美しい客人


「へ?教坊に?」


琳麗はやり手婆の横に控えていたにも関わらず、素っ頓狂な声を上げた。

隣で婆が鋭く睨む。


二人の前には白蘭楼には珍しい美しい女人客が一人、上品な物腰で座っていた。


「お客様、まだ客を取ったこともない童妓の娘を教坊に引き取りたいとは、どういった訳でございましょう。ましてやお客様は、当妓楼には今日初めていらしたのでは?何故琳麗をご存じで?」


婆の探るような問いに、女性は気を害したふうもなく穏やかに答えた。


「私は太極宮の内人で、名を玉葉と申す。先だって、馮太后様の使いで城下に出たところ、そこの童妓を見かけたのだ。器量も良く、何より舞が素晴らしかった」


琳麗は恐る恐る横目で婆を見る。


「なるほど」


やり手婆とばっちりと目を合わせてしまった琳麗は、蒼い顔で仰け反るように背筋を伸ばし、天を仰いだ。


隣の婆は、恐ろしい笑みを浮かべている。


玉葉内人は、やり手婆が特に目をとめた客にのみ出す、薄紅の桜の描かれた上等の茶器に目を落とし、憂うようなため息をひとつ落とすと、琳麗を見てまた笑みを浮かべた。


「昔から右教坊は歌、左教坊は舞踊と申すが、近ごろどちらも芸に優れた者がおらぬのだ。内教坊にはその中でも選りすぐりの娘を迎えておるが、ここのところそれも危ぶまれてならぬ。それゆえ、その娘を見たとき私は、是が非でもこの子を内教坊にと心に決めたのだ」


教坊で宮廷舞を教えよう。どうだ、私と来ぬか、と問う玉葉内人に、琳麗の体の芯に火が灯される。


婆が琳麗を制するように半身を前に出して内人に話しかける。


「いえね、内人様、この莫迦娘は迂闊な子でして、行儀作法も詩歌もままならぬものですから、舞いも楽器もまだ教えていないんです。ですから、」


「おお、そうであったか。ならばこの娘は習ってもいないものを、見ただけであれほどの技量だったというわけか」


「ああ、いえ、ですが内人様、この子は童妓です。身請けはできぬ決まりです。そのうえ、できたとしてもこの子は母親が年季が明けぬままに死んだので、他の娘より......その......」


婆が身請けの金額を示唆してなおも言い募ると、玉葉内人は微笑んだまま片方の耳に手をやる。耳飾りを外すと、静かに卓に置いた。


「亡き凰封花の意匠だ。伝説の細工師。よもやこれで足りぬとは言うまいな」


婆がごくりと喉を鳴らした。

しばらく黙すると、婆は覚悟を決めたように静かに口を開いた。


「この子と、話をさせてください。この子に決めさせようと思います」









「小琳、お前のことだ、行かないとは言うまい。お前の母親も芸に生きた。やはり定めなのかもしれないね」


やり手婆は深くため息をついた。


煙管の煙がくゆる。あてどなく不安そうに漂う。


琳麗はその煙をなんとなく目で追う。


婆はその様子を見て、もう一度深くため息をつくと、強い目で琳麗を見つめた。


「これだけは覚えておかねばならぬ、小琳。妓女が、芸に生きるものが、一生共にしなければならないのは苦痛だ。幸せなど夢にも見てはいけない。地獄のような苦しみを何千回と味わって、血の涙を流す。ああ、お前がそれを理解するにはまだ幼すぎるけれどね。それでも覚えておくのだ。何も望んではいけないよ」


琳麗は一瞬きょとんとして、それから神妙な顔をして頷いた。


漂っていた煙は霧散して、どこにも残っていなかった。










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