第5話 生きるに値しない命


 シーザーは地球列強の一国、ゲルマニア帝国の皇子として生を受けた。

だが、シーザーの母であるマグダ妃は貴族出身ではなく、平民の出身だった。

家柄と血統を重んじるゲルマニア帝室において、平民の血をひくシーザーが皇帝になることは許されない。故に、彼に与えられた称号は《準皇子》。皇子ではあるが皇位継承権を持たないという意味だ。


 シーザーも、彼の母親であるマグダ妃もそのことに不満を抱いたことはない。

むしろ皇位継承権争いに関わらなくていい、と喜びさえしたぐらいだ。


 だが、帝室という陰謀の渦巻く世界は皇位継承権が無いからといって見逃してくれるほど甘くはなかった。


ある日のこと、シーザーとマグダ妃が遊興先に赴くために乗っていた列車が爆破されたのだ。その日はちょうどシーザーの12歳の誕生日。護衛を含めた乗員乗客の大勢が命を落とし、マグダ妃も死亡した。


でも、シーザーは生き残ってしまった。

それはマグダ妃が身を挺して守ったおかげ―――ではなかった。




「化け物……」


 燃え盛る炎の中で茫然と母親の亡骸を眺めていたシーザーに掛けられた一言は余りにも残酷なものだった。


 振り返ると、完全武装した兵士たちがシーザーを取り囲んでいた。

生存者を一人残らず殺すために送り込まれた刺客達だ。


至る所で銃声が聞こえる。

ヒアツィント率いる護衛部隊が刺客たちの別動隊と交戦しているのだろう。


だが、シーザーの周囲に護衛はいない。皆、爆発に巻き込まれて死んでしまった。

だというのに、刺客たちの瞳には言いようのない恐怖に支配されていた。


 それもその筈。

爆発で死んだと思っていた子供が生きており、そればかりか少年の体は人のソレではなかった。


 事故の衝撃で大きく抉れた胸元からむき出しになっていたのは、金属で造られた骨格に、その内側で脈動する黄昏色・・・の光を放つ球体。蛇のように蜷局を巻き、生きているかのように蠢く電子コードの束と微細な歯車群が少年の胴体の内側に敷き詰められていた。


「こいつは亡者レヴナントだッ!」


亡者レヴナントとは、人類の天敵である戦鬼センキに分類される亜人種の総称。

彼らは肌の色が異様に白いことを除いて人との外見的な差異は殆どなく、さらには人間と同様の生殖器を有して交配することも可能であった。


彼らはおよそ250年前から人間の母胎を通じて産まれ始め、劣悪な環境下における強い耐性と、極めて高い身体能力を有することで知られていた。


そして極めて稀に、超常的・・・な力を持って産まれてくる個体がいた。


「撃ち殺せッ!」


 凄まじい弾丸の投射量が肉体を嬲るように食いちぎり、血飛沫を上げ、人としての外皮を削り取っていく。

流れ弾が幾つもシーザーの母親の肉体に命中し、徐々に人型からただの肉塊へと姿を変えていった。


 だが、刺客たちがマガジンの弾をすべて撃ち込み終わっても、シーザーは死んでいなかった。顔の半分近くの皮膚を失い、片目を抉られ、金属製の骸骨と、人のものとは思えない赤紫色の頬肉を剥き出しにしていても、何事もなかったかのように佇んでいる。


「もう終わり?」


 ゆらゆらと陽炎のように体を揺らしながら刺客たちに歩み寄るシーザー。

 潰れた片方の目の奥から黄昏色の光を放ちながら、半分に千切れたあどけない唇に邪な笑みを浮かべる。



次の瞬間、少年の輪郭が壊れだし、巨大な怪物・・へと変異した。

無機質な白色をしたか細い四肢に、機械式人工骨格と微細な歯車群、モーターで構成された巨躯。胸元には、内臓代わりの微細な電子コードの束と申し訳程度の筋肉があり、その中央に黄昏色の球体が煌々とした光を放っていた。


