第3話 そろそろ真実を

 さすがにレティシアも、そろそろ違和感に耐えかねていた。

 フランツの態度にも苛立つ。そう、レティシアだって気分上々というわけではないのだ。

 求婚は驚きながらも、嬉しかった。三日間夢心地で過ごした。突然フラれてショックだった。レティシア嬢と結婚したい――あの文言は嘘だったのか。顔合わせで突然撤回したりして、わたくしの顔はそんなに醜いか――本当なら問い詰めたかった。


 だがそうしなかったのは、レティシアが淑女だからではない。怖かったからだ。

 フランツに、おまえは醜い、他に好きな女が出来たと言われることが怖かった。恐れは強い怒りに変わった。


「フランツ様。わたくしに何か、お話ししたいことがあるならば、どうぞ仰ってください」

「いや、別に、何も」

「無いならさっさと追いだしてくださいまし。なぜ何度もお引き留めなさるの? 憐情ですか。ならばかえって残酷ですわ。優しくなどしないで、夢を……見させないで! わ、わたくしのっ、ことが嫌いだと……はっきり仰ってくださいませ!」


 喉が震え、言葉が途切れる。それでも堪えた代償か、大粒の涙がぼろりと零れた。

 泣き出したレティシアを、慌てて駆け寄り慰めようとした侍女から、フランツの手が奪い取った。

 胸の中に抱き寄せて叫ぶ。


「好きだ!!」


 これまでで一番、大きな声だった。


「…………ほえ?」



 そのとき、ドンドンドンッ! と激しく扉がノックされた。リッケルトが「取り込み中だぞ!」と怒鳴ったが、構わず扉が開かれる。


「団長! 超特急で出されていた調べの結果が出ました!」


 騎士団とは違う制服、国税の調査員だ。


「ベルヘルム家の借金など、存在しません! 国の賃借記録に、ベルヘルム子爵の名はありませんでした」


「――えっ?」


 ベルヘルム家というと、もちろんレティシアの家だ。両親の死後、多額の借金が見つかって没落した。

 ……そう言ったのは叔父夫婦だった。世間知らずなレティシアに、領主には納税の義務があること、それを両親は滞らせていたことを教えてくれた。


「子爵領は確かに領地こそ小さなものですが、領民ともども慎ましく暮らしていたようです。税は一切の滞りなく納められております」


 ……娘一人、それでも頑張って政(まつり)をしようと決起したレティシアに、たくさんの借用書を積み上げたのも叔父だった。これはすべて贅沢とギャンブルによるものだと言った。どうしていいかわからなくなった。


「借金まみれなのは子爵の弟にあたる者です。先月、その名義をレティシア・ベルヘルム嬢に書き換える申請書が出されていました」


 ――儂に任せろ、儂は事業をやっている、おまえの両親と違いちゃんとした領地経営ができる――

 ――おまえは今日から儂の娘だよ。これからは実父のように思いなさい――


(……叔父様が……なんですって?)


「フランツ団長の睨んだとおりです。受理される直前で差し止めて参りました」

「よし、よくやった」


 ぼんやりしているレティシアの前を、フランツの長い腕が横切る。

 調査員が差し出した書類にざっと目を通しながら、厳しい声で、独り言のように呟く。


「……レティシア嬢の後見人、叔父上たちは嘘をついていた。自分の事業が失敗し、首が回らなくなったところに兄夫婦が事故に遭い、どさくさ紛れにまんまと家を乗っ取った」

「ほ、ほんとうに?」


 フランツは書類を手渡してくれた。聞き覚えのある金額、叔父の名が借主の欄に書かれていた。数枚先にはそれをレティシアに押しつける申請書。


「地方領ではたびたびあることでな。国もそれなりに警戒しているが、後継者と連絡がつかないと、調査が頓挫してしまうんだ。監禁されたり追い出されたり、時には殺されていたり」

