自分の気持ち 3

 二日間の平日出勤を挟んで、再び連休がやって来た。結城曰く、新入社員を労うためのゴールデンウイークだ。僕は、クリーニング店に預けていたスーツを受けとるために、午前中からときわ商店街へと向かうことにした。空っぽのケージは相変わらずそのままで、未練がましく片付けることができないでいた。マシロに食べられることもなく盛り上がっている干し草を見て、そのままにしていたら虫が湧いたりするのだろうかとぼんやり思う。


 先日梶さんのところで買わされたマグカップと皿は、まんまと僕の生活に馴染もうとしていた。朝食にほぼ毎日コーヒーと幸代さんのところのパンを食べる僕には、正にこれが必要だったのだ。とでも言うように二つの食器を欠かさず使っていた。梶さんが言っていたように、レンジにも使えるから、冷めてしまったカップのコーヒーを温め直すにも、海外雑貨だからと気を遣う必要がないのは助かっている。オーブンにも使えると言っていたから、深い皿ならグラタンも作れるな。と言っても、自分でグラタンを作ったことはないけれど。


 梶さんは、料理のできる人だろうか。見た目はきつそうな雰囲気をしているけれど、何気に器用で、キッチンに立ったら余りものを使って、ササッと料理を作って出してくれそうな気もする。


 都合のいい妄想にかられながら外に出ると天気は最高潮で、太陽がギラギラと照る真夏日だった。ジーンズにTシャツ。足元にはサンダルを引っ掛け商店街へ向かう。


 こんな小さな町でも、休日は訪れた人たちで浮足立っていた。通りには若者の姿が多く賑やかで、その人たちに紛れて歩きながら、美味しいコーヒーを出すカフェSAKURAのことを考えていた。いや、実のところ部屋にいる時点で、クリーニングを受け取ることもカフェに行こうと考えていたことも二の次だった。要するに、僕の胸中ではスーツの受け取りもコーヒーもカモフラージュに過ぎず。向かい側にある梶さんの雑貨屋が真の目的になっていた。懸念するのは、梶さんの機嫌の悪さだ。店をのぞき込むようなことをするだけなら、あのポニーテールがビュンと勢いよく空を切るのは目に見えている。けれど、また何かしら買わされてしまうのは、この先の生活苦を意味していた。


 かと言って、二の次と考えているクリーニング店にまっすぐ行きスーツを受け取ってしまえば荷物になる。そうすれば、カフェに寄ることもなく、踵を返し直ぐに部屋へとUターンすることになるだろう。


 梶さんに会いたい気持ちと、嫌われたくないと思う感情がせめぎ合う。


 健さんの金物屋を横目に通り過ぎ、躊躇うように立ち止まった。ほんの数歩先の角を曲がり、路地を入っていけば雑貨屋への道程だ。


 梶さんへの気持ちに気づいてしまってからというもの、僕はいつもどこかで彼女のことを考えていた。しかし、あの怒ったような鋭い猫の目で見られたら一瞬で竦んでしまうだろう。そして、やはり僕は嫌われているのだと改めて実感し、落ち込むに決まっているのだ。マシロがいなくなっただけでも心にぽっかりと穴が開いて苦しいというのに、これ以上の傷を負うのは辛すぎる。梶さんが乗る天秤と、傷つかない為のスーツが乗っている天秤が何度もグラグラと傾きを変える。曲がり角の手前で立ち止まりポケットに手を入れ、忍ばせてきたクリーニングの引換券に触れた。


「どうすっかなぁ」


 これ以上嫌われたくはないんだよなぁ。やっぱり、行くのはやめておこうかな。


 情けない感情の重みが増え始め、ほぼほぼ踵を返す仕草に移ったところで、ジーンズのポケットにあるスマホが震えた。一旦引換券から手を離し、スマホを手にすると相手は結城だった。


「よおっ、深沢。羽目はずしてるか?」


 開口一番、若干ふざけた一言で始まった通話で、どうせ暇だろと結城は僕の予定も聞かずに会う算段を進めていった。


「実は、今商店街にスーツを受け取りに来てるんだよ」

「地味なことしてんなー。んなの、あとあと。羽目をはずすんだよ、羽目を」


 さっきまで考えていたマシロや梶さんのことで、心がズーンと重苦しい気持ちになっていたところだったから、結城の無闇矢鱈に元気な声音は負の感情を取り払ってくれるようだった。結城が一緒なら、グチグチとした僕の情けない思考を払拭してくれそうだ。


