自分の気持ち 2

 ゴールデンウイークの初日は好天で、ここまで歩いている間にうっすらと汗が滲んでいた。その汗が図書館の静かで適度に冷やされた空気に触れた途端、スーッと消えていく。


「涼しいな」


 ほっと息を吐き、借りていた文庫を返してから棚を見て回った。好きな作家は沢山いて、作家読みをすることが多かった。新しい作家を発掘でもするように、読んだことのない名前の筆者を見つけるのも好きだ。


 知っている作家の未読作品を一冊と、初めて見る作家のミステリーを一冊借りた。


 カウンター席の並ぶ大きな窓に目をやると、公園の緑がここからでも窺えて爽やかな陽気が吹き込んでくるかのようだ。ここに座って本を読みふけるのもいいかもしれない。そう、思うも。既に心の大半はあのカフェに向かっているものだから、僅かな未練を残して図書館を出た。


 文庫を手に通りを行き、角の花屋を曲がると白が眩しいカフェSAKURAがある。もちろん向かい側には、梶さんの雑貨屋も見える。僅かに立ち止まってから歩を進め、梶さんの店の中を窺いつつ近づいていく。店の外に彼女の姿はない。少しだけ中を覗きこむようにしながら傍に行ってみた。相変わらず読み方のわからない「Uzdrowiony」の看板が可愛らしく掲げられている。店先には、日本製ではない雑貨がたくさん置かれていた。ベビー用品や知育玩具に始まり。可愛らしい傘や、この季節には珍しくカラフルなオーナメントにイースターエッグもある。首を伸ばして更に中を覗くとキッチン用品などの生活雑貨や文房具なども売られているのが見えた。


「海外の文房具か」


 興味を覚え一歩だけ中に踏み込んでみると、女の子が好きそうな可愛らしい石鹸が並んでるのが目につき手にした。手作りだろうか。四角く成形された透明な石鹸の中にハート形のものが埋め込まれている。他にも星形のものや、よくわからない波状の柄が練り込まれている物もあった。


「お買い上げですか?」


 すぐそばで尖った声をかけられてビクリとなり、危うく手にしていた石鹸を落としそうになってしまった。焦った表情のまま声のした方を振り向くと、片方の口角を釣り上げた梶さんが腕を組んで立っていた。


「こっこ、こんにちはっ」


 慌てながらも挨拶をして無駄にペコペコと頭を下げると、組んでいた腕を下ろし呆れたように深い息を吐かれてしまった。


「何かご用? それとも、それ。本気でご購入?」


 絶対に買いに来たわけではないという前提のもと、店先から追い出さん勢いで言われてたじろいでしまう。


 油断していた。まさか背後から現れるとは思いもよらず、何の言葉も見つからない。僕は、ハートの石鹸を握りしめて立ち尽くす。


「お買い上げじゃないなら、私に何か言いたいことでもあるの?」


 言葉に詰まる僕の様子を見て、さっきよりは浅い息を吐きながら訊ねられた。


 言いたいことと問われて、瞬時に浮かんだのはたった一つだ。引っ越しの挨拶から一変、どうしてあんなにツンとした態度をとるのか。僕が一体何をしたというのか。知りたいのは、それだ。訊ねたくて口を開こうとするのだけれど、梶さんのネコみたいにクリっとしている大きな目があまりに強烈で言葉が口から出てこない。


 目力、強すぎだろう。


 僕が怯んでいると、今日も頭のてっぺんでキュッと結い上げたポニーテールをヒュンと揺らし、うんでもすんでもなく立ち尽くす僕を置いてスタスタと店内に入っていく。その背を見ていたら、つい追いかけて自分も中に踏み込んでしまった。


 店の中は日本離れした不思議な雰囲気に包まれていた。置かれている商品は、どう見ても日本製ではないものばかりだから当然だ。食器類は、藍色を主体としているものが多く、マグカップや皿は一つ一つの柄が手書きのように見えた。壁に飾られているポストカードも、ブリキの車やナチュラルな積み木もヨーロッパ風に見受けられる。


「ここに売ってる物って、日本製じゃないですよね」


 商品に気を取られ、自分が梶さんから嫌われていることをすっかり忘れて気安く話しかけてしまった。言葉にしてから彼女を見て、焦りにハッとしたのだけれど。商品について訊ねられた彼女の表情は思いもよらず穏やかで驚きつつもほっとした。


 彼女は初めて会った時に見せてくれたような表情をして、嘘などついたことのないような実直でいて透き通るような雰囲気を纏わせている。ネコみたいな瞳は、ビー玉みたいに綺麗だ。太陽の光を受けて佇んだなら、瞳はキラキラと輝くだろう。伸びた背筋は自信の表れか、曲がったことなど受け付けないとでも言うようにピッとしていた。


 浜辺を歩いていたら、絵になりそうだな。


 惚けたように見ていると、彼女の形のいい唇が動いた。


「ここにあるのは、全部ポーランドから仕入れてきたものばかりよ」

「ポーランド」


 ヨーロッパだとは思っていたけれど、ポーランドという名前は一ミリも浮かんでいなかった。なぞるように国の名前を口にすると、彼女は近くのマグカップを手にした。


「ポーランドに行ったことは?」


 訊ねられて、首を横に振った。


「そう。この食器はね、ポーリッシュポタリーって呼ばれているの。スポンジのスタンプを使って、一つ一つ丁寧に絵柄を付けているのよ」

「一点物?」

「そう。ポーランドの職人が、心を込めて作っている物なの。お皿はサイズも豊富で、レンジやオーブンにも使えるから使い勝手もいいの」


 梶さんは、説明しながら自分が手にしていたマグカップを僕へと差し出した。自然と受け取り眺めると、連続した小華柄の中に顔を寄せ合うように二匹の小鳥が描かれていた。続けて、更に近くにあった藍色の縁取りがされ、中に鮮やかな木の柄が花びらのように描かれた皿を渡してくる。