「外国の金持ちの非公式な側室になってたり、ですね?」


 ニーナが言うと、リッケルトがクスクス笑って頷いた。


「そういうこと。実際けっこう厄介なんだよ。今回スピード解決できたのは、団長の機転のおかげだからねえ」


 フランツは眉をひそめた。


「俺はただ、あのベルヘルム子爵が散財などするはずないと知っていたからだ」

「そんな……まさか……叔父上が……」


 レティシアは、愚かではない。

 ただ呑み込みきるまでに時間が必要だった。信じていたものが突然すべてひっくり返ったのだ。頭も胸もぐちゃぐちゃだった。


「……わたくしは…………」


 それをフランツは黙って、ただ穏やかに待っていてくれた。


 ゆっくりと、たくさんの時間だけが流れ――レティシアはやっと、まっすぐに顔を上げた。


「フランツ様……あなたはもとより、ベルヘルム家とは旧知の間柄だったのですか? 父の人となりをよくご存じのようですが」

「ああ」


 彼は深く頷いた。


「十五年も昔だ。遠征からの帰り道、傷ついた騎士団を領地に迎え入れて下さった。特に傷が深かった俺は、屋敷で療養をさせていただいた」

「……そんな……小さな親切を、何年もずっと忘れずに……?」

「もちろんだ、忘れられるはずがない」


 フランツは頬を掻いた。


「あの時は本当によくしていただいた。……君とも一応、何度か話したり……いやたしかにたった数日だし、君はまだ幼かったので覚えていないだろうが。君からすれば当時でももうオジサンだろうし。今なんかもう見ての通りだし」


 レティシアは溜め息をついた。


「それであなたは、わたくしを助けて下さったのね。あなたの強引な求婚が無ければ、わたくしは明日にでも異国に輿入れする予定でした」

「すまない、まだ証拠を固められておらず、ひとまずは君の身柄を保護したかったんだ」

「それで、あの家はやはり、わたくしのものなのですね。わたくしは両親以外に何も失っておらず、そして領主の娘として、守るべきものがあるのですね」

「……ああ。そうだよ」

「わかりました」


 レティシアは立ち上がった。


「大変お世話になり、ありがとうございました。このご恩は近いうちに必ず。そのためにもわたくしは領地に帰ります。わたくしはベルヘルムの新当主として、勉強しなくてはいけません」

「お嬢様、素敵っ! ニーナは一生お嬢様に着いていきますよっ!」


 歓声を上げるニーナに苦笑いしつつ、リッケルトが書類をペラペラ振った。


「まあお待ちなよ、この調査書を正式にお国に引き渡して、叔父さんをしょっぴくのが先。それで後見人って立場から引きずり下ろさないと」

「ではそちらはお任せ致します」

「うんうん。領地経営の勉強なら、団長の家の図書室でも出来るし――」


 ぶはっ、とフランツが盛大に吹き出した。


「何を言うんだリッケルト! 言っただろう、俺の家に泊めるのは無理だと!」

「そんなに意識しすぎてるほうがヤラシイですって。ていうかひとつ屋根の下っていっても、めちゃめちゃ部屋数あるじゃないっすか。使用人がいて、二人きりでもないし」

「もちろんニーナも着いていきますし」

「ですよねー、僕も行こうかな」

「だめだといったらだめなんだーっ!」


 頭を抱えてごねる騎士団長。


「そんな近くにレティシアがいたら、すれ違いざまに抱きしめてしまうだろうがっ!!」


 ここまでくると、レティシアはやはりこの男の真意が気になってきた。一度は気にしないと決めたものの、やはり気になる。


「あのう、フランツ様。先ほどからあなたは一体何を言っているのですか?」

「そ、それはそれはだな…だから……。…………。」

「……。送っていってくださる? 街の宿まで」


 と、言い終えるより早くフランツに手首を掴まれる。レティシアの手を戦士の握力で握りしめ、フランツは縋っていた。

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