第37話 発勁

 ◇大崎ジム◇

 サンドバッグを相手に私は【発勁】の練習を繰り返していた。

「お嬢ちゃんどうした? そんなパンチ誰から習ったんだ?」


 そう声をかけてきたのは会長さんだった。


「いや、習ったわけじゃないんですけど【発勁】っていう技を修得したくて練習してたんです。でも中々難しくて……」

「なんだそっちか」


「そっちって?」

「いや、てっきり下手なショートフックの練習でもしてるのかと思ったが、別物を練習してたってことか」


「ショートフック……そういうパンチもあるんですね」

「おいおい、お嬢ちゃん。曲りなりにもボクシングジムの門下生なんだからよ。それくらい把握しておいてくれよ」


 うーん。ジャブとストレート以外にフックとアッパーがあるのは知ってますよ。

 でも私まだ数回しかジムに通ってないからね。


「じゃあ、会長もしっかり教えてくださいよ。私超初心者なんですから」


「……初心者詐欺だな」

「えっ?」


「そういや初心者だったよな。初心者とは思えないくらいの実力だから忘れてたよ。まぁいい。一つ発勁を教えてやるとするか」


「会長は【発勁】の打ち方知ってるんですか? っていうかボクシングジムなのにいいんですか?」

「まぁ、構わねぇよ。俺も知り合いの古武術やってる奴から聞いただけだけだしな。ボクシングじゃあんま使えねぇから今まで忘れてたけどよ」


「古武術ですか? 発勁って中国拳法ってイメージがありますけど……」

「まぁ、格闘技ってのは同じ体を使ってるんだ。色んなところで通じるもんがあんだろ」


「まぁいいや。是非教えてください」

「OKOK。まぁ、その知り合いが言うにはボクシングのプロの中にはショートフックを発勁みたいに打つやつがいるって言うんだよ」


 それはいいこと聞いたぞ。

 ボクシングやってても発勁が修得できるかもしれないってことでしょ。


「じゃあ、ボクシングでも練習すれば『気』みたいなのを使えるってことですか?」


「は? 何言ってんだ? 『気』ってなんだよ。あぁ、分かった。お嬢ちゃんも勘違いしてるクチだな。発勁は『気』で攻撃するとか思ってんだろ?」


「え? 違うんですか? だって振りかぶってもいないパンチでバーンて吹っ飛ぶんですよ?」

「ああ、あれは『気』じゃねぇよ。どっちかって言うと人体力学とか物理学の理解が必要だな。発勁ってのはある意味合理的なパンチなんだよ」


「へぇ、それは僕も興味ありますね。会長教えてください」

 総さんとレイカさんの二人がやってきた。


 総さんはこの話に興味があるみたいだ。対してレイカさんはどうでもいい感が出まくってる。単に総さんについてきただけって感じがする。


「レイカ、どうせならお前も聞いとけ。もしかしたら次の試合で使えるかもしれんぞ」

「はい、……そういうことなら一応聞いときます」


「じゃあまず、発勁という言葉の意味を教えるか。ネットで調べりゃすぐに分かるが、発勁の発は「発する」ってことだな。勁の意味は「運動エネルギー」だ。つまり効率よく「運動エネルギー」を「発する」のが発勁なんだよ」


 本当に『気』じゃない?

 それなら何で私は再現できないんだろ? 型は合ってると思うんだけど……。

 てっきり『気』のことが分かってないから修得できないと思ってたのに……。


「で、肝心なことはだ。人間の体は運動エネルギーを逃がしやすい構造をしてるってことだな」

「どういうことですか?」


「例えばだ。パンチを撃ってもそのエネルギーが肩、肘、手首といった関節から逃げちまうんだよ。逆に言えば関節から運動エネルギーを逃がさないように撃つのが発勁という打撃の秘訣だな」

「それってどうやればいいんですか?」


「まぁ、やってみた方が早いか。お嬢ちゃんとレイカは壁の前に向かって30cmほど離れて立て。でもって、左右どっちでもいいから肘を90度に曲げて拳を前に出して壁につけろ」


 まぁ、やってみるか。

 壁の30cmくらい前で、肘を90度曲げて拳を壁につける。


「出来たか? じゃあそこから全力でストレートを撃ってみろ。しっかり踏み込んで腰を捻るんだぞ。ただ拳は壁から離すな。撃ったらそのままの姿勢でストップだ」


 え……パンチ?

 振りかぶっちゃいけないんだよね?


 よく分かんないけど腰の回転だけで撃つってこと? 