「素敵でしょ?」


 マグカップと同じように皿を受け取ると、梶さんが踵を返した。僕の手には、さっき入り口でつい手にしてしまったハートの石鹸と、梶さんから渡された小鳥柄のマグカップと木の柄が描かれた皿があった。皿は、トーストを乗せるのに丁度いいサイズだ。


 レジカウンターの中に入った梶さんに誘導されついていくと、レジスターを小気味よく操作しだす。チンッという、まるで玩具のような音を立てたレジスターを見てから、カウンター越しの梶さんへ視線をやると満面の笑みを向けられた。


「お買い上げありがとうございます」

「え……」


 何の迷いもなく僕を真っすぐ見てくる梶さんの営業スマイルに、呆気にとられ言葉を失う。気がつけば、オーガニック素材にこだわっているという、どう見ても僕が使いそうにない可愛らしいハートの石鹸。それにマグカップと皿が、この店の紙袋に入れられ渡された。僕の心許ない財布の中身からは、お札が数枚飛んで行き、更に貧相な中身へと変わってしまった。


「またのお越しをお待ちしています」


 店先で丁寧に頭を下げ、満面の営業スマイルで送りだされた僕は、言葉もないまま紙袋を手に向かい側のカフェのドアを潜った。


 ものすごい営業力だ。


 あれよあれよという間に買わされ文句さえ出てくることなく、ストップした思考のままカフェに入った。


「いらっしゃいませ。あら、早苗ちゃんのところでお買い物? 素敵なものばかりだったでしょう」


 ふふという上品な微笑みをくれた店員さんに、気がつけば買わされていたとは言えず、苦笑いを浮かべながら案内されたテーブル席に着いた。


 コーヒーを頼み待つ間、目の前の椅子に置いた雑貨屋の紙袋を恨めしく見てしまう。


 何故こんなことに。


 確かに、売られている商品は素晴らしいものばかりだった。一点物だし、ポーランドの雑貨なんて、女子なら素敵とうっとり顔で思うのかもしれない。だがしかし。生憎僕は、女子でもなければ、可愛らしい雑貨に興味もない、結城の言うただのぼんやりとした残念なイケメンだ。


 健さんのところで勧められた鍋やフライパンは、必要に迫られ買ったものだし。何より機能性に優れたピーファルだ。ポーランドに縁もゆかりも思い入れもない僕にしてみたら、可愛らしい雑貨を手に入れた事でテンションが上がるわけもなく。単に、財布の中身がさらに切なくなったにすぎない。


 健さんの営業力は見習いたいと思ったけれど。梶さんのこの強引な商品販売も、ある意味見習うべきかもしれない。まんまと買わされた品物の収まる袋を見て、ため息を吐きそうになったところでコーヒーが運ばれてきた。


「ごゆっくり」


 気がつかなかったけれど、ここで使われている食器は梶さんの店に置いてあるものと同じ系統のもののように思えた。ソーサーに乗ったカップを持ち上げてしげしげと眺めていると、カップの底に何やら文字が書かれていることに気がついた。


「なんだろう」


 コーヒーを口にせずにカップを持ち上げて底を眺める僕の仕種が気になったのか、店員さんがやって来た。


「それ、職人さんのサインなのよ」


 そっと教えてくれた店員さんに視線を移すと、目を細めてニコリとする。

 さすが一点物だ。一つ一つにサインがあるんだな。じゃあ、僕がさっき買わされたマグカップや皿にもサインがあるかもしれない。


 本意で手に入れたものではないのに、サイン一つでテンションが上がっている僕は、おめでたい奴だろう。


「早苗ちゃんのところで聞いたかもしれないけれど。うちで使っている食器は、Uzdrowionyウズドリョビョウネから買わせてもらっているの」

「え、う、うずどりょ」


 小難しい名前が出てきて同じように口にしようと試みたができなかった。


「ウズドリョビョウネ。ポーランド語で、癒されるっていう意味だそうよ」

「癒される」


 確かに、癒されるような商品の数々だったけれど、梶さんは癒しからはかけ離れた場所にいる存在のような。どちらかと言えば、ここの店員さんの方がよっぽど癒し系だろう。


「元々はね、早苗ちゃんのお兄さんがやっていたお店なの」


 へえ。梶さんには、お兄さんがいたんだ。


「今は、ポーランドにいる叔母さんのところに行っていてね。暫く留守にする間、早苗ちゃんが頑張って引き継いでるの」


 そんな経緯で、梶さんはこのお店をやっていたんだ。


 ごゆっくりと僕に告げて、店員さんは再びテーブルを離れていった。僕は、梶さんのところで買ってしまったカップと皿のサインが気になってしまい、なんだか落ち着かない。コーヒーを飲んだら長居せず部屋に戻ろう。そういえば、梶さんの店には一人暮らしには必要なものが他にも売っていそうだよな。次に行ったら、目ぼしいものがないか見てみようかな。


 雑貨やポーランドに興味などなかったはずなのに、気がつけば僕は梶さんの店にある数々の商品が気になり始めていた。いや、商品だけじゃない。僕は、少しずつ梶さんのことを知っていくことに喜びを感じているんだ。


 因みに、皿やマグカップの裏には確かにサインがあったけれど、雑貨屋の店名同様に解読できなかったことは言うまでもない。


 

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