第2話 なぜか帰らせてくれない

 その縁談は、フランツの強引な求婚によって破談となった。他国で言えば王族同等の権力者に叔父は逆らえなかった。

 それだけでもレティシアは、フランツに感謝をしている。


(快い夢を見させていただいたわ……)


 ……そう、婚約破棄は覚悟の上だった。レティシアは彼の申し出を粛々と受け入れるだけである。


「事情はともあれ、一度はあなた様と御縁がありましたことを嬉しく思っております。流れてしまったのは残念ではありますが……」

「ほ、本当かっ!?」


 なぜかまた、フランツが叫ぶ。どこに食いつかれたのか分からず、レティシアは再びキョトンとフランツを見上げた。するとまた、彼は喘いだ。


「あぐぅっ、かわいい!!」

「……えっ?」

「そのエッて声も超可愛い、あああダメだ苦(くる)……死……」

「だ、大丈夫です? 医者をお呼びしますっ?」

「問題ない、心臓が止まっただけ――ただの致命傷だ。ああ優しい、やはり天使」


「団長ぉ、まるきり不審者ですぜ」


 副団長がボソリと呟く。それが号令になるのか、フランツの背筋が伸びた。


「失礼、なんでもないんだ。レティシア嬢……このたびは不義理なことをしてしまい、申し訳なかった。慰謝料はすぐにお渡しする」

「そんな、滅相もございませんわ。お気になさらず」

「いいや受け取ってくれ。それから、これを」


 と、何かの小袋を手渡される。中を確かめると、大量の金貨が入っていた。これでは多すぎると思ったが、それは慰謝料とは別の、帝都での滞在費だと言う。


「滞在費? これでは何ヶ月も暮らせてしまいますわ」

「そうして欲しいんだ。しばらくはこの帝都で宿を取り、俺とは円満に破談となったことにしてほしい」

「…………ああ……そう、ですね。わかり……畏まりました」


 レティシアは、震える指で革袋を握りしめた。


(顔合わせそうそう婚約破棄したのでは、フランツさまの外聞が悪いから……)


「それにしても、多すぎます。わたくしは安宿にも粗食にも慣れております。せめて半分はお返しさせてください」


 そう食い下がるレティシアに、フランツは首を振った。その眼差しは不思議と優しい。 


「余った分は贅沢に使ってくれ。帝都の美食にでも、宝石やドレスにでも。俺には女性が喜ぶものがわからない。君が欲しいものを、自分で選んで買って欲しい」

「団長、三十七年もののバキバキですもんね」

「リッケルト」


 今度はフランツが咳払いをする番だった。


 レティシアは彼らの会話の意味がわからず三度(みたび)きょとん。後ろのニーナは「へえー?」とニヤニヤしていたが。


「……畏まりました。ありがとうございます」


 革袋をニーナに預け、レティシアは深々とお辞儀した。さっそく今夜の宿を探しに向かおうと、ドアノブに手を掛け――フランツに手首を掴まれる。


「何か?」

「あっ。いや、気をつけて行ってくれ」

「……? はい。では、失礼致します」


 と、出ていこうとしたのにまた止められる。右手を掴まれたまま、左手で開けて出ようとすればそちらの手首も掴まれる。

 振り向き、見つめると悶える。

 問うとそっぽを向く。

 去ろうとするとやっぱりまたまた肩を掴んで止められる――


 一進一退の攻防が続く中、侍女ニーナと副団長リッケルトは、ギラリと光る視線を交わした。


「恐れ入ります、団長様!」


 ニーナが大きな声を上げた。


「お聞きの通り、ベルヘルム家はもはや叔父上様の支配下にあり、お嬢様は肩身の狭い思いをしておいでです。家の御者は使えず、私たちふたりで参りました。しかしもう夜も更け、女だけでは不安ですわ!」

「おやぁまぁそいつぁいけねえや!」


 リッケルトは顎に手を当て思案し、両手をポンと叩いた。


「ここは腕の立つボディガードが要りますね? 帝都でいちばんの腕利きと言えば『鋼鉄の剣帝』と名高いフランツ・フォン・アーデルハイド。ということで団長、お二人を宿まで送って差し上げては」

「えっ?」

「あら素敵なご提案! でもどうせならフランツ様のご自宅にお邪魔できません? あっもちろん侍女の私は納屋でも馬小屋でも。レティシアお嬢様だけ、フランツ様のお部屋に入れていただければ」

「な、なにを言ってるのニーナ!?」

「それはだめだ!」


 レティシアに続き、やはりフランツも絶叫した。


「いきなりお泊まりだなんてそんな、そういうことは結婚してから、せめて正式に婚約をしてからだろうがっ!」

「はい?」

「まだ文通友達にもなってないのに!」

「もしもし、フランツ様」

「いやそもそも俺と彼女は十七も年が離れ――」


 と、口上の途中でだんだん我に返ってきたらしい。騎士団長は、特に意味も無く窓辺に向かった。何も無い夜空を見つめて、理性的な声で言う。


「……未婚の娘が、独身男の家に寝泊まりしたなどと噂が立っては次の縁談に差し支えるだろう。宿には騎士がお送りする」

「別に誰も公言しませんよ」

「だめなものはだめだ。……レティシア嬢にとって俺は見ず知らずの中年男。それも野蛮な戦人間……あの成金爺と変わるまい――」


 えっ、とレティシアは声を漏らした。


「フランツ様、わたくしの縁談をご存じでしたの?」

「あ」


 彼は小さく声を漏らした。


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