「てか、商店街にいるなら丁度いい。今お前の住んでる最寄り駅にいるんだ。昼飯でも食おうぜ」


 絶妙なタイミングで近くにいるという結城に驚いていると、駅前まで迎えに来るように指示され通話は切れた。


 相変わらずの自由な振る舞いだけれど、健さんと一緒でイヤな気持ちがしないのは、明るい性格と人懐っこさからだろう。結城は、女の子受けするタイプだろうな。


 つい先ほどまで曲がり角の手前で散々悩んでいたけれど、結城が誘ってくれたおかげで何やら楽しい休日の予感がしてきた。カフェや梶さんのところは気になるけれど、いつでも行ける距離にあるのだから焦る必要はないよな。そんな風に思いながらも逃げ腰なのは明らかで、店に行って嫌われるまでの時間が伸びたことにほっとしていた。


 駅から商店街へ数分の所まできていた結城を、ファストフード店の前で見つけた。きっと無料のWi-Fiにあやかってゲームでもしているのだろう。


「結城」


 声をかけながら近づくと、満面の笑みを向けられた。


「俺が急にやって来たから慌ててんだろ」


 ニヤニヤとする結城に、そんなことはないと若干目が泳ぐ。確かに慌てたけれど、誘われたことは素直に嬉しい。


「なぁ。この辺で飯の食えるいい店知ってるか?」


 問われてすぐに浮かんだのは、カフェSAKURAだった。けれど、あそこへ連れて行ってしまえば、こんな小洒落た店に通っているなんてと、面白がっていじられそうな気がする。それに、梶さんが偶然やって来て、結城に遭ってしまうのは避けたい。からかわれるだけならこっちも冗談を言って笑えるけれど、もし万が一結城が梶さんに目を付けてしまったら大変だ。嫌われている僕はすでにマイナスの位置にいるわけだから、結城がアプローチしたら勝てる気がしない。


 グズグズと頭の中で考えを巡らせていたら、結城がさっさと歩きだした。


「えっ、おい。結城?」


 この辺りのことなど何も知らないはずなのに、先頭を切って歩き出す結城を追いかける。


「あっちに商店街があるんだろ? なにかしら目ぼしい店がありそうじゃん」


 結城はスマホを片手に、サクサクと前を行く。見ると、この辺りの地図が画面に映し出されていた。ゲームをしていたわけではなく、町をリサーチしていたらしい。仕事がはやい。


 商店街に入ってすぐ、さっきは奥に引っ込んでいた健さんが店先に出ていた。


「おっ。樹。なんだ、今日は友達と一緒か」


 屈託なく明るい表情で話しかけてきた健さんに、結城が笑顔で会釈した。


「どうも。深沢の同僚兼親友の結城真也です」


 いつから親友になったんだと、自己紹介のセリフを聞きながら結城の顔を見たが、何の躊躇もなく健さんとの会話が始まってしまった。


「深沢がいつもお世話になっています」

「いやいや。こちらこそ。樹には贔屓にしてもらってんだよ」


 結城は、まるで僕の親みたいな態度で健さんと話している。それに、健さん。ピーファルのフライパンと鍋を買っただけで、僕は贔屓というほどの貢献などしていないじゃないですか。


 謙遜して苦笑いが浮かぶ。


「こいつ、ちょー真面目で残念なイケメンなんで。今日は、羽目のはずし方を教えに来たんですよ」


 結城が得意気に言うと、健さんまで一緒になって「それはいい」なんて声を大きくしている。僕は、そんなに残念なイケメンなのだろうか。苦笑いで立っていると、幸代さんが袋を抱えてやって来た。


「あら、いっ君。お友達?」


 幸代さんの持つ袋には、大量のフランスパンが詰め込まれていた。


「あ、いえ。同――――」


 同僚のと言いかけた僕の言葉を遮った結城が、健さんの時と同様に親友の結城真也です。と満面の笑みを見せた。


「こいつ、一人にしておくと引きこもってばっかいるんで。今日は俺が楽しい外の世界を満喫させてやろうと思いまして」

「あら。それはよかったじゃない。本もいいけれど、他にも楽しいことはいっぱいあるものね」


 確かにそうかもしれないけれど。


 僕のことなのに、本人を置いてけぼりで話はどんどん先へと進む。口を挟む余地は、どこにもないらしい。今日結城がきたことによって、僕の親友イコール結城という図がこの商店街に定着するだろう。


「いっ君のこと、よろしくね」


 僕のことをよろしくされた結城は「もちろんです」と胸を張る。


 幸代さん。今から僕は、羽目を外しに行くことになっているんですよ。結城が言う羽目というのがどの程度なのか。想像しただけで怖ろしい。それでもよろしくと言ってしまいますか?


