくってあげられなかったオムライスでいいかな」


 長年共にいるとどうしても経験が多くなりサプライズなんてことを考えたりするけども、下手に計画性のないものをしてもグダグダになってしまうだけ。

 結局は特別なことをしないで日々の感謝を伝えることが大事だと結論付けて彼女は買い物に出掛けた。



 ◇◇◇◇◇◇



 外は暗く雲に覆われ影ばかり。影響されるように二人の家の電気も消されている。

 中で微かに見える人影はテーブルに肘をつき動かない。

 時刻は既に日をまたごうとしていた。


 将太郎から遅れる連絡があったのは夕方、瑠璃香がランラン気分で夕食の準備を進めようとしたところだった。


 大丈夫だと返事をして自分の分だけ食べて帰ってきてから用意してあげようとただひたすら待っていたが、外食してから帰ると連絡があったのが二時間前。

 早く仕事を終わらせなければならないと気を遣わせないよう準備していたことを隠していた彼女の責任ではあるが、どうも上手く行かず仕舞いで嫌になってしまい今に至る。

 胸が苦しい、消えてなくなりたい、負の感情が押し寄せてはまた明日頑張ればいいんだと若干の押し返しで耐えてはいたが、外の闇が濃くなるにつれ彼女の心も曇っていってしまった。

 待ってあげたい思いだけでいつもなら襲ってくる眠気はなく人形のように生気を感じない。

 そんななか、ようやくガチャと鍵をさした音がなった後ドアが開かれた。


「…………」


 扉の向こうにいる存在にまだ気付いていない彼は寝ている彼女を起こしてはいけないと声を掛けずに靴を脱ぎそっと部屋に入る。


「っ!」


 たしかにずっとそこにいたのだが彼にとっては突如として現れた幽霊のような感覚で彼女を見つけたため驚きのあまり一度後ずさり、本当に彼女かと確認するように一歩一歩ゆっくりと近付く。

 そしてようやく彼女自身だと理解してホッと一息、電気をつけた。


「こんな時間まで待っててくれたの?」

「……ううん、待ってたわけじゃないよ。ただ、曲の方が上手くいかなくてなんだかボーッとしちゃってた」


 顔を向けて疲れた表情を隠さず見せる瑠璃香を労おうとしたのか、将太郎は疲れているはずの体でポットに水を入れてカップにティーパックをセットした。

 その様子を見て慌てて瑠璃香は駆け寄る。


「ごめんね、あとは自分でできるから大丈夫だよ。将太郎さんも疲れてるでしょ? 明日も仕事だったよね。お風呂沸きなおしてるから早く入って寝た方がいいよ」

「僕のこと気にしてくれるのは嬉しいけど、自分も同じように人に心配させてたら元も子もないだろ。顔に出すぎなくらい疲れてるなら早く寝なさい。本当に曲で悩んでるなら僕のできる限りのことをするから相談して欲しいし、もしそうじゃないなら、今言って欲しい」


 確信を持って見つめる彼に押されて彼女は一瞬目を逸らしてしまった。それが白状した証拠。

 ふっと表情を緩めて彼女の手を握る。


「僕たち、もう三年だよ? いっぱい嘘も本当も見てきた仲だ。癖とか雰囲気とか表情とかさ、いろんなところで分かるもんだよ。それに瑠璃は嘘つくの下手だし」

「バレちゃってたか……。あーあ、心配されたくなかったのに私、馬鹿だなー。当たり前だよね、あんな暗いなかで一人で座ってたらなんかあったって思うよね。ほんと馬鹿だなー」


 ギュッと強く彼の手を握り返して離れない。そのまま体を預けるように力を抜いた。


「私さ、本当はもっと丁寧にいきたかったけど、一緒に居られるのがあと少ししかないならいっぱい将太郎さんといたい。同じ時間を共有したいなって思ってる。

 無理言ってるのはわかるよ。でも、やっぱり簡単に諦められないし、後悔して終わりたくない。この前言われたみたいに伝えたい気持ちを隠すなんてヤダ。

 それでもダメだとしたら、ちゃんと振って欲しいの。瑠璃のこと嫌いだって、将太郎さんの口から聞きたい」

「瑠璃…………」


 彼は社長からのメッセージでもあったようにこの生活が終わると共に新たなタレントと同棲を始める準備をしなければならない。つまりは彼女の担当から外れるというわけだ。

 そのことをなんとなく彼女も察してはいた。だからこそ別れをはっきりとさせたくて先の言葉が出たのだ。


「曖昧にして欲しくないから。だって、すぐに嫌いだって出ないってことは私のことすこしは好きでいてくれているんだよね?」

「それは……そうだけど」

「嬉しい。凄く嬉しい。だからさ、きっぱり断って欲しいの。将太郎さんが言ってた覚悟がないならどう足掻いても続かないから、今ここで私の初恋を終わらせて」

「……ごめん、今日はもうこの話はやめよう」

「どうして?」

「僕にも時間が欲しい。たしかに自分が言っておいて僕自身が一番何も分かってなかったかもしれない。君の気持ちも僕の本音も。だから、考える時間をくれないか?」

「……そう言ってくれて良かった。もちろん私は待ってるから、答えがでたら教えてね」

「ああ」


 そっと離れた瑠璃香の顔は少し明るくなっていた。そのまま部屋に向かって歩いていき、扉の前で将太郎に向けて手を振る。


「おやすみ」

「うん、おやすみ」


 将太郎が手を振り返してくれるのを待ってから部屋に入っていった。

 残された将太郎は髪をかきあげ息を吐く。スマホを取り出して数タップ、呼出音が鳴る。数秒ののち音は切れ代わりに声が聞こえてきた。


「夜分遅くにすみません、八倉です。社長、伊村との件で直接お話させて頂きたいことがありまして…………ああ、はい。明日でもちろん大丈夫です。仕事終わりですね、わかりました。いえいえ、お時間を割いて頂けるなら僕は何時でも。はい、ありがとうございます。それでは失礼します」


 通話が切れたのを確認してから再度、今度は深く息を吐く。


「風呂入るか」


 スーツを掛け、ネクタイを外す将太郎の背中はこれまでのどの時よりも大きく見えた。

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