 頭部の甲殻にはシーザーの面影をそのまま残した人面が彫り込まれており、仮面の眼は黄昏色の煌めきを放っている。


「じゃあ、頂きます」


 シーザーは戦鬼が人を襲うのと同じように、刺客たちに襲い掛かった。


「な、なんなんだ、この化け物はッ!」


 刺客たちが震える手で急ぎ空になったマガジンを交換しようとするが、それを待ってくれるほどシーザーは易しくない。


「ぐえぇッ……!」


「や、やめ……!」


 肉を引き裂く音がする。

刺客たちの体が切断され、臓物をぶちまけながら地面に崩れ落ちる。

生身の人間がいくら銃器で武装したとしても、髑髏の王の前には無力も同然だった。


 だが、シーザーは殺しただけでは終わらない。

今しがた屠殺とさつしたばかりの新鮮な肉に齧りついた。


しかし、人間の肉を口に含んだとき、全身の血が滾るのを感じた。

体の奥底で眠っていた何かが目覚め、覚醒していくような高揚感。

心臓の鼓動が早くなり、体の芯から熱が込みあげてくる。


「こ、これは………」


 と、その時、背後から声がした。

 振り返ると、頭から血を流したヒアツィントと配下の兵士たちが状況を飲み込めないように目を見開いて立っていた。

 刺客の別動隊を撃破して、急いで駆けつけてきたのだろう。


 だが、ヒアツィントの瞳に飛び込んできたのは、無数の弾丸によって原型を留めていない、マリア妃だったものと、獣に食い散らかされたような無残な躯と化した刺客たち。

そして、人肉をむしゃむしゃと喰らっている細身の巨人。


「このッ!」


 咄嗟に兵の一人が銃を構えようとするが、ヒアツィントが手でそれを制した。


「殿下……なのですか……」


 顔を覆う人面をした仮面、口元は裂けて異業の物の口内が露わになっているが、その面影にヒアツィントは見覚えがあった。

 

「やあ、ヒアツィント。はしたないところを見せてしまったかな」


 骸骨の人面がシーザーの口調で喋り、ヒアツィントは驚いたように目を見開く。

 彼がシーザーの正体を知ったのはこの時だった。


 その後、何者かの密告でシーザーの正体が彼の父であり、ゲルマニア帝国の皇帝であるタイタス一世の知るところにもなった。



◇ ◇



「シーザー。お前をヘルポールトに追放する」


暗殺未遂事件の翌日、シーザーは母親の喪も明けぬうちに父である皇帝タイタス一世に呼び出された。

そこで告げられたのは地獄の宙域、ヘルポールトへの追放だった。


ヘルポールトは戦鬼が銀河侵攻に使用した超次元通路の先に存在する宙域であり、言わば別の次元に存在するもう一つの宇宙。地獄と形容するのが相応しい死と絶望に溢れた戦鬼の本拠地だ。


「理由を説明する必要はないな?」


周囲よりも高い位置に設けられた玉座からタイタス一世は冷徹な瞳でそうあしらった。

燃えるような真紅の長髪に、青色の瞳。筋骨隆々な肉体を漆黒の軍服で包み込み、遥かな高みから人を見下ろすその様はまさに皇帝。


 兵隊王とも称されるほど軍事的才能に突出したこの男がシーザーの父であった。


「まさか、我が種から化け物が産まれていたなどと考えるだけでも反吐がでる。よくも今日まで人間の血肉を貪らずにおれたものだ」


我が子に向けられた言葉とは思えない何とも残酷な物言いだったが、それが地球での亡者の扱いだ。


亡者はその超常的な力と、戦鬼との遺伝的な類似性から公的な・・・迫害対象として忌避されていた。


故に、巷では彼らはこう呼ばれている。

生きるに値しない命・・・・・・・・・、と。


「だがお前には使い道がある」


 その使い道こそがヘルポールトにおける植民活動だ。


「我が帝国の目標はヘルポールトにおける覇権の確立だ」


 ゲルマニア帝国は他の列強に比べて宇宙への再出立が遅れた。

 戦鬼との戦争によって荒廃した銀河は資源が乏しく、入植に適した惑星の多くは既に他の列強に抑えられていた。


それ故に、タイタス一世は有益な資源惑星を多数、有するヘルポールトに活路を見出している。


だが過去、ヘルポールトの入植に成功して盤石な基盤を築けた者はいない。

多くの前任者たちは戦鬼に殺されて死ぬか、或いは正気を失って自ら命を絶った。

怪物が跋扈するヘルポールトでの植民活動を成功させるのは容易なことではなかった。


それゆえ、ヘルポールトへの追放は事実上の死刑宣告と同じ。

12歳の子供にとって余りにも残酷な命令であったが、シーザーの表情に絶望の色はない。

そればかりか少年は小さく笑っていた。


 まるで父であり、皇帝でもあるタイタス一世を見下し、嘲笑うかのように。

 その不遜極まる態度こそが自分の子である証でもあった。


「よいか、シーザー。帝国をヘルポールトまで拡張する足掛かりとして、まずはヘルヘイムへの入植を進めよ。戦略的な要所に都市を築き、死守するのだ。それからヘルポールトに点在する異星人の遺跡を探索し、テクノロジーを奪え。それを使って軍を強化し、お前の同類たる戦鬼を殲滅するのだ」