 そんな心の声など口にできるはずもなく、幸代さんは近所のイタリアンに届けるというフランスパンを抱えて行ってしまった。


「深沢って、人見知りで引きこもってばかりかと思ってたけど。この辺りじゃ名の知れたいっ君なんだな。いやぁ、なんか俺安心したよ」


 何を安心しているのか知らないが、引きこもりだと決めつけないで欲しい。これでも、図書館へ出掛けたり、カフェに行ったりしているのだから。どちらも近所だけれど。


 幸代さんの背を見送り、健さんの店をあとにした僕たちは、再び商店街を進む。


「よし。じゃあ、まずは昼飯の確保だ。連休だからな、早めに手を打たないと、食い損ねるぞ」


 確かに。商店街をパッと見渡しただけでも、いつもの倍以上の賑わいを見せている。のんびりしていたら、席が埋まって飯にありつけないなんてことになりかねない。


「この辺りでうまい店はないのかよ」


 サクサクと歩きながらスマホを検索し、僕に話しかける結城は何気に器用だ。まだ一緒に仕事をしたことはないけれど、実はとてもよくできる男なのかもしれないと、話のテンポの良さや相手の懐にスルリと入り込む話術に感心した。


 仕事のできる結城にかかっても、すぐに座れるような店を検索できないまま、商店街の端までたどり着いてしまった。


「どこも混んでるな。商店街は、諦めよう」


 踵を返した結城は、スタスタと歩を進めるとリペアショップへ向かう角を曲がっていく。まるで、結城の方が地元民みたいだ。


「たこ焼きじゃあ、おやつみたいなんもんだよな」


 リペアショップの並びにあるたこ焼き屋を横目に通り過ぎ、図書館の方へと向かっていく。このまま結城のあとについていくと、梶さんの雑貨屋がある通りに出てしまうだろう。その手前にイタリアンがあったし、そこで何とか食い止めるか。


「あったあった。花屋の角を曲がって」


 僕がSAKURAや梶さんの雑貨屋に向かわないよう食い止めるその前に、結城の足はどんどんと先へ進み。結局、通りに出て花屋の角を曲がってしまいSAKURAの前に着いてしまった。


「ここだ。この店、この辺りじゃ人気のカフェらしいぞ」


 知ってるよ。という言葉は口から出ず、できればくるりと踵を返し引き返したいと策を練ろうとしていた。だって、ここに来たら結城に梶さんの存在がバレてしまう。もしも僕が梶さんを怒らせていることや、このカフェに通い詰めていること。梶さんの隣人であることが知られてしまえば、話好きの結城のことだ。きっと面白がって茶化した挙句、酒の肴にされかねない。しかも、今日は羽目を外すと言っているのだ。梶さん絡みで羽目を外すようなことが起きようものなら、僕は嫌われるどころか、妄想だけでなく本当に警察に突き出されることになるかもしれないじゃないか。


 最悪の事態を想像し、とにかくどうにか引き返そうと結城に声をかけようとしたのだが、それよりも半拍早くカフェのドアが開いてしまった。


「いらっしゃい。今日は、お友達もつれてきてくれたの? どうぞ」


 いつもの癒し系の微笑みを向けられてしまえば「こんにちは」という挨拶をしたあと体は条件反射のようにカフェの中に吸い込まれていく。僕はカフェの店員さんに、自然と通い詰めてしまうという催眠術でもかけられているのかもしれない。


 結城は結城で「めっちゃ美人」と店員さんのことを僕の耳元でテンション高く囁いて、弾むようにカフェのドアを潜っていった。現金な態度に苦笑いが浮かぶものの、もしもここへ梶さんがやって来たとしても、このままSAKURAの店員さんに興味を抱き続けてもらいたいと都合よく考えていた。


 いつもの定位置というように、奥にあるテーブル席に案内されて座った。僕が腰かけている席からは、通りに向かうカウンター席が右を向いた先にあった。結城が座っている席からは、左を向けば通りを見渡せる。


「知ってる店だったのか?」


 レモン水を口にしてからメニューを手にし、結城が僕の顔を見る。ここで嘘をついても仕方ないので正直に話した。


「近くに図書館があって。本を借りたあとは、ここでコーヒーを飲みながら読むことがあるんだ」


 誰とでもすぐに仲良くなってしまいそうな結城を牽制し、梶さんの店と、梶さん本人について端折った。


「また本かよ。好きだねぇ、本。そんなに空想の世界がいいのか? あ、動物学者になるんだっけ?」


 何故か動物学者に関しては真面目に受け取っているようで、真剣な顔をされてしまう。しかし、何度も言うがその予定は一切ない。それに、空想の世界も悪くないぞという思いもあった。自分の周りでは起こりえない出来事を、こんなにも感情を左右し共感させてくれるものなどない。


「結城は読まないのか」

「小説は読まねぇな。俺は、実用書だな。身になるものしか頭に入れない」


 賢そうな雰囲気を前面に出されて、言い返す言葉が浮かばない。


「深沢も、小説ばっかじゃなくて。自己改革的なものも読んでみたらどうよ」


 自己改革とは、今の僕の性格をなんとかしろと遠回しに言われている気がする。どうせ僕は、残念なイケメンさ。結城に諭すように言われ、自身のあり方を否定された気がして滅入ってしまう。


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