 レイカさんも戸惑った顔をしている。


「考えずにやってみろ。ただ腕の加速がないパンチだと思えばいい」

「それって単に押すだけじゃないですか?」

「まぁ、そうだ。めちゃくちゃ速く押すと思えばいい」


 こんなんじゃ大した威力のパンチは打てないと思うけど……まいっか。


 えいっ。


——ダン——

——ミシィ——


 壁から音にならない音が出た気がした。


「そのまま動くなよ。撃つ前と比べて今の姿勢はどうなっている? 特に肩と肘の角度な」

「えっと肩は肘よりも前に出て……肘は90度よりも鋭角になってます」

「そうね。私も同じ」


「おう、見事にダメな例だな。今のパンチで足腰が生み出した運動エネルギーの大部分は肘と肩から逃げちまったってことだ」


 そう言われてもいまいちピンと来ない。

 そんなにエネルギーって逃げてるのかな?

 壁相手じゃ良く分からないよね。


「じゃあ、もう一度だ。今度は肘と肩に力を入れて固定して撃ってみろ」


 固定……肩と肘が動かないようにして撃つってこと?

 何か慣れない撃ち方だな。

 普段は力抜いて撃てって言われてるからな。


 まあ、やってみるか。


——ダン——

——ズゥゥゥゥン——


 何だ?

 壁が? ……違うエネルギーが壁を伝って窓ガラスが揺れてる。


 「どうだ? ……って聞くまでもねぇか。まぁ、大雑把に言やこれが発勁の秘訣の半分てとこだな」

 

 レイカさんを見ると、腰が回って壁に対して横向きになり左足は最初に立った位置よりも壁から少し離れていた。つまり少し壁から離れていた。


 私はと言うと……壁に跳ね返されて大きく後ろにさがってしまっていたのだ。


「肘と肩からエネルギーが逃げず壁に伝わったのが分かったろ? まぁ壁は動かねぇから肘と肩が固定されてりゃ体はむしろ壁に跳ね返されるんだよ。足の踏ん張りがもっとありゃ別だがな」


「すごい……」

 レイカさんの表情が変わった。

 もしかしたら何かを掴んだのかな?


 どこか目に力が宿っている気がする。


 

「それで会長、もう半分の秘訣は何なんです?」

「まぁ、俺が教えてもいいんだが……総ならピンとこねぇか? ヒントは何故肘が曲がっているか、何故ショートフックなのか……だ」


「うーん。何でしょうかね……腕を伸ばせるようにするためですか?」


「お、まぁそんなところだな。正確に言やパンチが当たった瞬間に更にグッと力を入れるためだ。今壁に撃ち込んだみたいにな」


 ん?


「すいません。会長さんよく分かりません」

「私もピンとこないわ」


「そうだな……。説明が上手くないかもしれんがもう半分の秘訣は『手の延長』だ」


 手の延長?


「余計分かりません」

「私も」


「うーん。例えば……釣りは竿を持ってやるだろ。で垂らした糸と針に神経を集中して魚の気配を感じるわけだ。この場合針と糸は手の延長ってことになる。野球ならバット、テニスならラケットが手の延長になるな」


 ふんふん。で?


「でだ。ボクシングで言うと相手を殴った時、何が手の延長になる?」

「そりゃグローブでしょ」


「その答えなら普通のパンチしか撃てんぞ」


 え? 違うの?

「他に何かありますか?」


「じゃあ少し質問を変えるか。お嬢ちゃんのパンチが相手の腕にガードされてガード越しに相手の顔面に当った時、手の延長は何になる?」


「あ、相手の腕です!」


 分かった!

 そういうことか!


「だな。じゃあ、パンチが相手の脇腹に当った時は?」

「ん? その場合はグローブなんじゃ……」

「いえ、相手の肋骨かしらね?」


「正解だレイカ。まぁ、それが実際に出来るかどうかは別の話だがな。つまり理論だけを言えば普通のパンチは当たってそれまでだが、発勁は当たってからさらにグッと力を込めることで相手のガードや骨まで自らの手の延長としその先にある内臓に衝撃を伝えることが出来るってわけだ。そしてインパクトの瞬間に体全体の力をグッと入れることで体重全体を乗せた攻撃になる。場合によっては相手が吹っ飛ぶこともあるだろう」


「なるほど」

「すごいパンチだわ」


「勿論デメリットもある。射程は短いし、パンチのスピードはストレートに劣る。まぁ、射程は鍛錬次第で伸ばせるみたいだがな。体の細部に当たっても大して痛くもなんともない。体幹に撃ち込まないと運動エネルギーが逃げるから発勁特有のダメージは与えられないんだ。あとは連打が難しい。使いどころは大分限られるぞ」


「でも……」

 近くのサンドバッグに歩み寄って構える。


 そして思い切り撃ち込んでみた。


——ダボォン!!!!——


 100㎏を軽く超えるサンドバッグが跳ね上がっていた。


「……鍛えられない体の内部に打撃を与えられるし、あとは拳にも優しいみたいですね」

 威力に反して拳は全然痛くなかった。


 はは。皆驚いて口が半開きになってる。


『スキル【発勁】を覚えました』



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