3

 セント・ジョンズのモーテル「エス・ジェイ・パラダイス」へチェックインしたトマジとアイリーン。

 シャワーを浴びた二人は、ベッドの上に身体を沈めた。隣で眠りに落ちたアイリーンを横目に、彼は部屋の天井を睨みながら、この先のことをぼんやりと考える。


 パックマンの追手が自分達を探しに来ることは明白だった。彼らは裏切ったトマジを決して許しはしないだろう。

 トマジは、明日の朝一番にセント・ジョンズを離れて、ビッグ・アップルへ向かうつもりでいた。

 

「でも、ビッグ・アップルへ行って何をするの? 仕事の宛てはあるの?」


 いつの間にか目を覚ましたアイリーンが、彼氏の方に顔を向けると呟いた。


「知り合いがいるんだ……。アイリーンのことも言ってある。何か仕事を用意してくれるってさ。大丈夫だ、俺たちはきっと上手く行く。アイリーンだって、あのままあんな街の片隅で、年を取りたくはないだろう?」


「それは、そうだけど……」


 何もない街、リトル・フェイス……たった数時間前までいた自分の街のことを考えるだけで、トマジは吐き気を催した。

 しかし、何故そこまで嫌悪しているのかは、彼自身よく分かってはいなかった。

 夢の街ビッグ・アップル。新しい何かが二人を待っていると、彼は心の底から期待していた。何故だか分からないが、新しい生活を想像するだけで唇が緩んで笑みがこぼれてくるのだ。彼はこれを良い兆候と信じていた。


 ふとトマジが腕時計を見遣ると、時計の針は九時十六分を指していた。


「ちょっと外の空気を吸ってくる。すぐ戻る」


 アイリーンを一人残して、彼は部屋を出た。

 モーテルの裏の林から季節の虫の鳴き声以外は何も聞こえず、静かな夜だった。

 彼は少しだけ歩くと、振り向いてモーテルを改めて眺めてみた。

 古く汚らしい建物。ふと、一番端の1010号室の部屋の窓のカーテンが開いていることに気が付く。

 窓の中には中年の男と若い女の姿がみえる。何やら言い争いをしているようだ。

 男が突然女の頬を叩いた。女が頬を抑えながら、何かを叫ぶ。男は女を拳で殴りつける。女は床に崩れ落ちた。男は何かを罵りながら女を足蹴にする。

 トマジは自分の身体中の血が沸騰する感覚を覚えると、即座に1010号室へと向かって駆けだした。

 静寂の中、彼のドアを叩く音だけが無機質に響き渡る。


 暫くして、男は訝しげに部屋のドアを開けると、トマジを睨みつけた。


「あん? 誰だおまえ? こんな時間にふざけてん……」


 男が台詞を言い終わるか否や、トマジの右フックが男の側頭部を捕えた。更に彼は、よろめく男の股座に続けて蹴りを放つと、両手で強く押した。男は急所を押えたまま、すぐ傍のベッドに転がり込んで悶絶した。


「ぐ、ぐあぁぁ。な、な、何、しやがる……」


 男は寝転がったまま、痛みと混乱の色をした瞳をトマジにぶつける。


「お前みたいな奴が一番嫌いなんだよぉ!! 女、子供に手を上げるような奴がなぁ!! いいか! 今後一切、彼女に手を上げるんじゃないぞ! わかったなぁ!」


 トマジは何か言おうとする男の腹部を思い切り蹴りつけると、何も言わずに部屋を出た。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 女の籠った声が彼の背後から聞こえてくる。


「ちっ、胸糞の悪い夜だぜ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る