 後は同じように築き、守り、進撃し、支配せよ。

それが皇帝からの命令であった。


 そして最後に一言、タイタス一世は付け加える。


「失敗は許されないぞ、シーザー。もし、しくじった時はヘルポールトで死ね・・


それが12歳の息子シーザーに与えた命令の全てである。


―回想終わり―



◇ ◇



 シーザーはデータディスクを入れ替え、次の記録の閲覧を始める。

 掌に乗る程度の小さな端末から光が溢れだし、記録が3次元的な像となって出力される。

 そしてシーザーの目は浮かび上がった記録に向きつつも、口と耳はヒアツィントを向き続けていた。


「亡者にも味覚はある。人間の食事で胃袋を満たすこともできるし、当然、美味しい物を食べると心が満たされる」


 でも、とシーザーは付け足して言った。


「僕らはそれが人であっても同じだ」


 亡者の食性は戦鬼と多くの点で似通っている。

つまり、食人でも問題なくエネルギーを補給することができる。

しかし、それはあくまでも出来るというだけの話であり、戦鬼のように好んで人間を好んで食べるようなことはしない。食べられる能力はある、というだけの話なのだ。

 

「加えて亡者には戦鬼のウィルスに対する抗体がある。だから、戦鬼の肉も食べることは可能だ。でも、食べてみるとわかるけど、不味いことこの上ない。でも、人間の作った食事よりも腹持ちはいいし、食べると少し変わった感じがするんだ」


 例えるなら、戦鬼の死肉が自分の血肉となっていくような感覚。

 人間の食事を食べても得ることのできない不思議な高揚感。


シーザーが食べた噛者の一部は弾丸に作り変えられたが、それでもお釣りがくる量の戦鬼が彼の胃の中に溜まっている。

であるならば、人間の食事を採る必要はない。


「でも僕は、本音を言うと食事を採りたいという気持ちがあるんだ。なぜなら僕は自分を人間だと思っているからね」


 人が食事を採るのは至極当然のこと。可笑しいかな?と尋ねてくる少年の浮かべた笑みはどことなく悪戯っぽい。


「母は僕を人間として育てた」


 シーザー暗殺未遂事件で命を落としたシーザーの母、マグダ妃。


 彼女はシーザーに人間の常識を教え、人間の価値観を教え、人間の生き方を教えた。


「母上はね僕を庇って死んだんだ。僕が爆発ぐらいで死なないと知っていたのに、自分の身を挺して守ろうとしてくれたんだ」


 なぜなら、シーザーは人間だから。

12歳の子供であり、大人の庇護を必要とするか弱い存在だから。

 例え本当は人外の怪物だったとしても、マリア妃は死ぬ瞬間まで我が子のことをそう思っていた。


「でも、僕に人間であって欲しいと願った人はもういない」


 そのマリア妃は彼の12歳の誕生日に殺された。


 シーザーの脳裏に浮かぶのは、首や手足がおかしな方向にねじ曲がった母親の亡骸。

 死ぬ瞬間までシーザーを人間の子供として扱い、母親として守り抜こうとした。


「世界は決して僕ら亡者を人間とは認めない。食人にも抵抗感を示さないから。でも、それって矛盾した話だよね。人間だって食べはしないものの、同族同士で殺し合うっていうのに」


 とシーザーは笑う。


 殺すのは良くて、食べるのは駄目。

 戦争で失われる命の数の方が遥かに多いというのに。


「お守りします、殿下」


 とヒアツィントの口は勝手に動いていた。

 シーザーの赤色の瞳が青年将校を振り返り、どこか値踏みをするように見据えてくる。

 それでもヒアツィントは続けた。


「私にとって殿下のいる場所こそが我が祖国。そして、ゲルマニア軍人は一度、主と定めた方を決して裏切らない。それが私の軍人としての誇りです」


それでは失礼します、とヒアツィントは軍人らしい見事な敬礼をして去っていった。

と思ったら


「殿下、後ほどお食事をお持ちします」


 と振り返って言い切ると、今度こそ部屋を後にした。


「人間という生き物は本当に面白い」


 思わず口を突いた哲学じみた自分の言葉に思わずほくそ笑んでしまう。


「ところで、アーラ、カーラ」


 ヒアツィントがいなくなってからシーザーが双子に声を掛けた。


「君たちはご飯、食べなくていいの?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべての問いかけ。


「「………………」」


 その問いにアーラとカーラは答えず、無視した。

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