花街の禿



「小琳!またお前は小姐のお座敷を盗み見していたね。してはいけないとあれほど言ったろう。お前の夕餉はないよ!さっさと帳簿をつけといで」


やり手婆の鋭い声が飛んだ。

客を取る小姐の座敷の戸を細く開け、廊の隅で小姐の艶やかな舞姿を食い入るように見ていた琳麗は、婆の声にびくりと体を震わせると、悪戯が見つかったような顔をして眉をへの字に下げた。


白蘭楼は花街きっての妓楼である。都でもっとも格が高く、客の質も良い。


名妓ぞろいと名高い白蘭楼に足をのばせるのは高位高官や商団の長など、限られた者のみである。


毎夜、白蘭楼の座敷ではむせ返るような化粧と香、美しい衣をまとった女が艶やかに舞う。



琳麗は白蘭楼でかつて絶世の美姫と謳われた妓女・鈴蘭の娘である。


鈴蘭はまさしく一世を風靡した名妓であった。


特に彼女のたおやかな舞と美しい箜篌の音は皇城にまで届くほどの名声を持ち、朝廷の高官らが万の金を積んでも席を設けようと、こぞって白蘭楼に足を運んだ。



鈴蘭はただの美しい花ではなかった。

聡明な、されど勝気な彼女は、自尊のために自分を身請けしようという下卑な男に山ほどの金を積まれても首を縦に振らなかった。


閨もほとんど共にしなかった。

挑発的な視線で駆け引きのような色恋を楽しみ、金よりも心を欲するような野心を持った、大それた妓女だった。


しかし、名家の子息と溺れるような恋に堕ち、琳麗を身ごもると、身請け話もないうちに赤子を産むと言い張り、琳麗を産むと同時に命を落とした。


琳麗の父であったはずの男は、妓女の産んだ赤子の父がお前である証拠がない、と両親に説き伏せられ、豪族の娘と娶せられた。


父母をなくした琳麗は白蘭楼の見習いの禿として留め置かれたが、鈴蘭という稼ぎ頭を喪ったやり手婆の風当たりが弱いはずもなかった。



「小琳!」


また尖った声が飛んでくる。


「はい!今すぐに!」


琳麗は空の酒杯と膳を抱えて廊を駆け出そうとして足を踏み出し、


ぴたりと止まる。


そして大きく踏み出した足を音を立てないようにそっと床に下ろすと、ぎこちなくそろそろと足を進めた。



室からはすでに甘やかな声がしのび聞こえていた。













琳麗の朝は割と早い。


と言っても、花街では、と後につく。


空になった酒杯と、朝には少し刺激の強い香や乱れた衾などを片付け、昼前に起きてくる二日酔いの小姐たちのために猪苓湯(ちょれいとう)を用意する。


茯苓や白朮、桂皮などでできていて、顔のむくみや頭痛によく効くのだ。


これは琳麗の行きつけの茶葉屋の婆に聞いて習った。


琳麗は白蘭楼御用達の高級茶葉屋のほかに、自分の僅かな給金で買える茶葉を求めて、街の外れにある茶葉屋によく足を運んでいた。


茶葉屋の婆は昔、薬屋もやっていたらしい。


そのおかげで、琳麗はちょっとした茶葉の種類や薬の効能にも詳しいのだ。



「小琳、お使いだ」


やり手婆の声に、琳麗は床を磨いていた手を止めてやり手婆のもとに歩いていく。


手渡された備忘録を小脇に抱え、籠を持ってのろのろと沓をはいていると、やり手婆の不機嫌な声が釘を刺した。


「道草食うんじゃないよ。帰ったら厠掃除だよ」


「はい」


琳麗は若干の上目遣いで、機嫌を損ねないよう慎重に答えると、白蘭楼を出るなり肩をすくめてスタコラさっさと駆け出した。





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